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【縮小する湖】アラル海、ウズベキスタン🇺🇿

アラル海をご存知でしょうか?
湖の南側はウズベキスタン、北側はカザフスタンにあり、両国にまたがっている湖です。

アラル海の位置
NASAの衛星写真より

かつては68,000km2の面積を持つ世界4位の湖でした。
しかし1960年代から急激に縮小し、今も縮小を続けています。
現在は4つの湖に分裂し、元の面積の10%程になってしまいました。

いったいなぜ、このようになってしまったのでしょうか?
今、現地はどうなっているのでしょうか?

以前から気になっていたので調べてみました。
旅行プランも考えたので書いてみます。

(サムネイル画像:By Arian Zwegers - Moynaq, Aral Sea, CC BY 2.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24488347


アラル海

アラル海はかつて、1つの湖でした。
1960年代以降、アラル海の縮小が始まり、やがて小アラル海と大アラル海に分裂しました。大アラル海はさらに分裂してバルサ・ケルメス湖、東アラル海、西アラル海となりました。

左)1989年、右)2014年のアラル海
NASAの衛星写真より

すごい変化です。
これは20世紀最大の自然破壊とも言われています。
つまり、アラル海の縮小は人の手によるものなのです。

2014年のNASAの衛生写真によると、アラル海の東側は完全に干上がったと見られており、現在はアラルクム砂漠と言われています。
現時点で、最も新しく出来た砂漠です。

砂漠化したかつてのアラル海の海底
By upyernoz - originally posted to Flickr as Aral Sea Bed, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4599817

アラル海は生態破壊の一つとも考えられています。縮小によりアラル海の塩分濃度は劇的に上昇し、海水よりも高くなってしまいました。
元々は10g/Lでしたが、1990年では376g/Lとなりました。
海水は概ね35g/L、死海は300〜350g/Lです。

干上がった部分には塩が残りました。
また軍の武器のテストや殺虫剤、化学肥料等の使用による有毒物質も残りました。

その結果、アラル海周辺は汚染が進み、深刻な健康被害が報告されています。

アラル海が縮小している原因

アラル海縮小の原因は1940年代後半に遡ります。
当時のソ連指導者であるスターリンによって自然改造計画が提唱されました。

この計画には、ソ連内の農業生産性を上げるための土地開発や運河建設などが含まれていました。
この計画の背景には、1946年の干ばつと翌年の飢饉により多数の死者が出たということもあると考えられています。

かつてアラル海には、シルダリヤ川とアムダリヤ川の2大河川が流入していました。

上がシムダリヤ川、下がアムダリヤ川
Kmusser - I, Karl Musser, created it based on USGS data., CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=425403による

自然改造計画は主に、シルダリヤ川とアムダリヤ川の水を人工的に農地へ引くといったもので、大規模な灌漑農業が計画されました。

たとえばシルダリヤ川の水は、フェルガナ盆地の農地200万haに使用されました。200万haと言われてもピンとこないのでkm2にすると20,000km2になります。
四国の面積は18,800km2です。

つまり、四国よりも広い農地に川の水を引いたということです。
あまりにも規模が大きいですね。
(こんなに広大な土地へ水を引くと、どうなるか想像できそうな気もしますが…)
これは一例で、灌漑は他にもいくつかあると思います。

1960年代序盤から、ソ連は綿花を主要輸出品目にすることを計画しました。
アラル海へ流れるはずのアムダリヤ川の南部とシルダリヤ川の東部の水は、綿花、メロン、米、穀物を栽培するために、砂漠での灌漑に転用されました。

この政策は一時的には成功し、ウズベキスタンは世界一の綿花輸出国になりました。

しかし、多くの運河は粗末な作りだったので、漏れたり蒸発したりしました。
中央アジアで最大のQaraqum運河では、30〜75%の水が無駄になったと言われています。

アラル海縮小の影響

灌漑事業の結果、1960年代からアラル海は急激に縮小し始めました。
アラル海では漁業が盛んでしたが、1970年代後半には塩分濃度の上昇によって魚が取れなくなってしまいました。

