20歳高卒自衛官が大学を受験する話 補欠合格は生き地獄編(part6)

「前書き」

皆さんおはようございます。本日は4月17日。皆さん新生活はいかがお過ごしでしょうか。私は3月31日付で陸上自衛隊を退官し、一般人へと、学生へと戻りました。あえてここでは今私が「予備校生」なのか「大学生」なのかは内緒にしておきます。2年ぶりの民間人として、学生としての生活。いかに自分が「自衛隊」に「労働」に縛られていたのかというのがよくわかりました。そしてこの開放感、、、素晴らしすぎる、、また4年後社会に戻ることになってしまうのですが、この「労働からの解放」は社会人から学生に戻る人にしか味わえない快感でしょう。まあこれから学生なりの辛いこと、大変なこと色々起こって徐々に現実が見えてくるんでしょうけど、、まあそんなことはさておき!

みなさん!新生活!共に頑張っていこうではありませんか!!


「首の皮一枚繋がる」

さて、前回のnoteでは関西学院大学の合格発表を終え、奇跡的に補欠に滑り込むことができたというところまで話が進みました。まさか補欠に入るとも思っていなかったので、この結果に関してはとても嬉しかったです。

なんとか首の皮一枚繋がりました。合格発表を受けたのは訓練中のことでした。上司に結果を報告すると、私はどちらかというとポンコツ隊員の部類で、決して頭のいいキャラではなかったので、かなり驚いた様子でした。そりゃそうです。私自身ですらもとても信じることができなかったですから。

その日の訓練を終え、廠舎(訓練中に一時的に部隊が宿泊する簡単な造りの宿舎)に戻り、同部屋に宿泊していた同期や先輩に報告すると、みんな拍手喝采で私の補欠合格を祝ってくれました。廠舎では駐屯地とは違い飲酒が許可されており、先輩が一杯奢ってくれました。「関関同立といえども国公立の滑りどめで受けてる人が多いから絶対繰り上がる大丈夫!」「俺も自衛隊補欠合格やったしなんとかなるで」「それはもうほぼ受かったみたいなもんやろ」などなどさまざまな人から祝福のメッセージをいただきました。正直なところ最初はかなり私も浮かれていました。なんにせよここでもし繰り上がったら私の予備校代100万円と貴重な20歳の1年間が浮くわけです。そしてまだ2年遅れまでだったら新卒としての就職が可能になる場合が多い。2浪と3浪の間には大きな壁があるのです。まあでも少なくとも補欠合格の最終合格発表の3月25日まで、まだ1ヶ月強は不合格になることはない。それまでは少なくとも夢を見続けることができる。と言うことで一旦浮かれるだけ浮かれることにしました。

「生き地獄の始まり」

しかしながら浮かれていれたのも束の間。徐々に時間が経つにつれ現実が私の精神を傷みつけました。色々調べて見ると関西学院大学の補欠の繰り上げ率は確かに低くはない。低くはないですが、年によってかなり変動しているのです。繰り上げの多い年と少ない年がある。さまざまな情報があり、私を錯乱させましたが、私の独自の調査により繰り上げ合格の可能性は約50%と見積もりました。大きな問題はもう合格のために何一つできることがないと言うことです。一応訓練中ではありましたが、待機時間がほとんどだったため、さまざまな考えが頭の中をよぎりました。補欠だったと言うことはおそらく合格最低点までわずかな差だったと言うことです。「もう少し勉強していればよかった」といった純粋な後悔だったり、これからの生活のこと、関学でのキャンパスライフを送っている自分の姿と21歳にもなって予備校に缶詰になっている自分の姿、その2つを比べてみたり、とにかく色々考えていると頭がおかしくなりそうだったので、英単語をとにかく頭に詰め込みました。とにかくがむしゃらに英単語を頭に詰め込みました。勉強は時には現実逃避のツールにもなりうるのです。おかげさまでこのタイミングでターゲット1900は完全制覇することができました。今更やってもあんまり意味はないのですが。そして、ここまでくればあとは運です。運だけが今後の私の人生を決定するのです。さて、幸運を掴み取るにはどうすれば良いか、、


ひたすら祈って祈って徳を積みまくることです。

「全力祈祷の始まり」

関西学院大学の補欠合格発表は4回に分けて行われます。その1回目は2月26日でした。迎えた前日。2月25日。まだ訓練の真っ最中でした。前日の夜、泊まっていた廠舎(訓練中に一時的に部隊が宿泊する簡単な造りの宿舎)の屋上に上がり、夜空に向かって手を2回叩き、合掌しました。すると、雲の隙間から三日月が。関学のシンボルでもある三日月🌙が雲の隙間から出てきたのです。「よし、これは合格したに違いない」そう確信をし部屋に戻り、大きな希望を握りしめて目を閉じました。そして迎えた1回目の合格発表、、、結果は、、、、

