見出し画像

【025】ブッダの生涯-【1】(仏教哲学の世界観第2シリーズ)

仏伝の重要性とその面白さについて

前回までの第1シリーズでは仏教における大まかな誕生の経緯と、その基本的な考え方、そして組織としての基本構造について。
そこから三宝である「仏法僧」の考え方を解説されました。

第2シリーズの初回は仏伝の重要性とその面白さについて解説されています。


このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
主な教材は仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座の内容をまとめています。
もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはX(Twitter)などでご指摘いただけると幸いです。

あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。



ブッダの生涯1

https://youtu.be/Ldu6Rsjma0c?si=dzCvxeKzoMdh92-K

AIによる要約

花園大学の佐々木閑教授が、遠隔教育プロジェクトの一環として、YouTubeで仏教の歴史とその教義に関するビデオシリーズを作成しています。第1シリーズでは、物語の定義と仏法僧の詳細な説明に焦点を当て、24回のエピソードで終了しました。第2シリーズでは、仏陀の生涯について掘り下げます。このシリーズは、視聴者がいつでもアクセスできるように独立しており、仏陀の教えとその影響を理解するための重要な鍵として、仏教徒たちの思いが込められた仏伝についても触れます。教授は、仏教の深い理解を促進するこの教育的取り組みを通じて、学生とのやり取りを重視しています。

学習したこと

第2シリーズのテーマはブッダの生涯

第2シリーズのテーマは「ブッダの生涯」である。
仏教徒にとって、ブッダであるお釈迦さまの生涯を知るということは、どのように悟り(=究極の心の安楽)を得たのかの重大なヒントとなる。
お釈迦さまの一生の出来事を知り、これを追体験することでより悟りへの道に近づくことができる。

仏伝で語られるお釈迦さまの生涯

そのお釈迦さまの生涯は「仏伝」として語り継がれている。
しかし、この仏伝も2500年前のインドでは文字で残すという文化がなく、すべて口伝となっていた。

信者にとって、大宗教家である「お釈迦さまに対する思い」というものはとても強い。
このことから語られる仏伝は変容したり、誇張されたり、実際には無かった事が加わったり、あるいは関係の無い他の逸話から持ち込まれたりする。
このように、お釈迦さまに憧れる弟子たちの理想や主観が盛り込まれることによってほぼフィクションのような形態として残っていった。

このような「物語」として仏伝は数多く存在している。
まとまったものでも何十本、断片的なものまで入れると数え切れないほどの量がある。
なお、手塚治虫の漫画「ブッダ」も、かなりのフィクションが加わっているが、これも一種の仏伝と言える。

膨大な量の仏伝はそれぞれ内容が異なっており、似たような内容のものはあっても、別のものとして存在する。

フィクションとしての仏伝に価値があるか?

このことから、信ぴょう性のない仏伝でもってお釈迦さまの人生を正確に理解することは不可能ではあるが、それであっても当時の仏教徒がどのようにお釈迦さまを理解していたのか。という重要な資料になる。

つまり仏伝とは、お釈迦さま自身ではなく、仏教を知るための鍵となるのである。
同時に、仏伝を知り、どの仏伝に惹きつけられ、自分がどのように仏教を受け止めるかで自分の持つ仏教に対する世界観を写す鏡ともなる。

仏伝をどのように仏教のなかに位置付けるか

マイケル・ファラデーという科学者の著作に『ロウソクの科学』というものがある。
この書籍は、子供から科学に興味のある人、さらには一般の人々に対して非常にわかりやすく科学を解説したファラデーの講義を元にしたものである。
その内容は科学の面白さを解説したものであるが、テーマは「ロウソク」である。
誰でも知っているロウソクを、化学や物理学、さらには生物学まで、あらゆる角度から見た解説を行う。

こうすることで話を広げ、最終的には科学の世界全体を説明にまで到達する。

ここで扱われているロウソクが、仏教における仏伝の立ち位置であると考えられる。
多くの人が知っている「お釈迦さま」を仏伝を通してあらゆる角度からどのように受け入れられていたのかを理解する

これが仏伝を理解する最大のメリットとなる。

感想

第2シリーズは仏伝から見るお釈迦さまの生涯

今回から第2シリーズ。
仏伝からお釈迦さまの生涯を語るということだが、どこまで正確なものになるだろうか。
口伝であり、信者の思いのこもったフィクション混じりの物語で果たしてどこまでお釈迦さまの実像に迫ることができるだろうか。

これは歴史小説で歴史を知るようなものだろう。

日本だと司馬遼太郎による「竜馬がゆく」だとか「燃えよ剣」とか。
実在した人物の人生を小説として面白く脚色したものだ。

日本人が好きな「三国志演義」もそうだろう。
こちらは歴史書として正史の三国志もあるわけだが、仏教の場合ではお釈迦さまの生涯を正しく記録したものは無いようだ。
なので、仏伝をもとにしたお釈迦さまの解釈は常に考慮に入れないといけないし、いっそのことファンタジーだと思い込んでおいた方が良いかもしれない。

額面通りに受け取るわけにはいかないので

だからこのシリーズにおいては、お釈迦さまを理解…というよりはお釈迦さまを慕ったファンがどういうふうにお釈迦さまを見ていたか?を念頭において、より俯瞰的に取り組む必要があるだろう。

科学が発達していない時代の大昔ならばファンタジーも信じられてはいたのだろうが、僕は科学全盛の現代人だし、信じなきゃいけない仏教徒でもないのだから。

それにしても、2500年前のこととはいえ、文字としての記録が残っていないのは困るな。


次回は「ブッダの生涯2」 (仏教哲学の世界観 第2シリーズ)
数多くの仏伝は時間によって積み重なり変化していきますが、まずは最終形態の仏伝を把握する必要があります。次回はその全体像を解説されます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?