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Revenge is never a straight line. It's a forest, And like a forest it's easy to lose your way... To get lost... To forget where you came in.

芹沢美沙は初めて蒼井真司に身体を許した夜の記憶が眠りの中で再生され始めたのをきっかけにしてゆっくりと現実を掴み取るようにして目を醒ます。
ヴァギナが濡れないはずの潤滑ゼリーを利用した性体験を必要としたのは木場真理亜の提示した条件を満たす為であったとしても、彼女が蒼井真司を必要としていたのは事実だったし、芹沢美沙に与えられたのはやはり快楽だったはずだと彼女は雨上がりの朝の太陽が照らす光がカーテンから差し込んでくるホテルルームのベッドの上で受け入れようとする。
「起きたようじゃの。お前は少し魘されておった。もし現世が地獄であったとしても出雲のような場所には安寧が待っている。だからの、美沙。あと少しだけの辛抱じゃ」
 アンダーソンが羽根を休めて芹沢美沙の胸の上で胡座をかいている。
 寝ぼけ眼のままで芹沢美沙は十センチにも満たないアンダーソンの身体を両手で掴むと、彼女が見た夢が決して悪夢ではなかったことを出来るだけ丁寧にわかりやすく伝えようとする。
「違いますよ。これは多分彼のことを思い出してしまっただけなんです。私たちの時間は既に終わってしまったしかけがえのない日々は二度と戻ることはないんです。だけど私は過去のことを永遠って呼ぶことが出来るし、時々引き出しの中から引っ張り出してきて感情を刺激することだって出来ます。そういう意味でだけ、私は夢を見ることを許されていると思うんです」
 
