見出し画像

近くて遠い国中国vs中国古典の人気

近くて遠い国中国vs中国古典の人気

以前「中国は一衣帯水と言われるよう距離的には近いけれど、国としての理解からいえば遠い国」であると書いた。弥生人の主力は中国の長江流域から来た人だったし、弥生時代・古墳時代以降のどこからかは?ながら、日本の書物≒漢籍であり漢文を使いこなしていたこと、近代に至るまで少なくとも知識人は同様であったはずなので、今より近かったであろう。遠くなったのは中国共産党・中華人民共和国がでたことに因るところが大、また独善的・独裁的な習近政権で遠さの度合いが増していると思う(民間レベルでの交流はあるけれど)。

そんな中で、大げさに言えば、老若男女問わず史記の項羽と劉邦、三国志は漫画やゲームを含めて人気がある。また、中国故事に基づく四文字熟語・格言・名言・諺は今でも日本で多く使われている(日本生まれのこれらは残念ながら少ない)。

さて、今回は英雄や四文字熟語が多数登場する史記をメインにトリビアについて書くことにする。

1.始皇帝による焚書・坑儒
焚書は李斯の提言で秦の始皇帝が『秦記』以外の思想・文学・歴書などを燃やしたことを指すのはよく知られている。付言すれば、農業・医学・占いなどの実用書は焚書の対象外とされた。
誤解が多いのは坑儒であろう。始皇帝は方士の徐福に不老不死の仙薬を探すように命じたのは日本にも伝わる有名な話。同じく方士の盧生のインチキに騙され激怒した始皇帝が盧生につながる方士、儒学者等の460人余りを生き埋めにしたのが坑儒の実態。儒学者全員を生き埋めにした訳でも儒学を全面否定した訳ではない。
<方士>
神仙の術を身に付けた者(瞑想・占い・魔法・薬方など)。道教の道士とほぼ同義

2.劉邦の「漢」の国名
漢字や漢人ということばあるよう「漢」は日本では支那、唐と並ぶ中国の呼称を代表する言葉で今の中国は漢人国家を標榜している。この漢は劉邦が建てた国名から来ているのは周知のとおり。

項羽と劉邦が秦を滅ぼした後、項羽主導の論功行賞で劉邦は巴・蜀(四川省)、及び漢中(陝西省西南部)に飛ばされた。この時、最初に封建された地=始邦の地、漢中から名をとり漢王となったのが「漢」の由縁である(漢王になったのはBC206年)。従って前漢が成立した年(BC206)はまだ天下統一前である(項羽の没はBC202)。
因みに王朝名・国号は、この後北宋まで始邦の地名が採用された。例えば、鮮卑拓跋部の李淵が起こした国名「唐」は彼が唐国公だったからである
(唐は地名)。

3. 敗軍の将は兵を語らず
「敗軍の将は兵を語らず」で人口に膾炙しているが、出展とされる史記の淮陰候列伝では「敗軍の将は以て勇を言う可からず。亡国の大夫は以て存すること図る可からず」である。
これは有名な韓信が趙の名将である李左車を(有用な人物とみて)生け捕りにした後、他国(燕・斉)攻略のアドバイスを李左車に乞うた時の彼の返答である。つまり、自分は敗者なので兵法について述べることは辞退したいということである、結局韓信が重ね重ね頼んだので心を動かされ自分の考えを韓信に伝えた。尚、李左車は広武君という。

4.傾国傾城の美女
傾国傾城の美女という言葉は日本でもよく使われる(但し現代日本に傾城の美女はいないであろう。会社を傾ける美女、政治家を篭絡する美女は居るかもしれない)。これは、漢の武帝が容色の衰えた衛皇后の飽きていたころ、宮廷歌舞団の芸能者だった李延年が絶世の美女の妹を武帝に近づけるために謡った歌詞から来ている(妹は李夫人として武帝の寵妃となった)。

北方有佳人
絶世而獨立
一顧傾人城
再顧傾人國
寧不知傾城與傾國
佳人難再得
(北方に佳人有り 絶世にして独り立つ 一顧すれば人の城を傾け 再顧すれば人の國を傾く いずくんぞ傾城と傾國を知らず 佳人を再びは得難し

さて、以前中国4大美女を紹介したことがある。
〇西施(春秋時代) 〇王昭君(前漢) 〇貂蝉(架空人物、後漢)
〇楊貴妃(唐) 
西施と楊貴妃には異論がないが、王昭君と貂蝉には異論があるようだ。特に架空の人物、貂蝉。
これに代わる美女として挙げられるのが、妹と共に前漢の成帝を骨抜きにした傾城傾国の美女の代表、超飛燕である。極端なスレンダー美女と言われており華流ドラマにもなっている。

武帝は漢の中では高祖の劉邦についで有名であろう。長年臣従していた匈奴に反転攻勢をかけ、これにより日本で李陵が知られるようになり、司馬遷の史記を生んだことにもなる。尚、中国で元号を使い始めたのは武帝になってからである。

5.酒は百薬の長
『平家物語』の有名な冒頭に、奢れる人も久しからずの例として「遠く異朝を訪えば、秦の趙高、漢の王莽、・・」とある。王莽は漢王朝を劉一族から一時乗っ取り「新」という国を建てた(僅か15年の国だった)ので、新の前を前漢、新の後を後漢というのは広く知られているところ。実は「酒は百薬の長」は王莽が経済政策の詔の中で書いてある言葉である

王莽は史書で悪人扱いされている。確かに経済では失敗したようだが、中国の古典国制の基礎を固めたなどの評価もされている。日本で畿内という用語があるが、中国全土(これを九州という)の中心地で畿内制度を確立したのも王莽である

蛇足:
項羽と劉邦の戦いで出てくる有名な四文字熟語(史記に出てこないものも含む)としては以下のようなものがある。
・国士無双
・四面楚歌
・背水の陣(熟語ではないが四文字)
・捲土重来
(唐の詩人杜牧が、烏江亭で脱げるチャンスがあり乍ら、それをしなかった項羽を惜しんで謳った漢詩の一節)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?