アメリカアマゾンでのラノベ『規制』について言いたいことが色々あるので書く

規制?

どうも検索しても事情が分からないしまともな記事がろくに出てこないのでTLに流れてきた話でしか書けないんだけど、アメリカのアマゾンでノーゲームノーライフなどの日本のラノベが販売停止になったとか、結局復活したとか、AIによる誤爆だったとか。

 ちょっとひどいことを言いますけど、自業自得だよねぇ……

 だってそうでしょう、いまのラノベの表紙絵って、エロゲから継承されて発展してきたもんじゃないですか。ポルノですよポルノ。売れるからって扇情的な表紙付けて、ずっとエロチキンレースしてたんですよ。そりゃAIだって児童ポルノと判定しますよ、自動ポルノと判定しますよ。
なんならぼくらAIを褒めるべきでしょ。

 でね、これについて「表現の自由の侵害だ」って声が上がってますよね。大手プラットフォーマーによる表現規制を懸念するとか。

 はっきり言って、因果応報ですよね?

 いくらプラットフォーマーが大きくて市場を寡占していて影響力があるからと言って、結局のところ私企業です。それらには自分のところに並べる商品を選ぶ権利がある。そして大手プラットフォーマーというのは大きくて市場を寡占していて影響力があるからこそ、消費者に対して責任がある。道徳面でね。ポルノ紛いの商品を自由に購入出来る状態にすれば、多くの消費者から批判されるのは当然で、それを懸念して取り下げるのも当然でしょう。
 大手プラットフォーマーには、創作者の表現の自由まで守ってやる義務なんか無いんです。

 で、とある作家さんは、「AIによる判断と偽ってプラットフォーマーが恣意的に表現を規制する可能性」を危惧しておられました。法律で禁止されている「表現規制」の抜け道として、大手プラットフォーマーの規制が利用されると。

 でもそれ、あなた方のせいですよね?

 日本では、特に小説分野は完全に無法地帯です。どこにも規制がない。映画や漫画、ゲームではレーティングされている作品も、小説になれば全て全年齢です。フランス書院だってラブロマンス文庫だって一般コーナーに並べられてます。

 詳しい経緯は知りませんが、純文学等で性的表現があったこと、言語という冗長性の高いメディアなことから、表現の自由を盾として押し通してきたのでしょう。

 ぼくは書店でバイトをしていて、入荷してくる新刊書籍の大半を荷開けする立場なので知っていますが、正直言って目に余ります。特にラノベ。おそらく新興レーベルから始まったであろう、WEB小説上がりの書籍化作品の「ソフトポルノ」化は本当にひどい。

 もちろんいままでも、ラノベには「ちょっとえっちなやつ」ジャンルがありました。でもそれは一部であって大部分ではなかったし、あからさまなものでもなかったと思います。いまのラノベ界は完全にタガが外れてる。タイトルをざっと眺めるだけでうんざりしてきます。『奴隷』『ハーレム』『催眠』。正気か?って思いますよ。

 出版に携わるみなさん、誠意を持って答えてほしいんですが、あれを見て「ポルノじゃない、文学だ!」と言えますか?

 そりゃ表立っては言えないかも知れません。表では、平気な顔で「あれは文学です。必要な表現です」と言うかも知れません。でも、本当のところ、違いますよね?

 エロで釣って本を売ってますよね?

法律の穴を利用して表現が規制される」???
 はっ。

 あんたらが自己統制を放棄したんだろ

 表現の自由と検閲の禁止を言い訳にやりたい放題やっておいて、今さら「抜け穴」??筋違いもいいところでしょ。自分たちの側に誠実さが無いのに、他所に求める資格なんて有りませんわ。

出版業界全体がヤバい

 実のところこれってラノベやマンガジャンルだけの話じゃない。ぼくは書店でバイトを始めてから、正直なところ毎分毎秒出版業界がキライになっていってます。

 ペラッペラな自己啓発本。生存者バイアスまみれでセンセーショナルなタイトルがすべてのビジネス本。無限に生み出されるマナー本。あらゆるジャンルに紛れ込もうとするカルト宗教の本。スピリチュアル。疑似科学丸出しの健康本。それからネトウヨ御用達のクソレイシズム本の山。

 ぼくが安心できるのは一般小説文庫科学関連書籍コーナーだけ(よく分かってない他の店員がたまにスピリチュアルな本を混ぜてイライラしながら投げ捨てる)。

 新書コーナー?もう大半が上記クソの山に占領されてますよ。

 出版業界はそうやって、消費者の信頼毀損し続けてきたんです。売れるから求められてるから。誰かが金を出すから。やめろだって?おまえは表現の自由を侵害するのか!!