  *
 
 暗闇から呼び戻されるとぼくは腕の中に四月(一日)紫衣を抱いて寝ていて昨晩の出来事をまるで恋愛映画のワンシーンのように呼び戻して彼女に触れていない右手を天井に向かって延ばして零の在処を確かめてみる。
「おはよう。人間は意識の水面下で本能が暴れ回るのを抑え込む為に理性を作り出している。純粋理性とはつまり体験を通じて野生を征服する為に用意された人間的機能そのものなんだ。手放したくない理由を君はきっと頭の何処かで理解している」
「おはようございます。紫衣先輩。朝からとても饒舌ですね。けれど、ぼくが考えていたのは久しぶりのセックスがとても気持ちよかったことと朝ごはんのことぐらいなんですよ。だから正確なオーガズムの回数を数えて優越感を獲得している訳ではありませんよ」
 ぼくが話し終わるのと同時にお腹が鳴ってほんの少しだけ張り詰めていた二人の空気と距離を弛緩させて早朝の気配をベッドの中から追いやって笑い声で満たしてしまう。
「そうか。それでも私は理性と本能が交差する刹那のことを忘れたりはしないよ。何か作ろう。甘い言葉は感覚を鈍らせる。だから適切な栄養の補給は思考から矛盾を除去してくれる。私たちはまだ問題を解決していない。食事は賢者にとって最も重要な時間の一つなんだ」
 紫衣は何も身につけずに裸のままベッドから脱け出るとベッドルームから出ていく。
 後ろ姿だけを追いかけるように朝陽がぼんやりと照らす四月(一日)紫衣の美しい裸体を眺めながら、ぼくはまだちょっと反応する局部を触れてベッドの中に潜り込んでもう既に消すことすら出来なくなった匂いの元を辿ろうとする。
「いえ。ぼくはただ知性を疑っているだけですよ。例え、手に入れられないものがあったとしても貴方は自分の力を信じている。それは死を愛することと一緒じゃ無いですか」
 布団の中に潜って独り言みたいに呟いたぼくの言葉はもしかしたら紫衣に届いているんじゃないかって気がしたけれどやっぱり光は届いていなくて真っ暗でまるでぼくら二人のこれからを暗示しているようで頭がどうにかなってしまいそうだった。
「そうか。君の考えている通りだとすれば、研究所に侵入した二人組は何らかの手段を用いて君の研究データに関する情報を手に入れて君が出張で研究所を訪れることを事前に知っていたということになる。何か心あたりはあるのかい?」
 四月(一日)紫衣は正面に黄色いロゴがプリントされたX-girlのピンク色のTシャツとショーツだけを履いた姿でバターとストロベリージャムを表面に塗ったトーストを一口大にちぎって食べながらぼくの抱えている命題について返答する。
「いえ、全くありません。二人組のうち一人がぼくのよく知っていた女性の顔によく似ていたことも含めて知り得ている情報がほとんどなく仮説すら立てられない状況です」
「ベッドで話していた梅里桃枝という学生時代の恋人のことだね。三年前に彼女は殺人事件に巻き込まれて亡くなっているし犯人はまだ捕まっていない。にも。拘わらず強盗犯の片割れの一人が瓜二つの顔をして君を気絶させた上に逃亡した。君が恋人だった女性の顔を見間違うはずがないということは抱き合った時のことを思い出せばよく分かる」
「結論を出してしまうには情報が不正確だし不明瞭だと考えているだけなんです。それに」
「ふ。本当に君は女性のことを大切にしているんだね。京都に来る前に見せてもらったという写真にも梅里百恵と同一人物だと思われる女性が写っていた。紅莉栖が反証どころか実証すらあやふやなどこぞの学者の戯言を聞かせて君に発破をかけたくなるはずだ。なぁ、よかったらこの事件を二人で少し探ってみないか。警察からの情報では分からないことも見つけられるはずだ。おそらくそれが君自身の精神状態にとっても都合がいいはずだ」
 ぼくは四月(一日)紫衣が用意してくれたアボガトとトマトとレタスのサラダにフォークを入れて口に運ぶ。
シーザードレッシングは自家製らしく微かに舌先に感じるヨーグルトの酸味が夜更け過ぎの会話を思い出させるのか少しだけ気恥ずかしさを感じながらも気を取り直して四月(一日)紫衣の誘いに返答する。
「ぼくは余計なことを話し過ぎましたか? もしかしたら深夜二時に二人きりで話す必要のないことをぼくは調子に乗ってベラベラと話していたのかもしれません」
 少しだけ取り乱すぼくの様子を見て四月(一日)紫衣は一瞬だけ遠い目をしてぼくを見つめるとトーストを口に運ぶのをやめて皿の上に起き、マグカップに入れられたホットカフェラテで喉を潤そうとする。
「もし余計なことがあるのだとすれば、それは実証に至るまでの経路に定義づけの曖昧な変数が含まれていたという返答はどうだろう。君は私のような女に対する扱いがとても繊細で恐れ入る。朝食の時間に論理と感情を履き違えたりしない訳だね」
「煽らなくても大丈夫です。ただ紫衣先輩のいう通り、もう少しだけ必要な情報を手に入れたいと思っています。奪われた『バイオポリティクス』の所在はともかくとしてぼくはまだ京都電子頭脳研究所について何も知らない訳ですから」
 冷静さを取り戻そうと出来る限りこの後の仕事のことに話を逸らしてぼくはもう一度サラダを口にした後に真っ赤なストロベリージャムのはみ出たトーストを口に運んでカフェラテで一気に流し込む。
 四月(一日)紫衣は訝しげな目をしてぼくの慌てふためく表情を見定めながらぼくと同じように真っ白なマグカップのカフェラテで口の中を満たしてから何かに気付いたようにぼくから顔を背けて考え事をし始める。
「そうか。そうだったね。それならば、話は早い。第一脳科学室と第二脳科学室の主任二人に会っておいた方が良いだろう。君の研究とは直接関係がない大脳や小脳の機械的再生を目論む正真正銘のエリートさ。私の担当している第三とは違い、所員の数も多い」
「電子頭脳研究の花形たる第一と第二ではなく何故実装可能かどうかも分からない意識の領域を担当する第三の主任でいるのかは何となくわかります。きっと写真たての二人の影響ですよね」
「爆発する知性プロジェクトのことかい。彼らと今の私には関係がない。それに少なくとも現段階において────」
「えっと。紫衣先輩。爆発する知性プロジェクト? って言ったんですか? ぼくはそのプロジェクトの名前を知っていますよ。だって桃枝は──」
 ぼくは学生時代の記憶を無理矢理呼び起こされてフォークに突き刺さっていた自家製のシーザーサラダを口元から零してしまう。
「そうか。君はやはり知っているのか。私は爆発する知性プロジェクトと呼ばれる学者たちのエゴによって結成された実験の被験体、第一号であり唯一の成功例だ。だが、何故君の恋人の名前が関係あるんだ?」
 身体中の血液が逆流し始めて脳味噌が沸騰したみたいに熱くなり鼓動の制御が追いつかなくなる。
 遠ざけたかったはずの過去が朝食の穏やかな時間に突然割って入り、癒されかけていた心が壊されようとしているのをいつの間にか歯軋りをして感情の暴走を抑え込んでいる自分自身の変化で気付かされる。
 いやだ。
 聞きたくない。
 どうしても見つけたくなかった答えが目の前にあるような気がして思わず手を伸ばしそうになる。
 堪えきれない。
 理解することをすら放棄したくなる。
 けれど抗えきれない思いが食道を逆流するみたいにして溢れ出そうと機を伺っている。
 だめだ。
 聞いてはいけない。
 知りたいと考える好奇心の源をぼくの理性が全力で否定をしている。
 だからぼくは知らないふりをして何も分からない純粋な子供へと還るようにして口を開く。
「あの。それじゃあ。柵九郎を知っているんですか?」
 とても長くて耐えきれない沈黙がサラダとトーストとカフェラテの置かれたテーブルと椅子に座ったぼくと四月(一日)紫衣の周囲を包み込んでいる。
 だめだ。
 言うな。
 理由なんて必要がない。
 答えなんて分かる訳が無い。
 どうしても消してしまわなくちゃ駄目なんだ。
 だけど突き刺すような胸の痛みと呼応するようにして四月(一日)紫衣は残酷な真実をぼくに告げる。
「あぁ。クロウは三番目の被験体で私の話をよく理解していた。二番目のリエンが決して私を受け入れようとはしなかったのは対極でね」
「えっと。その。梅里桃枝を殺したのは柵九郎という殺人鬼です。異常で醜悪で巧妙で狡猾でありながら残忍んで残虐でどうにもならない悪臭を放つ人間性を廃棄することを選んだ人外の化け物なんですよ。何故あなたの口からそいつの名前を聞かされなくちゃいけないんですか?」
 四月(一日)紫衣は自家製のシーザードレッシングで味付けされたサラダにもジャムとバターが白い皿を汚していることもマグカップのカフェラテからすっかり熱が奪われていることにも興味を無くしてしまったみたいに両手をテーブルの上に置いたまま左眼から涙を流している。
「あぁ。そうか。クロウはやはり人間を愛するようにはならなかったのか。それともよりにもよって君のことを運命に選んだ? そうでなければそれは説明が。いや、待てよ。そうか──」
気がつくとぼくの頭は現状を肯定する為の最適解を選ぼうと絶望と驚嘆と好奇心と探究心と嫉妬と憎しみを適切に切り分けている。
そうしておそらくベッドの上でも感じていたようにとても強い感情をいとも容易く乗りこなしてしまう時の不自然さを四月(一日)紫衣はぼくの目の前でまた見せてくる。
 喘ぎ声に混じって背中に突き立てられていた爪痕は計算され尽くした美学のように感じられて、そのせいなのか、ぼくは行為の最中もずっと冷たくクリアな思考を維持することが出来ていた。
 
