♪思えば遠くへ来たもんだ♪

とうに解散した?海援隊の歌に「思えば遠くへ来たもんだ」というのがある。海援隊にも武田鉄矢にも全く興味はないが、今更のようにそう思う。九州出身(時に福岡出身、時に熊本出身を称す)ながら、今や九州に住んでいた年数と東京に居る年数は1対2以上で、博多弁も熊本弁もしゃべるのは覚束ない。
 
そういえば、「あんたが大将」という歌もあった。福岡に住んでいた頃は、この語句は馴染深く自分もよく使っていた。福岡以外でこの言葉がどこまで通用するかは?である。
 
ローカルな話となってしまうが、武田鉄矢が住んでいた雑餉隈は、私が住んでいた春日原とは、西鉄大牟田線(天神大牟田線)の隣の駅である(始点・終点の天神から六つ目の駅が雑餉隈(ざっしょのくま)、七つ目の駅が春日原(かすがばる))。当時は雑餉隈の方が開けていたので、家族で、或いは母に連れられよく買い物に行っていた。
 
雑餉隈でタバコ屋をやっていたという武田鉄矢の母親は、私の記憶が正しければ、熊本の阿蘇出身とかで、「母に捧げるバラード」のセリフも、どこか博多弁と熊本弁が混じっている気がした(基本的には同系統)。
小学校に上がる前だった頃か記憶が定かでないが、母と二人、雑餉隈駅で西鉄電車に乗ろうとしてドアに挟まれたことがある。それほど危ない目に遭ったわけではないはずなのに、中学の頃まで特折りトラウマのようにその時のシーンが夢に出てきた。
 
という訳で回帰志向かどうか?乍ら、最近、九州料理屋にはまりつつあるような気がしないでない。但し、東京で博多料理、九州料理を標榜する店はあれども外れが多い。その中で唯一気に入っている店が東京駅キッチンストリートにある。「博多うま馬」(本店は博多の祇園にある)。
女性でも軽く10本はいける「とり皮」、博多一口餃子」などももいいが、なんと言っても子供の頃、福岡・春日原で食べていたラーメン屋の味に似ている。
蛇足ながら、博多ラーメンと言えば、替え玉や紅ショウガを入れるのが有名になってしまったようだ。私が福岡に居たころはそんな習慣は全くなかった(邪道というと非顰を買うであろうが)。尚、博多はラーメンよりうどん文化である。

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