農業には農薬や殺虫剤が使われていましたが、水源が減り水質や土質が悪くなるにつれ、殺虫剤の使用量は増えて有害物質による汚染が加速しました。

アラル海の水が減少するにつれて汚染物質は濃縮されます。そして汚染物質は風により周囲に急速に広がっていきました。

川の下流や縮小前の湖岸に住む住民は、汚染された地元の飲み水の摂取や汚染された空気を吸い込むことにより、健康被害が出始めました。

砂嵐により塩が堆積して水不足を引き起こしたり穀物が破壊されてました。
作物の収穫量保護のために過剰な殺虫剤が使用され、有害物質の蓄積が加速しました。


ソ連は早い段階からアラル海の縮小を予期していたとも言われていますが、灌漑政策は閣僚会議と政治局で承認した5ヵ年計画の一部であったので、誰も反論しませんでした。

1960年代後半、ソ連の専門家の中には『アラル海の蒸発が避けられないことは誰の目にも明らかだ』と考える者もいたようですが、止めることはできませんでした。

1960年から1998年の38年間で、アラル海の面積は60%、貯水量は80%減少しました。
面積は68,000km2から28,687km2に縮小し、世界で4番目に大きな湖から8番目になりました。
(それでも8番っていうのはすごいですが)

1989年に、アラル海はついに大アラル海と小アラル海に分断されるまで縮小しました。
2003年以降、大アラル海はさらに分断され、縮小を続けています。

アラル海の再生のために様々な取り組みの提案、実施がされてきていますが、周辺国の利害不一致や対立などによりなかなか進んでいないのが実情です。
仮に灌漑を全て止めたとしても、アラル海を再生するまでには何十年もかかるという説もあります。


モイナク

アラル海に関連する町を1つご紹介します。
ウズベキスタン西部にある、モイナク(Moynaq)という町です。

この町はかつて活気のある漁港でした。
人口が数万人を超える港町は、ウズベキスタンではモイナクだけでした。

しかし現在は、町が湖岸から100km以上離れてしまっています。

かつての湖岸にある記念碑です。
By ChanOJ - Own work, CC BY 2.5,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1110182

モイナクは漁業と缶詰などの食品加工が中心の町でした。
しかしソ連の灌漑政策によりアムダリヤ川、シルダリア川の水が農業に使用されるようになると、1960年代頃からアラル海の縮小が始まり、モイナクの経済は破綻しました。

今のモイナクには漁船団の残骸が、かつての海底の砂の上に錆びて横たわっています。

船の墓場。かつての湖底に取り残された船
By Arian Zwegers - Moynaq, Aral Sea, CC BY 2.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24488347

町に近づくにつれ、道路が周囲より高くなっていることが分かります。
モイナクの悲劇は至る所にあります。
町の入口には魚が描かれており漁業中心の町だったことを示していますが、いまや漁船が記念碑のように立っており、かつての景色は見る影もありません。

モイナクの入口。看板には魚が描かれています。
By Martijn Munneke from Netherlands - Welkom in Moynaq, eens een van de grootste vissersplaatsen aan het Aralmeer, CC BY 2.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7527523


旅のプラン

ここまで、アラル海の縮小の経緯や衰退した町について書いてきました。
どちらかと言えば、ネガティブな印象があったかもしれないです。

でも実際に行ってどんなところなのか見てみたいと思ったので、アラル海を見に行く旅行プランを考えてみました。

個人的にとても気になるアラル海ですが、
ウズベキスタンには他にも

・サマルカンド
・タシケント
・ブハラ
・ヒヴァ

などなど、魅力的な場所がたくさんあります。
せっかくなので、そこも訪れるプランです。

旅の概要

2週間程度でアラル海(ヌクス、モイナク等を含む)、ヒヴァ、ブハラ、サマルカンド、タシュケントを訪れるプランです。

今回はアラル海をメインで書いたので、他の観光地はあっさり目に書いてます。

初めに飛行機でヌクスまで行き、アラル海をみた後は東へ移動しながら各都市を巡ります。
ヌクスはウズベキスタン西部にある街です。

旅の概要

1日目 タシュケントへ移動
ヌクスへ行くには一旦、首都のタシュケントまで行く必要があります。

関東発であれば毎週金曜日に、成田からタシュケントまで、ウズベキスタン航空の直行便があります。
(2024年8月から、週2便になる予定だそうです。2024年4月現在)
関東以外から成田への直行便に乗るには、前泊しないと成田の便に間に合わなさそうです。

