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八ヶ岳 標高1300mでレコーディングするということ

 この記事は、ぼくが2016年にプロデュースしたフルート奏者・木ノ脇道元さんとサックス奏者・大城正司さんのハイレゾ収録アルバムについて、管楽器専門誌『パイパーズ』2017年7月号にご掲載いただいた記事原稿をもとにほんの少し改稿したものを、『パイパーズ』編集長・佐藤拓さまのお許しを得て公開するものです。とてもマニアックでしかも奥深い管楽器音楽文化を開拓してこられた雑誌『パイパーズ』も2023年4月号で残念ながら休刊となりました。おおくの管楽器奏者のアルバムプロデュースを手がけてきたぼくにとって佐藤さんのことばはひとつひとつがほんとうに心強かったのです。

『パイパーズ』2017年7月号

 ぼくは多数のレコーディングを手がけさせていただきましたが、そのなかでも最も思い入れが強く、いまでも深い満足感を持っている、この八ヶ岳録音の記録を、『パイパーズ』への感謝も込めつつここに転載し残したいとおもいます。

録音地周辺の小道

--プロデュースされたフルートの木ノ脇道元、サックス大城正司両氏のアルバムはハイレゾで録音され配信されていますが

ISODA: そもそもの発端はソニーミュージックグループの音楽配信サイトmoraを運営する株式会社レーベルゲートさんから、ハイレゾに特化した独自音源を作りたい、波音など自然音の録音はできないか、というお話を頂いたことでした。
 ちょうどぼく自身が脚本を書いた沖縄オールロケの音楽映画『島々清しゃ』のクランクイン直前で、映画側にもフィードバック可能なご提案でしたし、ハイレゾ収録の勉強もしてみたいという動機でお引き受けしたのです。実際に沖縄で自然音をDSD2.8MHzで収録しマスタリングしてみて、空間描写、空間再生能力がPCM録音とは全く異なると感じ、この空間表現能力を活かしたDSDでの音楽制作をしてみたいという欲が出ました。木ノ脇さん、大城さんのハイレゾ収録でのアルバム録音を手がけたのは、こうした経緯によるもので、企画の端緒からハイレゾ配信のみを考えていたわけなのです。

--録音でこだわりのポイントは

ISODA: 前述した形での音楽制作を実現するにあたって、最初に発想したのが木ノ脇道元さんの無伴奏アルバムでした。一見エキセントリックでいて、実際は奥深い音楽的視野と伝統的技術の軸線上に立った丁寧な活動をされてきた木ノ脇道元という演奏家の現在を、演奏空間全体のありようとともにそのまま収録したいと考えたのです。その空間は既成のホールやスタジオではなく、山中に求めました。高原でのトレッキングを楽しんでいるぼくは、高山の音環境の素晴らしさを知っていましたから。
 リサーチの結果出会ったのは、手垢のついていない八ヶ岳の標高千三百メートルの森林の中に建てられた木造の教会で、録音に使用されたことはまったくなく、周辺の音環境も理想に申し分ないものでした。礼拝堂内部の響きも、ウッディで暖かくナチュラルなもの。特に音響設計された建築物ではありませんが、とても大きな魅力を感じたのです。

教会内部

 ここでの木ノ脇さんは礼拝堂のナチュラルな響きと「交歓」しながら演奏されていたように思います。特に防音もされてはいない建物ですけれど、周囲のバックグラウンドノイズの少なさが、人工的に作り出された「無音」とは異なる空間の美しさをもたらしていて、ぼくたちは木ノ脇さんの音が「美しい無音に帰ってゆくさま」まで収録するよう心がけました。演奏「ノイズ」もノイズではなく演奏の一部と解釈し、より慎重にとらえています。楽器内を駆け抜ける風までも「自然」として感じたい。優れた音楽家の演奏時の音は全て、音楽的なのだと思うのです。こうしたことを「無伴奏」という究極的な形態でやり遂げた木ノ脇さんは、こう語っています。

