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水戸の森




 御茶ノ水駅で待ち合わせをして、東京に住む茨城の人間について橋を渡った。「3年ぶり」とか「神戸の中華街に行った時ぶり」とか、人と人とが少しの間会わないでいると大概ぶりぶりしてしまうもので、午前中に会って午後にまたあった時は「午前もじゃこ(関東ではワカシ)」とか、1週間前の講義を一緒に受けて以来の再会ならば「1週間いなだ(関西関東共通)」とか、「さかなクン」が「さかなサン」と改名するほどに世間を席巻したならば、出世魚にちなんでバラエティに富んだ再会の言葉が繰り広げられるすギョい世の中になるのだろう。

 御茶ノ水から目当てのお店まで歩いていると、なんだか秋葉原の雰囲気が感じられ、明らかに秋葉原駅待ち合わせでよかったけれど、断片的にしか知らない東京の地理について少しだけ知ることができた。
 はるばる辿り着いたチェコ雑貨のお店が、本物であることは疑いようもなく、クルテクやミュシャに過剰に頼らず、「バイヤーがしっかり見極めております!」を具象化したお店で、アップルの香りがするリップオイルを手に入れた。ここで「りんご」ではなく「アップル」とするのは、住所不定無職の虚栄心からではなく、商品説明にそう書かれていたからである。
 このリップオイルを購入する少し前、「ナイトリップマスク」というものに手を出した。手のせいで唇が被験者として矢面に立たされた訳であるが、ある日突然唇の血色が悪いような気がした僕を救うために手が立ち上がったのだ。僕の手はすごく思いやりのある奴らなんです。
 「ナイトリップマスク」という使用方法と効果がよくわからない大器を抱えながら、リップオイルという新たな道具に手を染めるのは、さながらスモールライトを使いこなせていないにも関わらず、未来デパートでガリバートンネルを購入するドラ之もんの如き所業であり、彼と僕の違いは「これだからお兄ちゃんは、、」と指摘してくれるドラ三ちゃんがいないことに他ならない。

 それから半年ほどが経って、リップオイルを使ったり使おうとしたりしながら日々をのびのびと過ごしているわけであるが、効果という効果を感じることは、ナイアガラの滝に入浴剤を投げ入れるような程度で、生半可な継続と半年というごくごく短い期間で唇に劇的な変化が現れることはなく、ナイアガラの滝が登別温泉になることもない。だがしかしどうだろう*、この唇の挑戦を笑う者がいるであろうか。いや、いる。

 本屋さんをうろうろと小難しそうな目元をして徘徊していると、しばし「ドストエフスキー読んじゃいなよ」と声がする。「死ぬまでに〇〇したい」ことは人それぞれあって、ドストエフスキーの『罪と罰』という本棚を圧迫して仕方ない重厚感のある作品を読まずし過ごしていったとして、老後の佳境を迎えて「さて読みますかいな」と思い立った時に、果たして僕にそんな体力が残されているのだろうか。という普遍的な問いと同様に、もっとおっさんになって、どこからどう見てもおっさん以外の生き物と認知されなくなった時分に、リップオイルを継続的に使用し続けることができるであろうか。
 今、この得体の知れないチェコ産のリップオイルを使い続けて、20代のセンターラインを爆走した先に、30年後に発売されるかも知れない「リップオイル4.0(仮称)」への試みに踏み出すスタートラインがある。

 そんなわけで、『ノルウェイの森』を読んで週末を過ごした。*




*「だがしかし」と打った時に「駄菓子菓子」なんて変換候補が出て美味しそうでした。

*ノルウェーのお近くにあるフィンランドに行ったことがある関西人は、高知県に行ったことがある関東人の数よりも多いとか少ないとか。

本人公認の本人です。