変化はありませんでした。補欠のままです。

まだまだ私には徳が足りなかったようです。

日頃の行いから改革していくことにしました。

まずは後輩の仕事であるゴミ捨て、ストーブの灯油入れ、その他細々とした雑用を全て僕が引き受けることにしました。

そして訓練が終了し駐屯地に帰隊しました

駐屯地に帰ってからというもの、上司・先輩・同期・後輩から様々な言葉をかけられました。

「お前そんな頭よかったんやなあ」

「関関同立か、すごいやん、、」

などなど。正直なところかなり嬉しかったですが、一つ大きな問題がありました。

別に合格したわけではないのです

これで繰り上がらなかったらどういう顔をすればいいのだろうと、さらに私の精神はおかしくなっていきました。そして、そうこうしてる間に迎えた3月6日。2回目の合格発表です。駐屯地の居室の中で迎えました。必死に祈りましたが、残念ながら繰り上がらず、、、補欠のままでした。チーン。

「自衛隊生活の終わり」

どうこうしてる間に自衛隊生活も終わりが近づいてきていました。そして2回目の合格発表の翌日、非常に不安定な精神状態のまま自衛隊最後の勤務日を迎え、退職休暇に入りました。ただ正直なところ、あまり自衛隊最後の勤務を噛み締める精神的余裕はなく、ただひたすら無心に部隊配属後、約1年半ほど使い続けてきた装具、銃を整備しました。不思議なことになんだか気持ちもそれで落ち着いたような気がします。

それから数日後、小隊の異動者・退職者に向けた見送り会が挙行されました。

「補欠合格」という中途半端な状態で、まだ進路も決まりきっておらず、しかも訓練中はポンコツ丸出しでかなり小隊の方々には迷惑をかけてきた私ではありましたが、同じ小隊の隊員たちは温かく私のことを見送ってくれました。

中でも、私のことをよく指導していた上官の強面気味のA3曹が、宴会の最後に「もっとお前と仕事したかった。ほんまにお前が辞めるんは残念やし、もっと自衛隊にいてほしかったけど、その分外では頑張ってな。応援してるで。」と肩を叩いてくれました。その一言をその人からかけてもらっただけでも2年間自衛隊で頑張った甲斐はあったかなあと感じました。感極まって部屋に戻って号泣してしまったというのは内緒です。

装具も全て返納し、荷物も全てまとめ、部隊配属後約1年半生活してきた駐屯地を後にすることになりました。実家に帰ると、なんと妹も同じように高校受験の合否を待っている状態でした。家族も妹の高校受験にはかなりの額の投資をしたらしく、あまり私の受験結果には興味もなく、期待もしていない様子で、なんだか複雑な気分でした。

しかしながら私にできることはただひたすら徳を積むことです。

とりあえず、受験を頑張った妹にご褒美として現金2万円を手渡しました。

それから受験勉強を再び再開することにしました。実家に戻ってからも規則正しい生活を心がけ、朝から図書館に籠り勉強し、地元の神社に合格祈願をしてから帰宅をする。という、かなり徳の高いルーティンを確立することができました。

さて、徐々に気温も暖かくなっていき、とても心もポカポカしてきました。なんだかいい気分です。さて、そろそろ合格を受け取ってもいい状態に、私史上もっとも整った状態になっていたような気がしてきました、、

「運命は如何に⁉︎」

そして迎えた3月16日。


3回目の合格発表です。この発表日が国公立の合否が反映されやすく、1番山場と言われていました。ここで繰り上がらなかったらもう諦めようと。

そんな気持ちで地元の山を駆け上がり、市内で一番大きな神社へと向かいました。

ちょうど合格発表の5分前くらいに神社に辿り着きました。

そして1000円札をを賽銭箱にぶち込み、深く、深く、頭を下げて祈りました。


「関西学院大学人間福祉学部人間科学科に合格できますように、、、」


すると遠くから風が吹き、なんだか神社の奥の方に白く光るものがうっすら見えたような気がしました。


お、これはもしや、、、


携帯の画面を開いてみました。すると、、、






このような画面が、、

あまりの嬉しさに大きな声を出し喜んでしまいました。しかも神社で。1人で。

側から見れば異様な光景だったでしょう。


しかしながら人生でここまで感動したことはありませんでした。

職場の人たち、学生時代の友人、家族、様々な人から多くの祝福の言葉をいただきました。その夜飲みすぎて携帯を無くし、メッセージを全て読み切ることはできませんでしたが、、笑

まあとにかく、素晴らしい自衛隊生活の締めくくりができたなあと思います。



果たして大学進学という道が正しかったのか否か。私にはまだ分かりませんが、少なくとも何かしらの意味があるのではないかと思います。一旦就職したからこそわかる大学生という身分の素晴らしさ、、絶対に無駄にはしません。大学生活はやりたいことをやりたいだけ、とことん突き詰めることのできる最後のチャンスだと思っています。私はこの4年間は高校時代ずっとやっていた音楽活動と映像制作、そして執筆活動に全てを費やそうかなと思っています。

そして、ここで宣伝ですが、音楽活動をしていた時のYOUTUBEチャンネルです。
これからもう一度音楽活動を再開し、この4年間、やれるところまでやっていきたいと思っているので、もしよかったら見てあげてください!!笑https://www.youtube.com/@Subarukanzaki2017/about


あと、そろそろ流石に彼女が欲しい笑(これが一番重要)


さてみなさん!拙い文章ではありましたが、最後まで読んでいただきありがとうござました!とりあえず大学受験シリーズはこれで最終話とさせていただきます。これからもNOTEは更新していきたいと思っていますので、どうかフォローの方をよろしくお願いします。ではさようなら!!









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