攻め方のセオリー
物事には必ずセオリーがあるそうです。
最近はほとんどテレビを見なくなりました。ネットが普及したこともありますが、魅力を感じなくなったことも大きいでしょう。先日は妻に誘われたので、「昭和世代 VS Z世代」を見ることに。
番組内で紹介されていたのは、「男女七人夏物語」でした。最悪の出会いから、再会して恋に落ちる。それが鉄板のパターンであり、当時の恋愛ドラマのセオリーだったとのこと。
実際の出会いなら、最悪の出会いから恋愛に発展することはまずないでしょう。偶然の再会もなければ、受け入れられることもありません。
人は第一印象が重要です。最悪の第一印象を覆すなんて、私には無理。諦めるというか、こっちも受け入れられません。
しかし、逆に現実では起こり得ない状態が、当時の視聴者に受け入れられていたのでしょうか。
そう考えると、Z世代に全否定されていたことにも納得です。Z世代の考え方は理解できませんが。
当時は恋愛ドラマにセオリーがあることにも気がつかず、テレビ局の掌の上で転がされていた人も多かったでしょう。かくいう私もその一人。孫悟空のように、どれだけ遠くへ逃げても掌からは出られません。
できればお釈迦様側になって、孫悟空をあざ笑いたいものです。
ずっと掌の上で踊っていた経験談を書きました。
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攻め方にセオリーはあるのか?
昭和62年に発行された佐藤成明範士が書かれた書籍「剣道・攻めの定石」は、まさに攻め方のセオリーを記された名著といっても過言ではありません。
私が持っている書籍は平成16年の第7版です。恋愛ドラマのセオリーには時代の流れが大きく影響するかもしれませんが、剣道のセオリーは変わることがありません。
それはまさに古を稽える。日々の稽古は先人の訓えを継承するために行なっています。
「剣道・攻めの定石」を改めて読んでみると、攻めへの考え方がよく理解できます。たとえば、第1章では「中心を取るための基礎動作」が紹介されていました。
具体的には下記の6種類の方法です。
触れる
押さえる
はじく
打ち落とす
払う
巻く
先の技を打つ際、上記の方法で中心を取る方法は有利に働くでしょう。ただし、大人になるにつれて先の技ばかりでは面白味に欠けます。単純にスピード競技に近いイメージ。深みがないとでも表現すべきでしょうか。
剣道のセオリーは先の技だけではない!!
あなたは、そう思いませんか?しかしながら、「剣道・攻めの定石」の中に記されている内容は、ほとんどが先の技ばかり。私の理解力がないのかもしれませんが……
実を攻めて虚を打つ
剣道では、中心を取るだけではなく「実を攻めて虚を打つ」こともセオリーの一つです。いわゆる「虚実の攻め」と言われるもの。実と虚とは何でしょうか。
実:充実していて隙の無い所
虚:不十分で油断、隙のある所
つまり、隙のないところを攻め、作り出した虚を打ちます。
たとえば、「面を打つぞ!」と気魄で攻め、相手の変化によってできた隙を打つようなイメージです。ややもすればフェイントや騙し討ちのようなイメージが強いかもしれません。
具体的には、実際に面を打つ動作をして、面を除けさせて小手を打ったり、斜面を打ったりします。しかしこの場合、面を打つ動作は得策ではありません。なぜなら、自分自身に隙ができるからです。
したがって、面を打つ動作を少しずつ小さくしていき、足りない部分を気魄で補う攻め方がおすすめ。気で圧すイメージです。
小手を攻める場合も同様。実際に小手を打つ動作ではなく、小さな動作で相手に「小手を打たれる」と思わせることが重要です。小手を庇ったことで出来上がった隙(虚)を打てば良いでしょう。
基本は突き攻め
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