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『ちゃん』について考えた

ツムギと一緒に暮らす前、夫と彼女の話をするとき、私はずっと彼女のことをツムギチと呼んでいました。

私たちがお互い、ケイトチ、オットチと呼び合っていたので、最初はツムギちゃんと呼んでいたのが、なんとなくツムギチに落ち着いたのです。

※名前は全部note名なので、実際とは異なりますけれど。

本当は、ケイトチとオットチは、二人だけの秘密の呼び名にしておきたかったのに、早々に夫がツムギにバラしてしまったので、私も諦めて、今では姉や私の親戚も夫のことをオットチさんと呼んでいます。


それで、一緒に暮らし始めたときも、そのままの流れでツムギチと呼んでいたのですけれど、夫がツムギと呼び捨てにするので、割と早い段階で、私もツムギと呼ぶようになりました。

サッカーチームに入ると、一番最初に仲良くなったママ友が「ツムギって呼んでいい?」と聞いてきてくれたので、もちろん!と答え、それから徐々に私も、チームメイトちゃんたちを呼び捨てで呼ぶようになりました。

初めは違和感があったけれど、スポーツやっているからそんなもんなんだな。と。

ツムギはクラスメイトたちとも、ほぼ呼び捨てで呼び合っているようで、家で会話するときも、男女関係なく、私も同じように呼ぶことに慣れていってしまいました。


義母とのLINEで初めてツムギちゃんからツムギに変えたときには、「ようやくツムギと呼んでくれましたね。嬉しいです」と返事がきたので、呼び方ってやっぱり、人との距離感を表すのだな、と、改めて思ったのでした。


私の家庭では呼び捨ての文化がなかったので(両親からはたまに呼ばれることもあったと思いますが)、親戚からもみんなケイトちゃん、ケイちゃんと呼ばれましたし、学校の友達のこともみんなちゃん付けで呼んでいました。

呼び捨てに憧れがあったことは否定できません。

こどもながらに、カッコよく見えていたのです。

中学生くらいから、周りの友達も呼び捨てが増えたタイミングに乗って、勇気を出してその文化に飛び込んだことを覚えています。


小学生の呼び捨てについて、改めて疑問に思った私は、いつものようにインターネットで、いろいろな人の意見を読んでみました。

自分のこどもを呼び捨てにされたくない人も一定数はいるようで、今となっては、両方の感覚がわかるので、気をつけないと失敗してしまうことがあるだろうと思いました。


ただ、学校でさん付けを推奨しているという記事を読んだときに、なるほどと興味深く思った一説がありました。

あだ名はいじめに繋がり易いという理由で、禁止になっている学校があると聞いたことはありますが、呼び捨てはその後に続く言葉に影響するからだという理由だそうなのです。

確かに。

「ツムギ!ごめん!」

「ツムギちゃん、ごめんなさいね」

日常会話ではここまで極端には変わらないかもしれませんが、確かに、呼び捨ての後に続く言葉は乱暴になりやすく、口調や声色も異なる気がします。


先日、仕事から帰ってひと息つく間もなくキッチンに立って、夫とツムギに次々手伝いの指示を出していたときに、私の矢継ぎ早な言葉にツムギがついていけなくなり、そのまま不機嫌、喧嘩になってしまった事件がありました。

後から夫に、「客観的に見て、あなたも仕事脳のまましゃべっている感じがしたから、ツムギだけが悪いんじゃないと思うよ」と指摘されたのですが、『ツムギ』と呼び捨てにしていることで、同年代の友達としゃべっているような感覚になっていたことは否めないと思いました。


もし、『ツムギちゃん』と呼び続けていたら、もう少し物腰柔らかく、『ちゃん』がほどよくクッションになってくれる話し方ができたのではないかと思ったのです。


そしてもうひとつ。

これは、呼び捨ての是非の話ではないのですけれど、やっぱり『ちゃん』は敬称なんだな。と、改めて思い直しました。

日本には、相手を敬うという文化があって、たとえそれが年下の者でも、『ちゃん』という敬称を付けて呼ぶのだと。

夫は、自分が名付けたという娘の名前をとても気に入っていて、私はそのことは尊重したいのだけれど、私はきっとこの名前は付けなかっただろうなと思っていて、なぜなら、『ちゃん』付けで呼ぶときに、ケイトならケイちゃん、アキコならアッコちゃんのような、愛称っぽくなりにくく、なんとなく呼び捨てがしっくりくるような名前だからです。

※本名を公表していないので、イメージしにくくてごめんなさい。

一人息子を育てた義両親も、呼び捨ての文化に慣れてしまっているようで、前述の義母のコメントから想像すると、かなり幼少のころから呼び捨てでツムギのことを呼んでいたのではないかと思います。

いつもツムギばっかり怒られる。と、ツムギは思っているようで、確かに発達障害の特性があるツムギは注意したくなるような言動が多くありますし、家族の中でひとりだけこどもであれば、そのように感じても不思議ではないのですが、もしかしたら、周りのみんなから『ツムギちゃん』と呼ばれて育っていたら、そこに自分にも敬意を持ってもらえているということが伝わり易かったのではないかと思いました。

もちろん、これは可能性のひとつでしかないのですし、ツムギがその違いを認識しているとは思わないのですけれど、もし、『ツムギちゃん』と柔らかく敬称を付けて呼ばれていたら、毎日のことですから、感じ方が違ったのではないかと思うのです。


この話、夫に話してみたら、少し共感してもらえたようです。

今まで『ツムギ!』としか呼ばなかった夫が、がんばって優しく『ツムギさ〜ん』と声をかけるのを聞くようになりました。


私も、『ツムギさん』と丁寧に話しかけることは時々ありますが、くすぐったいけれど『ツムギちゃん』も使ってみようと思います。

自分がそう呼びかけることによって、敬意を持って相手と話しているんだと、意識的に思い出させることにもなると思うので。


ちなみに、Wikipediaによると、『っち』も敬称のひとつなのですね。
『ちゃん』の省略されたものだと記載がありました。

『ツムギちゃん』がお互い小っ恥ずかしくなったら、最初に戻る感じで『ツムギッチ』と呼ぶのもいいかもしれません。

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