読書の記録#8 私が「ダメ上司」だった33の理由

私が「ダメ上司」だった33の理由(日本実業出版社) 午堂登紀雄(著)

特段その後「デキる上司」にはなっていない

開始2ページで「おや?」となった。章に入る前、はじめにの最初2ページである。著者のこれまでと現在のような内容なのだが簡潔に書くと、
・かつては不動産仲介企業の社長をしていたが、リーマンショックを機に業況低迷と従業員全員の離反が発生し立ちいかなくなった。
現在は個人事業主で悠々自適に仕事している。
という話なのだ。
本のカバーには『痛烈な失敗体験から学んだ「上司の教訓」を初公開』とあるが、失敗事例は色々あるにせよ教訓にまで落とし込めるのか…?という疑いの心を持って読み進めることを開始2ページで余儀なくされた。

結論から言うと、全く響かなかった。
「こういう失敗をした。だから、これをしないのが良い上司だ。」という論法でひたすら書かれている。例えば、要約するが「社長が朝定時よりも遅く出社する日がしばらくあったら従業員もそうなってしまった。だから、行動で示そう。リーダーが行動で示さないといけない。皆見ているのだから。」といった具合だ。
一見まともなことを言っているようだが、じゃあ「行動で示したらどうだったのか」という話はこの本には無い。反省する前に会社が空中分解、その後著者は個人事業主でマイペースに仕事をしているので、検証する機会が無いまま、「デキる上司」になったことが無いままこの本を書いているのだ。
要は、上の例でいえば文章の主旨は「行動で示せ」なのだが、行動で示す=部下がついてくるようなリーダーになるかどうかは特に事例が無く著者の想像、といった具合なのだ。行動で示すと言っても色々あるだろう。この例の場合で極端なことを言ってしまえば、「それならば、定時より1時間以上前に社長が出社するようになったら良い社長なのか?」という話である。おそらく、従業員は緩むことは無いにせよ、逆にプレッシャーを感じすぎて、結局社長についてこないだろう。その辺の構成が、「こうすべき」のところを全く検証できていないため非常に弱く、『マネジメントに「正解」はないが、「やってはいけないこと」はある』という論調に反して、「やってはいけないこと」よりも「これが正解なのでは?」という結論立てが多いことに違和感を覚えていく。

失敗事例にもっとフォーカスを当ててほしかった

この本はタイトルに惹かれて購入した。「こうあるべし」というような上司の教科書とでも言いたくなるような本は世の中に溢れているが、失敗録を33個もひたすら載せているのは珍しいし面白いのではないかと感じたからだ。
33項目それぞれにちょこちょこと失敗の事例は書いてあるのだが、どうも表面的なのだ。「ありがとう」って部下に言ってなかったなあ、プロセス褒めずに結果のことだけ言ってたなあ、といった具合だ。もっと具体的に、例えばひたすら従業員の業績を詰めていたのならどう詰めていて反応がどうだったとか、失敗事例にフォーカスを置いたらもっと面白かったのではないだろうか。要は、「こういう失敗事例を私はやってしまいました。後から聞いた話では従業員はこう思っていたらしい。さあ、あなたが上司ならどうする?」くらいのスタンスで良かったのではないかと思うのだ。

「こういう失敗したから、こうすべきだ」とあるべき論を言った瞬間、「その『すべき』に効果は見られたの?」となる。よくある上司の教科書的本は、基本的に成功している人が書いているので、成功事例の中で「これを意識すべき」といった論調が多いが、それに近い構成になってしまっているのだ。なのに出てくるのは失敗事例のみ。ここに違和感と不信感が湧いてしまった。
失敗事例でも「本当はこういう意図でやっていたのだが、従業員に伝わらなかった(伝えられなかった)」と、半分くらい相手に責任を押し付けている感のある話(主に事業多角化の話)もあり、失敗をネタにしている風に見せながら、心の底では失敗を許せないでいる自分がいるのだろうなと思わせる論調のものもあり、読んでいて苦笑いしてしまうところもあった。(たまたま私がそういう経営者とやり取りすることの多い職業であることもあり、「こういう社長たまにいるけど信用できないよなあ」と思ってしまったことも大いに影響している感想であることを付記しておく。職業病である。)

盛大に失敗している人の話なので、失敗事例を掘り下げたら面白かったろうにと思う。先述の通り、失敗事例が若干表面的なので、「たしかにこの人と仕事したくないな」「そりゃソッポ向かれるだろう」くらいの感想に留まってしまうのが非常にもったいないと感じる1冊だった。

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