 日本ローカルでは通用するかも知れない。でもグローバルでは違います。今や企業は倫理的であることを求められてる。エシカルであることがいい企業であることの基準になってる。人々はそれを基準に製品を選ぶようになってる。倫理的であることが、経営方針として正しいことになってる。

 そんな中で、誰も倫理の統制をしない日本の出版物が出てきたらどうなるか?そりゃ倫理的な企業として、それを販売停止にするところが出て来てもおかしくないでしょう。

 ぼくは本当に小説が好きだし、拙いですが自分でも小説を書いたりしてます。だから、外部から規制される事への危惧はよく分かります。

 だからこそ、出版業界はそれを自分たちでコントロールしておくべきだった。

 自分たちが、誠実に、倫理観を持って、画一的な基準では無く、自分たちの視点で誤魔化しなく商品を審査しておくべきだった。

 映画だって、ゲームだって、きちんと団体を作り、自分たちでレーティングをしています。特にゲーム業界は最近、「水着だからセーフ」などの画一的な基準を廃して総合的な観点で規制を課してます。「マッサージだから」とか「風が吹いたから」と言っておっぱいを揺らせるゲーム、昔は通ってたんですけど、明らかにエロ目的だったわけで。なぜならゲーム業界はグローバルで売る必要があり、そしてグローバルマーケットはちゃんとその国内のレーティングの誠実さを見ているからです。誤魔化しは効かない。

 道徳的/倫理的=お行儀のいいつまらない作品、という誤解

 誤解のないように言っておくと、ぼくの言う(そして恐らくいわゆる『ポリコレ』の言う)「倫理的である」というのは、「お行儀のいい作品」という意味ではありません。ぼくは小説にしろゲームにしろ映画にしろ海外作品の方に多く触れてるんですが、いわゆる「ポリコレ準拠」な作品の大半は全くお行儀よくありません。人はバンバン死ぬし、理不尽な差別や暴力があるし、辛い選択を迫られるし、登場人物は間違った選択をする。(直近だとラストオブアスパート2とかで、クリアした勢いでレビューまで書いた)

 じゃあそういう作品と不道徳な作品をどうやって区別するのか?

 それは、不道徳で無いということを、自分で説明出来ることです。

 もちろん「これは下着じゃなく水着です」系の白々しい韜晦ではなく、真摯な説明です。

 英語では責任のことを「レスポンシビリティ」、つまり直訳すると「可応答性」と言います。責任とは「応答責任」「説明責任」の事なのです。

 日本の出版業界は、自分たちの出版物に対して「レスポンシビリティ」を果たしていますか?

 あなたたちがその責任を負わないなら、これからも負うつもりがないなら、大手プラットフォーマーはあなたたちの代わりにそれをするでしょう。あなたたちに文句を言える義理は無い

 出版に携わる皆さん、いま一度考えてみませんか。チキンレースで倫理を破壊する事の是非を。一度考えてみませんか。自分たちで倫理を確立して、自分たちで統制することを。自分たちが荒らしてしまった市場の信頼を回復するためにも、あなたたちは自分たちの手でそれをしなければいけないと思います。

 大手プラットフォーマー規制に手を伸ばしたのはいい機会だと思います。もし自分たちでルールを作り、基準を作り、認証をし、それが大勢を納得させられるものなら、大手プラットフォーマーは自分たちで規制する事まではしないでしょう。たとえばyoutubeの映像コンテンツは、各国のレーティングコードを流用して利用の規制をしています。AIは万能じゃないし、グローバル時代に全てを人力で審査するのは無理がある。信頼出来るレーティングが存在しているなら使わない手はありませんから。

 もう一度言いますが、これはいい機会です。今がチャンスですよ。「出版業界のレーティング機関の設立」を考えてみませんか。

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