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「ふざけるなよ(怒)」で、実際にふざけているケースはどのくらいあるのだろうか?

想定外のことに対して、怒りを感じる場面。

思いもよらない形で、不利益を被る場面。

相手に約束したのに、実際にその約束が果たされてなかった場面。

色々な場面で使われてるセリフとして「ふざけるなよ(怒)」というものがある。

思い通りにいかないケース含めて、様々なストレスが溜まっている人が溢れている。

気持ちとして反射的にこの言葉が出てきてしまうのも、分からなくはない。

ただ、そのストレス発生要因や事実に対して「ふざけるな」という言葉は本当に適切なのだろうか疑問が生じる。




ふざける。

その言葉の意味はそもそも何なのか。

ふざける:
①子供などがたわいもないことをして遊びさわぐ。
②面白いことを言ったりしたりする。
③人を馬鹿にしたことを言ったりする

三省堂国語辞典 第7版

ふざけるという言葉に対して、実際に相手側がふざけることによって「ふざけるな」という言葉が生まれることもあるかもしれない。

ただ、現実的において本当にふざけている場面がどれほどあるのだろうか。

もちろん子供が遊び騒いでいる場面で「ふざけるな」を言うこともあるかもしれない。

面白いことを言ったりすることに対して「ふざけるな」というセリフが飛び出すこともあるかもしれない。

人を馬鹿にしたことを言ったりすることが、「ふざけるな」という怒りのセリフの発生源になることもあるかもしれない。

ただ、個人的な感覚としてこのような場面はあまり多くないように感じる。

どちらかというと「真面目にやった結果」を仕方なく報告したりすることによって、上の立場の人間から「ふざけるな!」という叱責が跳ぶケースが多いような気もする。

折角報告したことに対して「ふざけている」と判断されることそのものが本当に健全なのだろうか。

勇気を出して事実を伝えていること、本人にとっても全くふざけていないのに「ふざけるなよ」というセリフそのものが本当に適切なのだろうか。

結局は怒っている側の解釈の上で「ばかにされている」と感じた結果としてのセリフに過ぎないように感じてしまう。

あくまで「主観」に支配された人の発言に過ぎない。

本当の意味でふざけている事実があるのならば適切なセリフかもしれないが、現実的にはそのような場面で本当に使われているのだろうか。




仕事を真剣に取り組み、その結果としてどうしても目標に届かなったた場合であっても、上の立場の人から「ふざけるな」という言葉が発せられることがあるかもしれない。

真面目に、全力で取り組んだ結果として、最終的に「ふざけるな」という言葉で終了することもあるかもしれない。

そもそも日本での仕事において、ふざけているように見える場面はあまり多くないように感じる。

そもそも根が真面目な人が多い中で、ふざける行為というものはとても少ないように感じている。

それにもかかわらず「ふざけるなよ」という言葉がまかり通ってしまうのはどういうことなのか。

それは、ふざけるなという言葉を発している人が「他者に対する寄り添える視点」が全くないこと、そして立場がそれを許していることに起因するように感じる。 

もしくは、そのような多角的な視点を持てる余裕がないということ。

その結果として、相手の都合にかまわず「ふざけるな」というセリフが出てきてしまうということもあるのかもしれない。

そのセリフが出てしまうことに対して、言った本人は全く気にしていないことが多い。

ただ、本質的には不適切であるようなことが多い気がする。

そしてまじめにやった結果が「ふざけるな」と評価されてしまう事そのものがある意味病的であり、その結果として言われた側が様々な挑戦意欲がそがれることにも影響していることがあるかもしれない。

この「ふざけるな」という言葉を使用されることによる意思伝達のミスマッチ、ボキャブラリーの不足そのものが大いに社会全体への損失を拡大させていることもあるのではないのかと感じてしまう。




主観で物事を話すこと、その感情を発信することそのものには良いも悪いもない。

ただ、効果性として周囲にどれほどの影響を及ぼすのかということについては、一度立ち止まって考えることもとても大切なように感じる。

ミスマッチした評価を上からされることについて、混乱を招いてしまう事については、結果的に全体に大きなマイナスの影響を及ぼす。

だからこそ、もし仮にミスが合って指摘する場面であっても、「ふざけるな」という言葉そのものを使うことはリスクとして捉えたほうが良いかもしれない。

その場における最も最適な言葉、それをうまく当てはめられるかどうかということは、その人やその周囲の未来に対しても大きな影響を及ぼす。

だからこそ、発信する言葉一つ一つに対して、どこまで適切な言葉を当てはめることが出来るかどうかは大切なこと。

感情に身を任せたセリフは、意外とリスクに溢れることが多い。

特に発信するときは反射的であり、無意識であるからこそリスクが溢れている。

自分自身が使っている言葉が本当に最適なセリフなのかどうかのか、主観なのか客観的にもあてはまるのかどうか。

感情に身を任せるのではなく、常に発信する前に一度立ち止まって発信できるようにより注意していきたいもの。




ありがとうございました。

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