「ぼくはこれを天川理論と呼んでいます。所謂、輪廻の論理物理的解釈を意識の領域で取り扱うことが出来た場合、集合的無意識にある一定の確率で不整合が発生すると予測されます。そしていわゆる『魂』のハードウェアアプリケーション化を実現させたかった研究が『バイオポリティクス』です。柵九郎という概念存在を抹消することがこの理論における主題となるはずでした」
「もし実現可能であれば、私の『Archelirion』構想を凌駕出来るかもしれない。クロウが求めていたものがやはり愛の具現化だとしても、リエンは戦争装置としてそれを取り込む可能性を予言していた。君はリエンのことも知っているのか?」
「田上梨園はぼくが学生時代に所属していた現代視覚研究部の一員です。彼女の遺してきた哲学的規範はぼくを含めた現代視覚研究部のメンバーに大きな影響を与えています。爆発する知性プロジェクトに参加して自殺という命題を持って自身の理論を完成させたと思われる点も踏まえてです」
「リエンのことをそこまで理解しているのか。私たち三人の被験体に通じているのは脳機能の効率的運用を各々の意志によって制御するために飛躍的な知性の向上を投薬や施術を利用して行われている点だ。つまりは高度な元型論を予め設定し適用することで思考アルゴリズムを電気的に配分して爆発する知性を獲得するというわけさ。魔術回路の干渉要因なんて脳科学研究の亜種を元にパターン解析が当時はいくつもの実験体を通して行われてきた」
「エーテルは眠っている、どこぞの神秘学者なら言いそうな話ですね。とはいえ、甘美な誘惑を結論としてしまったらぼくたち科学者やエンジニアは思考停止を選択しなければいけない。ぼくにとって天川理論の証明が至上命題である理由は喪失を原体験とすることは出来ないという至極真っ当な人間的判断からです」
「ふふ。ならば、愛は必要だな。私にはその資格が十二分にありそうだ。朝食を食べ終わったら着替えて研究所だ。頭は回転させ続けろ。盲目の羊たちに惑わされるなよ」
「わかりました。ぼくは一度滞在先のホテルに寄ってからにします。着替えもそうだけど、バックアップデータのいくつかを確認しておきたい。正直いえば、脳味噌の中だけが頼りって状況ですけどね」
 朝食後の白熱した議論を終えると、ピンク色のTシャツとショーツ一枚だけの四月(一日)紫衣はぼくを元気づけるみたいにして明るく笑い軽口を叩きながらキッチンへ空いた食器を運んでいく。
 
