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地域の精神性とフラガール

 いわきFCが清水エスパルスに1-7で敗れた前夜、清水サポーターさんのツイートを見て思い立ち、映画「フラガール」を再び観た。なぜこの映画は何度観ても泣けるのだろう。今、携わらせてもらっているいわきFCの新スタジアム検討委員会=I.G.U.Pで開催されたユースフォーラムでも「いわきらしさ」とは何かを考えさせられる場面、言葉がみられた。
 2021年12月に本Noteで書いた「常磐に生きる」から一部抜粋して、今思う「いわきらしさ」について思うままに書いていきたい。 

常磐地区

 この地域を語る上で「常磐炭田(常磐炭鉱)」は欠かせない。映画「フラガール」では常磐炭鉱の閉山に伴う「炭鉱から観光へ」という企業の業態変換により誕生した「常磐ハワイアンセンター」(現・スパリゾートハワイアンズ)のオープニングとフラガールの誕生を、炭鉱という「山の男」の世界と対比させて描いた。
 双葉郡富岡町から茨城県日立市付近まで、広域に広がっていた常磐炭田は、1870年代から1970年代にかけて首都圏に一番近い大規模炭田として栄華を極めた。閉山後も運営会社の常磐炭礦→常磐興産は「炭鉱から観光」へと業態を変え、常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)運営会社として地域の経済に大きく寄与した。一方で常磐炭田南部の炭鉱機械会社だった日立製作所は世界的なメーカーへと成長し、全国有数の企業城下町を形成することとなる。エネルギー革命という大きな時代の変化の中で、常磐地区の人々は逞しく、しぶとく生き残ってきた。

エネルギー革命とフラガールの誕生

 エネルギー革命に翻弄されながらも炭鉱から観光へと、そして世界的なメーカーへと発展を遂げた先人たちの生きざまは、この地域に生きる人びとの心の中に確実に根付いている。
 昭和中期のエネルギー革命による石炭産業の衰退、平成期を襲った東日本大震災とそれによる原子力災害。ともにエネルギーによって、この地域は完膚無きまでに叩きのめされた。他市の名前を出すのは大変恐縮ではあるのだが、いつこの地域が夕張市のようになったとしてもおかしくはなかったのだ。映画「フラガール」で語られたように、常磐炭鉱の閉山を前に、この地を離れる人は多かった。残った人々は自らの生活の為、地域経済の為に身を粉にして働いた。そんな「山の男たち」の娘たちによって初代フラガールは誕生した。エネルギー革命によって疲弊する地域を明るく照らし、来たるべき「常磐ハワイアンセンター」のオープンを告知する為に、全国を巡業しながら常磐地区への誘客を図った。彼女たちの奮闘や地域全体の努力の甲斐もあって、この地域は息を吹き返した。

東日本大震災とフラガールの活躍

 2011年3月11日午後2時46分18秒。
 巨大な地震が東日本一体を襲った。あの日から数週間のことは、忘れたくても忘れられるはずがない。記者をしていた時期、各地の避難所を回りながら、連絡がつかなくなっていた定年退職した会社の先輩の名前を探す日々。会社の前をひょっこり歩いていた先輩を見つけ、社内に連れて行き、みんなで泣いたあの日のこと。「一番良くしてくれた親戚が死んじゃった」と泣き崩れた同僚のこと。既に被爆しているかもしれない、突然倒れるかもしれないと思いながらも、それでも、カメラを手に歩き回った日々。あの地獄のような日々のことなど、絶対に忘れようがない。故郷を追われた人々も同様だろう。けれど、そんな中でも様々な出会いがあった。再会に涙し、疎遠になっていた友人からの手紙と救援物資に涙し、人間の脆さと同時に強さを実感した日々だった。

震災後初の練習風景(2011.04.)

そんな、少しずつ明かりが見え始めた3.11後の4月、フラガールたちの活動が再開した。目に涙を浮かべながら、1か月ぶりにフラを踊るフラガールたちは、間違いなく震災直後のこの地域の光だった。映画フラガールの主題歌「フラガール~虹を」の歌詞にあるように、「名もない花」が命を奮わせるように咲き誇る姿は、多くの人々の生きる糧となった。50年が経過した平成の時代に、またもやエネルギーによって翻弄されたこの地域を救ったのはまぎれもなく彼女たちだった。

常磐地域の人々の精神性

 諦めない、倒れない、立ち上がる―この地域に生きる人々の心に根ざしている精神性は、いわきFCのスタイルに通ずる。最も首都圏に近い大炭田地として栄華を誇ったこの地域を叩き潰したエネルギー革命。さらにエネルギーによって苦しめられた東日本大震災と原子力発電所事故。それでも、この地域に生きる人々はなんと打たれ強く、諦めが悪いのだろう。もがき苦しみながらも、二度も三度も立ち上がってきた。2度大敗したらまた立ち上がれば良い。
 いわきグリーンフィールドがネーミングライツにより「ハワイアンズスタジアムいわき」へと名称変更した。常磐興産には感謝してもしきれない。感謝の気持ちを表そうと、サポーター仲間が巨大なフラガールダンマクを作成し、クラブや施設管理者の許可を得て使われなくなったスコアボードに貼り出した。ソロダンサーが「オテア」を踊る姿だ。
 タヒチアンダンスの「オテア」は、打楽器の激しいリズムに合わせて踊られる曲で、神々への感謝や戦い前の高揚感を表すとされる。試合を見ながら何回か振り返り、フラガールのダンマクを見つめた。一度や二度の敗戦など意に介さない泰然自若とした姿に、あらためてこの地域の精神性を感じた。ここからがいわきの真骨頂。倒れたら立ち上がる、それでいい。

 奇しくも今夏、映画「フラガール」で蒼井優が演じた紀美子のモデルとなった小野恵美子さんが亡くなった。今を生きる僕たちは、映画「フラガール」の登場人物やモデルとなった小野さんたちの生きざまを、いわば勝手に解釈しているに過ぎないのかもしれない。けれど、個人的に解釈している「諦めない」「笑って立ち上がる」「感謝」の気持ちは間違いなくこの地域の精神性として受け継がれている。また明日からみんなで頑張っていこう。



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