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四季『ジーザス・クライスト=スーパースター』[ジャポネスク・バージョン]

なんてったってジーザス。

「ジーザス」を観るのは2018年2月以来。四季はこの作品を2つの演出で上演しているが、「ジャポネスク・バージョン」と呼ばれる初演版を観るのは2012年11月以来だ。そして自分が愛してやまないのはこの初演版のほうである。

再開発に取り残されたような自由劇場に足を踏み入れるのもお久しぶり。

ミュージカルに限らず、舞台というものは観た人を元気にさせる力がある。たとえそれが悲劇的な内容であっても、だ。生身の人間による全力のパフォーマンスから伝わる熱量がそうさせるのだろう。

その意味ではこの作品の熱量は他の追随を許さない。何しろミュージカル界の巨頭であるアンドリュー=ロイド・ウェバーとティム・ライスが20代のころに世に送り出し、それを油の乗り切った若き日の浅利慶太が演出したのだ。作品にみなぎる野心というか、中二病的なギラギラしたエネルギーが実に心地いい。

ちなみにこの作品の日本初演は1973年。舞台は完成したばかりの中野サンプラザだ。今回の観劇日は7/1だったが、その中野サンプラザが7/2に閉館した。運命を感じる、ということもないが、80年代から数々のアイドルを観に通った思い出深いホール。お疲れ様でした。

で、そのエネルギッシュな作品が今回、いつにも増してスパークしていたように感じた。

比較的狭い自由劇場、その高密度な空間そがそうさせるのかな、と思ったが、もうひとつ、どうも今回のキャストが影響していたようだ。

というわけでキャストボード。

ジーザス・クライストに神永 東吾 、イスカリオテのユダに佐久間 仁、マグダラのマリアに江畑 晶慧、ローマ総督ピラトに山田充人、そして大司教カヤパに飯田洋輔。この5人、国籍も四季に参加した時期もまちまちだが、みな1983~84年生まれの同年代なのである。

だから何だ、と言われるかもしれない。だが、同じ時代を同じ長さ生きていた者同士は、不思議な共感を互いに持ちやすい。その中で生み出される言葉にしにくい空気感、同期会のヘンなテンションの高さみたいなものが、この日観た舞台には加味されていたようだ。

その前の週までカヤパに高井治、ピラトに村俊英と豪華ファントムOBが名を連ねており、またこの2人をこの役で観られるのか、と思っていたのでキャスト変更には一瞬がっかりしたのだが、ぜんぜんがっかりなんてする必要なかった。むしろいいものを観ることができて幸運というほかはない。

そして、若手から中堅へと成長しつつある俳優たちの活躍は、まさにこれからの劇団四季の未来が明るいことを感じさせてくれる。それもまた、いつもより余計に元気をもたらしてくれた理由のひとつだ。

それにしても、何度観ても飽きない舞台である。

この作品はミュージカルではなく『ロック・オペラ』と銘打って誕生した。その意味を正確に理解するには自分はオペラについてズブの素人すぎるのだが、素人なりに、オペラの魅力はその懐の深さ、時に前衛的な演出とも融合できるところにある、と感じている。

まさしくこの作品もそうで、これまで世界中で上演、あるいは映像化のたびにさまざまな演出がなされてきた。最近では2012年のアリーナ・ツアー版が気に入っている。現代の若者やメディアをモチーフにした演出は、ある意味四季の初演版に通じる中2病感があっていい。

ミュージカルであり、オペラ。さらにこのジャポネスク・バージョンは「歌舞伎」でもある。大八車を使った自由かつシンプルでスピーディーな舞台転換は演劇界の一大発明だと思う。そして隈取。隈取はもともと表情を強調するためのものだったというが、むしろこの作品では隈取によって表情を見えにくくしているようにも思える。それによって歌声での表現がより純粋な形で観客に届くようになる。やはりオペラだ。

隈取にジーンズ、和楽器を用いたロック、と一見アバンギャルドな作風でありながら、それでも決して敷居の高さを感じさせないのは、やはりアンドリュー・ロイド=ウェバーによる曲の存在が大きい。70年代ロックらしい明瞭なメロディーラインに乗せて、ティム・ライスによるこれまた明瞭な歌詞をストレートに叩きつけてくることで、観る者の心をとらえて離さない。

ミュージカル・オペラ・歌舞伎が交差する、長崎名物トルコライス的な味わいと楽しさを持っているのがこの「ジーザス・クライスト=スーパースター ジャポネスクバージョン」なのだ。

おっとヘロデのことも書いておこう。この作品はもはやヘロデを見に行っていると言っても過言ではないというのはさすがに言い過ぎというかぜんぜんそんなことはないのだが、ジーザスを観るときの最大の楽しみであるのは間違いない。この作品で唯一「笑ってもいい」場面でもある。

ジャポネスク版のヘロデは歌舞伎とサイケが融合したような、もはや危ない人以外の何者でもないのだが、今回この役を演じるのは大森瑞樹。彼はなんといっても身長が高い。その高身長にあの青いドレッドヘアが乗っかる。

「デカいヘロデ」。そう書くだけで「きれいなジャイアン」に通じる言葉のインパクトがある。

もう関わりたくないってレベルじゃない。もし自分が捕らえられて突き出されたところに、この「デカいヘロデ」が出てきたら、「あなたがそう言った」なんて冷静に語る自信はない。「参りましたッ」とすべて謝ってしまいそうである。カーテンコールで並んでもひときわ目立っていた。

と、まとまりなく書いてしまったが、かえすがえす、何度見ても飽きない作品だ。

ジーザスは、やめられない。

劇団四季 ジーザス・クライスト=スーパースター [ジャポネスク・バージョン]のWEBサイト


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