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100年以上成長し続けた企業グループの祖業とは

今週の日経新聞で私が一番目をひいたのは、セブン&アイ・ホールディングスが傘下のイトーヨーカー堂などのスーパー事業の株式について新規株式公開(IPO)の検討に入った記事でした。
実は当社の近くにセブン&アイ・ホールディングス及びグループ各社の本社があることもあるのですが、ここ近年、店舗の統廃合も激しく、早期退職の募集や本社移転なども予定しており、「もしかしてグループからの切り離しを考えているのかな」と考えつつ、「でも祖業だから切り離せないかな」と思っていたので、正直本記事は驚きでした。現時点では完全な切り離しではなさそうですが、コンビニ事業とシナジーが図れる範囲でつながる意向のようで、連結から外れることは視野に入っているのでしょう。
 
イトーヨーカー堂の厳しい状況については、もともと強みであった衣料がユニクロなどの競合に勝てなくなってること、スーパー事業としてもイオンなどのショッピングセンターに負けていることです。詳細は報道されているので、ここでは詳細は取り上げません。ここでは、「祖業」というものについて考えてみます。
 
具体的な例としてですが、住友、三井、三菱という、長期間に渡り存続し、かつ成長し続けてきた企業グループの祖業は何でしょうか?
住友は銅山事業です。愛媛県に昭和時代まであった別子銅山という銅山を戦国時代の終わりころから経営したことが住友の祖業でした。この祖業は実は昭和の終わり頃まで存続していました。
三井は呉服商です。三井高利が江戸時代の初期に「越後屋」を開業したことが現在に至る三井グループの源流なのです。なお、三越伊勢丹ホールディングスの三越は「三井越後屋」から来てます。(三井高利については6月刊行の拙著『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)でも取り上げてます。)
三菱は海運業です。創業者の岩崎弥太郎が明治維新後、土佐藩の海運事業を譲り受けたのが創業の始まります。この事業は現在、日本郵船が受け継いでいます。
 
それでは、短くても100年以上の歴史を有する住友、三井、三菱ともに、祖業がその後も事業の中心であり続けたのでしょうか。答えでは明白で、そうではありません。なかには現在も事業の一つであるものもありますが、それでもあくまで「数ある事業のなかの一つに過ぎない」です。
 
大事なのは、その時代、時代の変化、要請に応じて事業を変化したり、新規事業に進出していったことです。住友、三井は江戸時代に貨幣社会に移行するなかで金融業に進出し、明治以降は殖産興業のなかで製造業や商社事業を立ち上げました。三菱は海運業で蓄積した利益をもとに金融・保険、重工業、商社事業に拡大していきました。これも明治以降のグローバル化にあわせたものでした。
 
そう、100年以上続き、かつ成長してきた企業グループは、祖業を守り続けて形成されたわけではなく、その精神は守りつつも、時代の変化に合わせて事業を見直し、新規事業を立ち上げて形成されたものなのです。もちろん祖業を通じて、事業に対する考え方が確立し、また次の展開を図るための利益が蓄積されたのは間違いありません。しかし、そこに安住せず、時代の変化に合わせて変わり続けたからこそ、100年以上続き、かつ成長してきた企業グループとなったのです。
 
さて、冒頭のセブン&アイ・ホールディングスが祖業であるイトーヨーカー堂などのスーパー事業のIPOを目指すことについてです。これが100年後の未来からみた時にどのように評価されるのか。それはセブン&アイ・ホールディングス、イトーヨーカー堂が時代の変化のなかでどのように対応されるかにもかかっているのかもしれません。

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