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大阪育ち道産子の知らんけど・・146「昔話8 はみだしケータ 純情派」

某刑事ドラマタイトルを何種類か混ぜたタイムスリップシリーズ。
「ケータ」を「刑事」と読み替えたらそれっぽくなるんやけど。
気付いてるヒトいるやろか。
実は正しい組み合わせがないコトを。

最初は
「ぐへへ、混乱したらええねん(⇐なんでやねん)」
とか、思てオモシろがってたのに、最近は自分が苦しんでる。
いまさら正しい組み合わせにしたらアカンからな( `ー´)ノ。

さ、どうでもいいハナシはともかく。
高校生になったで~。

1.好きなコを

追っかけて入った津田高校。
5期生として入学した当時は確か「枚方高等学校津田分校」っちゅう
名前やった気がする。
小柄で華奢な身体をどうにかしたくて、ラグビー部を所望するも、
叔母&姉のモーレツな反対に遭い、あっさり断念。
クラスで仲ようなったニシムラが入っていたテニス部へ。
好きなコも中学時代のトモダチも、割とすぐに疎遠になって、
(いや、好きなコにはまったく相手にされず)
テニスにのめり込んでった。
初めてチョコもらったり、先輩に可愛がられたり、充実してたなぁ。
高2では若干クラスで浮き気味になりつつも、
テニス部のキャプテンになり、背も伸びてよーモテた(´-`).。oO
高3でも、スポーツ部の中心メンバーが集まる楽しいクラスで、
みんなと楽しく過ごしたな~。

あ、バイトしたりバイク乗ったりタバコ吸うたりお酒飲んだり、
アカンコトもそれなりにやってたで~。

至ってフツーやと思うんやけど、
今の自分にも影響を与えてるとしたら……。
仲間や後輩を率いる立場をもらったコトやなー。

2.大学に

「行きたいんやったらバイトでも何でもして行きや」
って感じやったから、テニスやるなら体育会って程度に思てたオレには、
奨学金頼ってバイトして部活する、ほどの情熱は無く、就職を選ぶ。
でも、テニスを続けたい気持ちがあった。
高校生時代から可愛がってもらってたテニスショップに
拾ってもらい、朝はレッスン・昼からガット貼りという仕事に就いた。
11万を切るくらいの手取りで、半年休み無し、とかやったけど、
テニスも教えてもらえるし、不満は無かったなぁ。

ちゅうても3年くらいで辞めた。
そこのおやっさんが悪気無く発した
「バカチョンカメラ」
というコトバがきっかけやった。

3.母親方は

在日朝鮮?韓国?系の家系やった。
姉ちゃんやオレは日本生まれやし、親父が日本人やったから、
母ちゃんも日本国籍やった。
離婚〜母ちゃんの死を経ても、日本姓を選択したんを憶えてる。
母ちゃんの兄弟(叔父や叔母)から、その方が便利やからと、
説かれてたし、後悔もない。
でも、小学校5年生くらいに自分がクウォーターであるコトを
知らされてから、授業で習うコトや親戚の集まりなどの体感で、
一丁前に「アイデンティティ」らしきモノは形成されてたらしい。

「バカチョンカメラ」
というコトバが、
「バカでもチョン(=朝鮮人)でも撮れるカメラ」
という差別用語であると知っていた(或いはそう教わっていた)
オレは、そのコトバをおやっさんが発したコトに引っ掛かった。

当時のオレなりにどうしよか考え抜いて、
1)「知らんと」やろうけど大人が知らんとかあんのか?
2)厳しいけど好きなおやっさんには知っててほしい
3)攻めるワケやないし伝えたら判ってくれるやろ
となり、伝えてみた。

おやっさん
「オレが差別なんかするワケないやろ」
おやっさんの奥さん
「こないだ親戚のトコに行ったし余計やな」

イミわからん(# ゚Д゚)
「そうやったんか。知らんかった。憶えとくわ」
で、ええやん。

結局、伝えたかったコトが伝わらんかったコトにガマンできず、
次の話し合いでは、おやっさんも感情的になり、
オレは、特にアテも無いまま辞めた。


☆彡 さー、ナニしよ‼️

はい、今回は比較的予定通りの進捗でした。
とは言え、アイデンティティの件が蘇ったのは、想定外でした。
やっぱり、細かく振り返るとナニかあるものですね。
このフェーズでは、
・幼いながらもキャプテンをやり遂げた
・無職になってもこだわりを譲れなかった
という出来事が、今の自分に影響していると感じます。

当時、大いにガッカリしたコトでも、今思えばそんなに……。
と感じるかも知れません。
無理には勧めませんが、イヤなコトほど振り返る価値があります。
知らんけど。

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