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シャングリラへゆく⑳母系社会モソ族の村

雲南の香りに魅せられて僕は旅をした
冒険家が探し求めたシャングリラに想いをよせ
奥へ奥へ雲南省の秘境を旅した記録

①から読めばより深く楽しめます
シリーズ「チベットへゆく」の第二部
シャングリラへゆく物語

母系社会モソ族の村

10月5日
俄亜大村を出る
国道開発断念した危険なルートへ戻り再び南下していく

昨日で終わりかと思っていた危険な道は
まだまだ続いていた

危険なルートは続く

今日もヒヤヒヤだった
タイヤ滑らないでね!落石来ないでね!と祈ってました
水洛河という川にそり走る

危険なルートは続く2

途中で川を渡り対岸へ行くために船があった
こんなところに船がある事にビックリ!

対岸へ渡る為の船を待つ

車を船に乗せ対岸へ移動できる
そしてまた山を走る

ずっと走って行くと川が別の川と合流する

合流する川は金沙江きんさこうJīnshā Jiāng
金沙江は長江に繋がる
その為
重慶、武漢、南京を経て最後は上海まで繋がっている

茶色川が金沙江

金沙江という川はちょくちょく名を聞く川だった
上海でも駅名になったり地名になったりと
180度川がUターンしたりする景観も有名で
写真を見たりする機会があった

ここが その川か・・・と
中国の広さを改めて感じたりもする

道はその後 危険な道からは回避され
山道へと変わり
それでもひたすら田舎道を南東に向けて走る

朝から1日中走っているし
休憩するポイントはないから
適当に停車しトイレしたりする程度

村を出る前に買ったビスケットや菓子を食べ
腹持ちをしている

まだ明るいが16時頃になり山を下り
その先に大きな湖が見えた

この湖が瀘沽湖ルーグーコ
世界最後の母系社会のモソ族が住む村がある場所

ルート地図

皆の顔が少し明るくなり
ようやく着いた!
危険なルートを通り汚い宿に泊まり疲れていたので
ようやく まともな観光地へと向かい
一安心をして笑顔になっていた

僕は詳しくわからず乗っていたので
この場所が母系のモソ族の村と聞いても
まだこの時はへ~くらいの関心でよく解っていない

劉さんとブル猫達が車の中で宿選びをしている時に
今日はいい宿泊まれる!と喜んでいたので
僕も期待していた
敢えて どんな場所かは聞かず ついてからのお楽しみ!

さすがに、昨日の俄亜大村より酷くはないだろうと
とりあえず皆 シャワーに早くあびたい

綺麗な景観の湖に辿り着いた

湖の畔に沿って宿が立ち並び観光地化していて
綺麗に整備されていた
多くの観光客が来ているようだ

湖畔沿いに高級宿から安宿まで ずっと数百m並んでいた

湖畔の宿

どの部屋も窓から湖が見える
観光で湖に浮かぶ島に行く事ができる
そこにチベット寺がある

僕らは時間が遅いので観光は明日にし食事場所を探した

観光小船

大きな山が湖の裏に見え母神山として崇められてる
山にも観光で登る事ができる

村の地図

約5万人程の少数民族の村

モソ族は中国が公表している55の少数民族には数えられてない
というのはナシ族の一部とされ区別されていない
少数民族の登録は 次から次へと発生し分類がややこしい
系統で同じでも文化で違いもあり村単位で変わる
そういう背景もあり、ある時点で追加登録を認めなくなる

海抜 2,685 mに位置し,湖面積は 48.45 平方㎞。
湖の北側は四川省,南側は雲南省で周囲は標高3,775mの獅子山をはじめ
高い山々に囲まれている

この民族は母系家族でお婆さんが一番偉い
有名なのは走婚と呼ばれる結婚システム

走婚橋

旧暦の祭りの時に
躍りのなかで気に入った女性がいたら
男性は合図を送る

例えば手を強く握り、同じく握り返されたらOK
二人は女性の二階にある部屋に外にハシゴをかけ
窓から入り一夜を共にする

二人に子供が生まれた場合
子供は女性の実家で育てられる
夫は実の子を育てはしない

二人は一緒に暮らさず
夫は夜になると妻の家に行き朝実家に戻る
昼間は実家で働く

母系家族内には配偶者を取らないため
嫁姑問題はなく
財産もお婆→母→娘と引き継がれている

今では伝統的な暮らしも近代化の中で少なくなってきたが
まだ伝統的な暮らしをする家族は湖の畔から
山側に移りひっそり暮らしている

しかし消滅するのは時間の問題かもしれない

ビジネス化しなければ生きていけない時代が
モソ族の暮らしを大きく変えていく

少数民族は民家を賃貸に出し漢民族が借り
改良し宿にして客を呼ぶ

麗江古城もそうであったように
少数民族はビジネスや商業には貪欲ではない
自分たちの暮らしが今まで通り伝統を維持できればいい
ある意味純水な民族意識だけど

ビジネス化して金儲けし生きていく時代の
漢民族は そんな彼らの暮らしを破壊していく

時代の流れとは恐ろしいものだ

漢民族が悪かと言えば そうとも言い切れない
今の時代を生きる知恵を今の時代で教授しているだけ

僕らが観光出来るのも
その開拓のおかげでもある

僕らも久しぶりに人の多さを味わい
観光地に戻って来たと感じ
モソ族の暮らしを考えるよりも
綺麗な観光地を望んでいたかもしれない

昨日のような俄亜大村も いずれ
綺麗な村へ変わるのかもしれない

少数民族の暮らしを破壊しているのは
実は僕らなんだと考えさせられる

こうしてシャングリラは僕らの前から
姿を消していったのかもしれない

ここに住む若いモソ族は
伝統的な生活から一転し商売へと転じている

それが彼らの生きる手段になっている

店を経営したり、雇われたり遊びに来る観光客相手に生きる
もう時計の針が戻る事はないだろう

モソ族

母系社会モソ族の村

晩御飯は焼肉
何処か解らないけど民家にやってきた

観光客の居ない 地元民が暮らす民家

この辺では豚肉が美味しく野生に近い状態で育てた豚も多い
焼肉で食べる豚肉が兎に角美味しかった
連れてこられた時 僕は どこに店あるの?って
ただの民家の駐車場じゃないの?と
奥に行くと一応テーブルらしきものが・・・

汚い店

観光客が来る店ではなく地元の人が食べに来る場所に
誰が調べたかしらないが何故かきて駐車場を改造したような場所に
テーブル置いてあり、野外に引っ張りだして席を作った

大根で網をスリスリ

大根で網にスリスリして燃えるのを防ぐ
とにかく ここで食べた豚肉が最高に美味しく
今まで食べた どんな豚肉よりも美味しかったんです!
伝わりにくいけど黄色い油なのか黄金に輝いてるんです

とにかく 美味しすぎて豚肉をみんなで食べていた

炭竃の炊飯

こんな炭窯で炊くご飯も 何気に美味しいんです

㉑チベット信仰の残る島とモソ族の家 へ続く

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