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坊っちゃん劇場『ジョンマイラブ』 絶賛漂流中の日本に希望をもたらす快作

コロナ禍に開幕し、実に1年半に及ぶロングランを達成した、坊っちゃん劇場の『ジョンマイラブ』。昨年2月に観に行ったが、千秋楽を前にもう一度観ておきたいと考え、1年ぶりに愛媛に向かった。

作品の概要と坊っちゃん劇場については昨年のエントリーで。

実は前回、ちょっと心残りがあった。それは『マンマ・ミーア!』はじめいくつかの舞台でヘビーに観ていた五十嵐可絵の出演を見逃したことだ。このまま俺の中でのジョンマイラブは終われない、と捲土重来を期していたが、千秋楽を前に五十嵐可絵が三度目の登板。ようやくそれが叶った。

五十嵐可絵といったら、何といってもキレッキレのダンスである。彼女が本作で演じるおクニは女中さんという役どころだが、激しい振りのダンスも含む、かなり「動く」役。そのポテンシャルを存分に感じさせてくれるのはもちろん、コミカルな表情からその内面をのぞかせる細かい所作まで、さまざまな舞台で磨き上げてきた演技力をいかんなく発揮していた。

大満足で、思わずサイン入りブロマイドまで購入してしまった。さらに、先日他界された松本零士先生の手による五十嵐可絵主演『幕末ガール』缶バッジも。

さて『ジョンマイラブ』という作品がいかに素晴らしいかは前回語ったが、1年ぶりに観て、さらに感動が深まった。

たぶん、昨年11月、12月とコロナ禍のうっぷんを晴らそうとロンドン、ニューヨークと数年ぶりに海外に行ったのが関係しているんじゃないかと思う。

ここに来て物価高に押される形で給料も多少は上昇傾向にあるものの、依然として日本経済の地盤沈下を指摘する声は多い。そして、それは国内にいるとあまり感じることがない。

経済だけではない。抽象的な表現にはなるが、ロンドンも、ニューヨークも、数年前に比べて確実に「変化している」と感じた。ヒースロー空港は名物だった入国管理官の厳しい質問がなくなったどころか、自動改札方式で一瞬で国境を越えられる。JFK空港では逆にテキトーだった入国審査が、真面目に質問されるものに。ロンドンの街中にはコインを求めて座り込む人が目立ち、ニューヨークではうさんくさい客引きにつかみかかられる。そして、両国ともキャッシュを使うケースはほとんどない。

良きにつけ悪しきにつけ、とにかく変化を続けているのだ。それがいいことなのか?の考え方は人によって違うだろう。もちろん日本の社会もそれなりに変化はしているが、そのスピードが圧倒的に遅いことを海外に行くと痛感し、「停滞」としか感じられなくなる。自分はこの閉鎖的なまったり感は、長期的にはマイナスになる、と見ている。それが絶対正しいとは言えないが、その賛否を論じるうえで世界各国との比較は必須だろう。

海外出張や、留学でなくても、やはり世界の一角を「見る」ことは大事なのではないか。ひと昔前は、ロンドンやニューヨークの街を歩けば、買い物や観光で来ている日本人のグループをそこかしこで見かけた。だが今、街を歩いていて日本人とすれ違うことはほとんどない(アジア系の顔立ちの人は多いが、現地の人か、だいたい中国・韓国の人)。

欧米礼賛をするつもりはさらさらない。むしろ今、学ぶべきはアジア諸国だと思う。そして、上でも触れたように、イギリスやアメリカでは分断や格差など、新たな問題が顕在化し、広がっている。だが現状維持に拘泥していては、希望の持ちようもないではないか。エキストラステージで披露される『私絶賛漂流中』ではないが、まさに日本も進むべき道が見えず漂流しているようなものだ。

ジョン万次郎も、アメリカの全てを肯定しているわけではない。そして自らが差別を受けたことも忘れていない。しかし、技術や思想など、参考にできることは貪欲に吸収しようとする。それをもって日本に変化をもたらすために、危険を冒して帰国してきた。

そのジョン万次郎と真っ向から対立する守旧派は、欧米的なものを嫌っているというよりも「変化」を嫌っている人たちだ。そこに悪気はなく、しかも多くの人が陥りやすい心理的傾向でもある。だからこそその対立は簡単には解決しない。

ジョン万次郎と彼を取り巻く人々の物語が、そしてこの『ジョンマイラブ』が、なぜこれほどまでに清々しく心を打つのか。それはこの「変化」を勇気をもって受けいれようとする、そして成し遂げようとする人たちの姿だからだ。

そんなことを考えながら観ていたため、前回は鉄の最後の回想と夢で涙腺が崩壊したのだが、今回はそれより少し早く、ホイットフィールド船長の手紙の場面からもうやばかった。江川太郎左衛門を演じた佐藤靖朗は本当に名優だと思う。

年末、やっと観ることができた『ハミルトン』。作風は違うが、時代の変化を自らの手によって成し遂げた若者たちの革命青春グラフィティ、という意味ではこの『ジョンマイラブ』に通じるところも多い。そして『ハミルトン』が力強く生きるリーダーの孤独を描いたのに対し、『ジョンマイラブ』ではリーダーへの共感が周囲の人たちに広がっていく様を描いている、と対照的なのも面白い。

坊っちゃん劇場は、地方でオリジナル作品をロングランさせる、という実に困難なプロジェクトに挑み続けており、その存在そのものがアドベンチャーである。『幕末ガール』もそうだったが、そこで上演されてきた数々の作品も、そうした冒険の精神に満ち溢れている。

もはや何の希望も見いだせない、絶望の国となりつつある日本。そこに暮らすすべての人に、この勇気がみなぎる演劇空間をぜひ体験して欲しい。

ジョンマイラブの作品紹介


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