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「マウントを取らせてあげる技術」を磨くこと

マウント取り合戦があちこちで起きている。

日本だけでなく世界中で起きている。

様々な要素で自慢して、その注目を浴びようとしている。

人より勝っていると心地よい。

人より優位に立っていると気持ちいい。

誰かよりも上の立場であると、それが楽しみに感じる。

自慢できる何かを持っていることが最高の喜び。

人に出来なくて自分にだけ出来ているということが誇らしい。

様々な要因で人と比較している人はとてもたくさんいる。

人によっては常に負けないように、競い続けていることもある。

それは写真であったり現実の充実度であったり。

財産であったり、見た目であったり、様々な物があてはまる。

そしてそれらを思いっきり表現する場がネット上に増えてきている。

加工して切り取って、最高の自分だけをおもいっきり世界に知らしめる。

そしてそこで称賛を受けることを最高の栄誉とする。

誰かに褒められたり、注目されたり、承認されることほどその人を高揚させることは無い。

こうして様々なマウント欲が加速的に増していく。




このような人のマウント欲を満たしてあげることは、現在とてもニーズがあるにちがいない。

つまり、人にマウントをとらせてあげる環境を提供することそのものが大いに価値になるという事。

だからこそ、全力でその人を褒めたり認めてあげたりする人がとても気に入られたりかわいがられたりする。

お店によってはそのことがお金に変換される場としても機能していることが多いからこそ、話を聞いてくれる人や自慢することを褒めてくれる人は多くの金銭を得ることが出来る。

人気のホストやキャバ嬢などの姿かたちはもちろんのこと、人との会話をそのままお金に換えられる人は、もしかしたらマウントを取らせてあげるものすごい技術を持っているのかもしれない。

もちろん人の自慢やマウントを不快に思う人が多いのも事実だが、それ以上にマウントをとらせてあげる環境をしっかりと整備しておくことはとても大切な気がする。

そこで満たされているだけで、不満を行動に変えてネガティブな要素をもたらすことを食い止めることが出来るかもしれないのだから。




マウントを取らせてあげる技術を磨くこと、それはある意味相手への究極のおもてなしになるかもしれない。

ただ、どのようにそれを磨くことが出来るのかということはなかなか難しい。

そもそもの前提条件として、マウント取り大会、自慢大会、武勇伝大会に巻き込まれることを嫌う人も多くいるに違いない。

だからこそ、そもそもの部分でこの技術を磨くのはかなり難易度が高いものである要素もあるように感じる。

もしマウントを取られることが苦でないことや、問題ないように感じるのならば、マウントを取らせてあげる技術を磨くことはものすごい強みになるかもしれない。

言葉の技術はしかり、本当に驚いていたり羨ましく感じるように素のままで演じることが出来ている人は、なかなかすごいように感じる。

天性のマウントを取らせてあげる技術にたけている人にはかなわないこともあるかもしれない。

ただそうでなくても、ある程度は使う言葉で何とかできることもある。

そのための「さ・し・す・せ・そ」から始まる魔法の言葉というものがある。

「さ」:流石ですね!

「し」:知らなかった!

「す」:素晴らしいですね!

「せ」:センスありますね!

「そ」:そうなんですね!

少なくともこの言葉を適切な場面で使うことが出来れば、マウントを取らせてあげる技術の一部分としては十分であるように感じる。




人が求めていることを満たす力があるということは、時には大きな力になる。

そのうちの一つ、現在特に大きいものの一つとしては、承認要求というもの。

承認欲求を満たすことが出来る技術を持っていることは、まさにある意味で最強のソリューションを持っているという事。

だからこそ、この部分を磨くということについては、生き残りのための強い武器になることもあるかもしれない。

マウントさせてあげる技術を活用するかどうかは自由であるが、知っていて損になることではないように感じる。




ありがとうございました。

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