金曜日以外の関東発、または関東以外の地域からだと、例えばソウル経由があります。

フライトの例(価格は変動します)

タシュケントからヌクスまでは、ウズベキスタン航空で1日に2便ほどあります。
成田発の直行便であれば、出発日と同日夕方のヌクス行きの便に乗ることができます。ソウルを経由すると、タシュケントで1泊して翌朝の便で移動します。

2日目 ヌクス観光
ヌクス(Nukus)は、ウズベキスタンで6番目に大きな都市です。
ウズベキスタン内の自治共和国である、カラカルパクスタン共和国の首都です。
カラカルパクスタンは、ウズベキスタンの面積の4割弱を占めます。

ある本には、『ウズベキスタンで最も魅力のない都市の1つで、他の魅力的なシルクロードの都市と比べると観光客はほとんどいない』と酷評されています。
そういう都市ほど、気になりますけどね。
大通りや古いアパートがあり、数十年前のウズベキスタンを感じる町だそうです。

Nukus Museum of Art
ヌクスにある美術館です。
民俗学者のイゴール・サヴィツキーが収集した絵画や資料が展示されています。

奥の建物が美術館です。
By Yussar - Self-photographed, CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=80172010

1918年〜1935年に、スターリンはソ連内からソビエト芸術以前の芸術を排除しようとしました。

そのような中、サヴィツキーは公然と前衛芸術品を収集していたそうです。

ヌクスが僻地であったため、サヴィツキーが収集した芸術品と彼自身はソ連当局から免れることができたそうです。

Karakalpak State Museum of Regional Studies
地域の歴史、民俗学、宝石類などの展示が行われている博物館です。


アラル海ツアー

3〜5日目
アラル海周辺は、フリーで周るのは効率が悪いので、現地ツアーで回るのが良いと思います。

モイナクに行くだけなら、フリーでもありだと思います。
ヌクスからモイナクの乗合タクシー:日帰りで250,000 sum(約3000円)

モイナク以外も見たいなら、ツアーの方が良さそうです。
(砂漠の中を車で走ったりしないといけないので)

2泊3日のツアーにします。
ツアーはユルト泊(遊牧民のテント)です。
いくつかツアーがあるようですが、AyimTourというツアーにしてみます。

現地ツアーの主なプランは以下の通りです。
現地ツアー1日目
・ミズダカン(Mizdakhan)
ヌクスの西方20kmにある古代都市です。古代の墓があり、ミステリアスな雰囲気があります。

advantourHPより
https://www.advantour.com/uzbekistan/karakalpakstan/mizdakhan.htm

・モイナク
モイナクは既に書いたので省略します。

・ウスチュルト台地(Ustyurt Plateau)
ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタンにまたがる古代の地層です。何百万年もかけて圧縮された地層で、風雨や時間の経過によって独特の形状をしています。

AdvantourHPより
https://www.advantour.com/uzbekistan/ustyurt.htm

・ユルト泊
この辺でしょうか?
泊まれるところがあるみたいです。

現地ツアー2日目
・ウスチュルト台地
ウスチュルト台地2日目です。広大すぎて1日では回れないということでしょう。

・ソ連の軍事試験場
個人的にとても興味あります。場所などの情報はやはり簡単には見つかりませんね。

・アラル海の海水浴
塩分濃度が高いので体は浮きます。
ですが有害物質のことを知ると泳ぐ気にはならないです。笑
ガイドは泳ぐことを強制はしないそうです。

・ユルト泊

現地ツアー3日目
・Davletgirey (Kurgancha-Kala)
古代に、ホラズム王国と遊牧民の交易の場として建てられた建物の跡を見学します。

・Kubla-Ustyurt
砂漠の真ん中にある小さな集落です。この地の歴史や、なぜ人が住み続けるのか学べるそうです。
ラクダのミルクを飲むこともできるそうです。