「初めてDSDで録音した自分の音を聴いた時、いままで録音に対して無自覚に妥協していた自分に気づかされました。特に無伴奏の演奏では、フルートのような高音楽器で、いかに倍音を豊かに含んだふくよかな音を作るか、というのがプレーヤーの生命線ですが、DSDの録音技術はそうしたプレーヤーのひそかなこだわりを余すところなく拾ってくれる気がします」

木ノ脇道元さん 録音セッティング中

 木ノ脇さんはDSD2.8MHzで収録しましたが、大城さんの録音は欲張ってDSD5.6MHzでも行いました。やはり同じ教会で、名曲小品ばかりの一発録りです。有名曲の一発録りは、プレイヤーにとって恐怖の連続。誰でも知っているからこそ、ミスはもちろん、ささいなフレージングに至るまで気が抜けません。大城さんは録音の感想をこう言います。

「あの教会で演奏して、透明感のある自然な響きに包まれていく感覚がありました。まるで空間そのものが楽器の一部のように感じられたのです。DSDではそんな立体感やニュアンスまで再現されると思っています」

 楽器内の風の音、リードに唇が触れる音はもちろん、「静かにリードから離れていく所作の連続的な音」に至るまで聞き取れます。教会を取り巻く八ヶ岳の環境全体をも含めた空間との出会い、楽器と音楽と空間との広義の「交響」が、こうした楽しいハイレゾ収録作業を実現してくれたのだと思うのです。
 余談ですが、大城さんの収録中、ニホンジカが窓からのぞいていました。これは忘れられないエピソードとなっています。

大城さん録音中にやってきたオーディエンス

--ハイレゾ再生環境について

ISODA: 少し前までは、ハイレゾオーディオはピュアオーディオの延長上のマニアックな世界と見られていたと思うのですが、近年ハイレゾ対応ポータブルプレイヤーやスマホが手ごろな価格で登場し、身近な存在になりました。特にここ数ヶ月でハイレゾ対応をセールスポイントにしたスマホが相次いで発売され、今までよりも「ハイレゾ」の認知度が高まりつつあるように感じます。ピュアオーディオファン、アニメファンがハイレゾユーザーの中心でしたが、今後こうしたデバイスの普及で大衆化していくのではないでしょうか。また安定したネット環境と大容量メモリカードの低価格化で、ファイルサイズが大きいハイレゾ音楽ファイルの配信での入手も、身近なものになっているように感じられます。
 スマホに好みのヘッドフォンをあわせてハイレゾを楽しむという、カジュアルなスタイルが主流になるのでは? もちろん、高級オーディオの世界もより特化したシステムが登場してくるものと思っています。
 いずれは「ハイレゾファイルだと意識していなくても、デフォルトでハイレゾフォーマットの音楽ファイルを聴いている」時代が来るのではないかとも感じはじめています。
 最後に、ハイレゾという観点で特記しますと、木ノ脇さんのDSD2.8MHzのアルバム、大城さんのDSD5.6MHzのアルバムは、録音からマスタリング、製品に至るまで一貫してDSDネイティヴ。いったんPCMにしてDSDに戻すといった過程は、ソフトウェア内部での変換も含め、一切経ていません。
 本物のピュアDSDアルバムなのです。

木ノ脇道元 / The ORGANIC SPACE 無伴奏フルート作品集
大城正司 / ロマンティック・サックス ~やすらぎの美メロ・クラシック名曲集~


付記: 今読みかえしますともっと修正したい部分や補足したい部分もありますし、ユニークなエピソードもたくさんあるのですが。いつか機会があれば書くこともあるかも知れませんが、とりあえず、いまは、ここまで。

さらに付記: 大城さんのアルバム"The Romantic SAX"のMVをぼくのYou Tubeチャンネルにアップしました。よろしければこちらでもご覧ください・


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