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銚子市 白幡神社と庚申塔、八幡大神



◆白幡神社

銚子市中央区、銚子漁港から歩いて二分ほどの距離に白幡神社はある。

漁港が近いといっても、潮の匂いはしない。
連日の雨で境内には湿潤した空気が漂っていた。


社殿前の案内板。
ここから案内板の文章を一部引用しつつ、白幡神社の紹介をする。

●社名の由来

社名は源義経が弁慶と亀井六郎を連れて参詣に訪れた時に、白い幡(幟)を残して帰ったという伝説に由来し…

銚子資産活用協議会 案内板より引用

社名については上記の通り。
興味深いのは千葉県山武市白幡の「白幡八幡神社」や千葉県千葉市中央区新宿の「白幡神社」など、千葉県各所に似たような話が残っていることだ。
しかし、上記二社と違う点がある。それは二社とも幡を納めた人物が源頼朝である点だ。
源義経源頼朝、この違いは何なのか…これだけ調査しても面白そうである。

●白幡神社周辺の様子

..この周辺には、東北地方の一般商術物を扱う「気仙商屋」が軒を連ね、東北地方との物資の中継地として、また演口家をはじめ紀州出身の醤油屋も集中していたので、たいそうな賑わいを呈していたことが伝えられています。

銚子資産活用協議会 案内板より引用

白幡神社がある「中央町」は古来は「荒野村」として栄えていた。
この白幡神社は江戸時代より荒野村の氏神様として住民、商人や醤油屋に崇拝され、夏に行われる例大祭には明治前まで高崎や仙台藩からも定期的に寄進が届けられていた。

後で紹介する庚申塔の中にも東北地方の商人から寄進されたものがある。
(下写真)

銚子資産活用協議会 案内板より



◆庚申塔と八幡大神


●庚申塔など

社殿の東側に庚申神社があり、その周辺に庚申塔が多く置かれている。

社殿の土台に寄りかかって置かれた庚申塔。
下部が消失している。


側面


脇にある謎石造物。
「○○○○(人名) 司 」という形で記されている。

庚申神社。先ほどの庚申塔はこの神社の正面にある。

…そしてこの神社の後ろに

庚申塔群がある。各々紹介していこう。

左側面:願主 下明神町中

二童子、四夜叉付き
裏面、左側面に村名、年月日等が彫られているが判読できず。

左側面:明和九年正月申…..(以下判読できず)

明和九年(1772)造立
二童子、四夜叉、三猿付き



銚子最古とされる庚申塔。
延宝八年の銘があり、荒野村の区割りについて刻まれていると銚子資産活用協議会のサイトに書いてあったが確認できず。


右正面:明和三 丙戌 三月吉日
左正面:奥州仙臺石之巻春日新艘十五人乗舩中

これが「●白幡神社周辺」の様子で紹介した東北地方の商人から寄進された庚申塔。


右側面:七月吉日

三猿などは無いが表情が良い。

銘文確認できず

庚申塔に挟まれた庚申塔。三猿付き。

ちなみにこの庚申塔だけ明らかに材質が異なる。

右側面:寛政十二十一月吉日

文字のみ


右側面:寛政十一年..

三猿無し。邪鬼もしっかり掘られている。

先程の庚申塔と比べ邪鬼が土下座っぽい体勢をしている。

右側面:寛政二年○六月吉日
倍田源八

こちらの邪鬼は指先までしっかり彫られている。

左側面:享和三戌十一月吉日

北三夜?月待塔の類か?

銘文確認できず
左側面:寛政九五月吉日
銘文等確認できず
銘文等確認できず

下部の状態が悪く邪鬼が彫られているのかわからない。

●八幡大神

銘文等確認できず

これは馬乗り馬頭観音!....ではなくて八幡大神。
房総の石仏100選にも選定された希少な石像だが、私がインターネットで見た画像ではしっかりと馬の首が付いていた。しかし画像ではご覧の通り首なし馬になっている...


コ字型に配置されている。今回は写真左上の像から時計回りに紹介した。

……….以上で白幡神社周辺の石造物の紹介は終わりとなるが今後、銚子周辺の石造物を何本か投稿する予定なのでお楽しみに。


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