・The abandoned fishing village Urga
Sudochie湖の湖岸にあるかつての漁村です。今は荒廃しています。

・Barsa-Kelmes
ウズベク語から訳すと、『帰らざる場所』だそうです。かつての塩湖の湖底で、現在は膨大な量の塩があります。

かつての湖底
AdvantourHPより
https://www.advantour.com/uzbekistan/karakalpakstan/barsa-kelmes.htm

・ヌクスへ戻り、ホテル泊


6日目 ヒヴァへ移動
電車では行きにくそうなので、普通のタクシーか乗り合いタクシーで行きます。

普通のタクシーの場合はヒヴァまで指定すれば行ってくれると思います。
乗り合いのタクシーの場合、一旦ウルゲンチ(Urganch)まで行き、乗り換える必要がありそうです。
乗り合いタクシーだと4〜5時間程度かかりそうです。


7日目 ヒヴァ観光
中央アジアの宗教都市です。
旧市街のイチャン・カラは世界遺産に登録されています。
中央アジアの都市に存在する内城のうち、無傷なのはヒヴァだけなのだそうです。

By Fulvio Spada from Torino, Italy - View from the city walls, Khiva, CC BY-SA 2.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=40013639
By Davide Mauro - Own work, CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=59823231


8日目 ブハラへ移動
おそらく、かなり疲れが溜まってそうです。
この日はほとんどが移動です。

ブハラまでは電車で、約7時間かかります。
ヒヴァからは、タシュケント方面へ向かう電車があります。
(ヌクスからヒヴァまで電車で行けないのは、ヌクス→タシュケントと、ヒヴァ→タシュケントで線路が異なるからです。途中で合流しているようです。)

電車はロシア式の寝台車です。
疲れてたら寝るのもありかと思います。
(私は車窓から景色を見るのが好きなので起きていたいです)

11時過ぎに出発して、18時過ぎに着きます。
旅の疲れでヘトヘトになりそうです。

ブハラ駅。AdvantourのHPより
https://www.advantour.com/uzbekistan/bukhara/railway-station.htm


9日目 ブハラ観光
シルクロード上の歴史あるオアシス都市です。
ミナレット(イスラムの施設に付随する塔)や城塞などがあります。
歴史地区として世界遺産に登録されています。

アルク城
By Stomac - Own work, CC BY-SA 2.0 fr,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11911497


10日目 サマルカンドへ移動、観光
サマルカンドまで電車で移動します。
ちょっと頑張って朝5時半の電車に乗れば、8時頃にサマルカンドに到着します。

サマルカンド駅
By Akhemen - Own work, CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76340159


11日目 サマルカンド観光
ウズベキスタンといえば、サマルカンドは外せませんね。
こちらも世界遺産です。
美しい建物がたくさんあります。
こんなに美しい建物、どうやって作ったのでしょう。

有名なレギスタン広場です。
By Ekrem Canli - Own work, CC BY-SA 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30581520

12日目 サマルカンド観光
サマルカンドは見どころが多そうなので、日程多めにしました。

By Jama sadikov - Own work, CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=82671171


13日目 タシュケントへ移動、観光
朝8時半過ぎの電車でタシュケントへ移動します。
12時半頃、タシュケントへ到着します。
いよいよ最後の都市です。

タシュケント駅

14日目 タシュケント観光
こちらも歴史的なオアシス都市です。
古い建物はロシア革命時に破壊されたり1966年の地震で壊れたりして、他の都市に比べると歴史的建造物は少ないそうですが、その代わりにソ連時代に建てられたモニュメントなどが多く残っているようです。

タシュケントの町並み
By Muso1996 - Own work, CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=138827422

タシュケントは地下鉄の駅の美しさでも有名です。

Alisher Navoiy駅
By Adam Harangozó - Own work, CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=97570251
ホテルウズベキスタン
By Quatchenerlo - Own work, CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=133629640

15日目 観光、タシュケント出発
フライトは夜なので、夕方まで観光できます。

タシュケント空港

16日目 帰国


おわりに

いかがでしたでしょうか?
後半は綺麗な観光地ばかりで、前半のアラル海のことを忘れてしまいそうです。笑

世界にはまだまだ色んな場所があるんだなぁということを改めて思います。
ウズベキスタンには気になる街がいっぱいありすぎて、詰め込んだら2週間以上になってしまいました。
こんなに長期間な旅行、いつになったら行けることやら…笑

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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