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パーティの途中で帰る。一生嫌われても構わない。虫の良いことは言わない。


打算的な人間である。

ものすごく重要な人間関係ならば、保つために全力を尽くすことを惜しまない。1000万円の案件を発注してくれる社長なら、あるいは、得難い仕事仲間の関係者なら、大好きな恋人の家族なら、いけ好かなくても無限にヘコヘコできるだろう。

だけど、たいていの人はそうではない。我々の人間関係の9割は「最悪、二度と会わなくても構わない」程度の価値だ。スタージョンは「あらゆるものの9割はカスだ」と言ったけれど、これは人間関係にも適用できる。

そして、僕はそういう人たちとの社交の場を、ムリヤリ切り上げることができる。「すみません!ちょっとそろそろ時間なので帰ります!」と帰ることができる。何の時間なのかは分からない。いつも、ありもしない刻限に急かされて家路を急ぐ。


僕は生来、気が小さい方なので、「帰りにくい空気」の時は帰れなくなってしまうタイプだった。学生時代などはそれで無限に飲み会に残り続けた。「この空気で帰ったら嫌われるかもしれない」と思って。

大人になってからもその気質は変わっていないのだが、開き直るようになった。「この場にいるメンバーに僕の人生を左右するような人間はいない。全員から嫌われて一生会わなくても構わない」と。


先日も、「ぜひ無料招待させてください。素敵な人たちが集うパーティです」と言われて招かれたのだが、1時間半で帰った。エラい人が何事かをプレゼンしているディスプレイを横切ってムリヤリ帰った

全体として社会人にあるまじき行ないである。明らかに帰っていいタイミングではなかったし、多分その場で無料招待されているのは僕だけだったし、主催の人にも「すみません~!ちょっともう時間なので帰ります!ありがとうございました!(ヘラヘラ)」とだけ告げて出てきた。しかも、もらったノベルティグッズは忘れてきた。良いか悪いかで言うと、地獄に落ちるぐらい悪い。

しかし、それでも、僕は結構マトモな感性を持っていると思う。「この人たち全員に嫌われて、二度と会えなくなるだろう」という覚悟の上で帰っているからだ。

「非常識な振る舞いをするが、自分を嫌わないでほしい」と思うのがヤバい人間である。翻って、僕はマトモだ。「非常識な振る舞いをするので、一生僕を嫌ってくれて構わない」と思っている。フェアネスを重んじているのだ。

「自分だけ許されたい」なんて虫の良いことは言わない。僕はあなたを嫌うかもしれないけれど、あなたも僕のことを嫌ってくれて構わない。僕はパーティを途中でバックレるけれど、あなたも僕のパーティをバックレて構わない。人間には自己決定権があるべきだ。


ということで、今日はその話をしたい。僕が途中で帰ったパーティの話を。


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