*
 
「これこそ忌野清司が追い求め、執務室が完成を急がせていた『器官なき身体』という訳か。『ストロベリージャム』には彼らの功績を世に知らしめる為の装置が必要となる。アジアを席巻しインディペンデンスや連合軍と互角以上に渡り歩いてきた彼らの勇気の証が。でなければ、解放軍が何もかも根こそぎ奪い取ってしまいかねない。平和を希求するのは彼らとて同じことだ」
 大和帝国陸軍の軍服姿の白髪の老人が顎髭をさすりながら、透明な肌を持ち内部が露呈した屈強な男性が強化ガラスの向こう側で立ち尽くしたまま眠りについているのを観察している。
「試験官ベイビーだったとはいえ、仮にも御子息の末子である彼の末路を見て悲観的にならないのはあなたが私たちとは違うという証明に他ならない。『ストロベリージャム』を率いていた東条一護の身体が『パン』への目くらましとなりうるかどうかはやはりパラトリウムの発生因子が特定出来てからと考えるべきでは?」
 丸縁の黒い色眼鏡をつけた男が右手で眼鏡の角度を直しながら周囲のモニター機器に現れて変動し続ける数値を見て状態の安定しない東条一護の『器官なき身体』の充足させる欲望機械の存在を疑おうとする。
「六分儀君。知っての通り、儂はもう世界には存在しないものだ。パンの身わざによって産み落とされて永遠を与えられながらも役目を忘れることは決して出来ない。歯車の極点にいながらも存在すらあやふやであり、君のような生きた人間と交わることも許されていない。だからこそだ、だからこそこの息子が必要じゃった。我が身の為に自己を犠牲にしてパラトリウムの結晶を産み出す歯車ではない存在がな。儂はこれを『TV=SF』と呼ぶことにする。何もかもこの子の為じゃ」
 かつて陸軍大将として大和の軍部における中枢を担っていた東條英機は真っ白で透明な肌を持ったブルーのワンピースを着た少女を傍に抱きながら眼光の鋭さを決して失っていないことを少女とは逆に立っている六分儀博士を牽制する。
「いずれにしろ、西野ルキア、愛花織姫、北大路雨竜の三人は解放軍と手を組み『ストロベリージャム』を痕跡ごと消そうとするはずです。御子息と違って彼らは血を恨み『KAMIKAZE』のようなものを許そうとはしない。その点において貴方と意見を供にするはずです。『爆発する知性プロジェクト』は断念せざるをえないでしょう。とはいえより万全を期すならば彼に役立ってもらわなくてはいけない。師元君には研究データの保管任務を与えています」
「これは梨園の遺した予言だと俺や俺の仲間たちは考えています。この場所を思索によってのみ辿り着きその対処方法を伝えようとした彼女自身の願いを実現させる為に必要なことであればどんな手段を用いても守り抜くと俺たちは約束をしたんです。戦争装置はやがてこの国全体を揺るがすことになるはずですから」
 六分儀博士の左脇後ろに立っていた師元乖次は古河君香から手渡されたSDカードをまだ誰かに引き継ぐべきではないと考えて彼の目的を誤認させようとする。
 真理に意味はないと師元乖次とかつて恋人同士だった田上梨園は自殺を選択することで彼女の仲間達を救おうとしたともはや答えを確かめることすら不可能な命題を作り出して『爆発する知性プロジェクト』への禍根を未来の為に利用しようとする。
 
 *
 
「よぉ。朝帰りとは大層ご機嫌な人生を送っているじゃねーか。留守を任された俺の気分はハッピーなんてもんじゃなくてめちゃくちゃヘビーでどうにもならねーんだ。どう考えてもお前は昨日の夜相当にいい思いをしてきてやがるな。明らかに昨日までの臆病さが何処かに消えてなくなってるぜ」
 ぼくは滞在先のホテルに一旦戻ると、ベッドの上で胡座をかいてぼくの帰りを一晩中待っていた超合金製の身体のアースガルズの軽口を聞き流すようにして喪服のジャケットを乱雑にベッドの上に投げ捨ててネクタイを緩める。
「あぁ。兄弟。お前にはおそらく一生かかっても体験することの出来ない不純異性交遊ってやつだよ。人間の男にはペニスがあり、女にはヴァギナがついている。非対称でありながらまるで最初から一つだったみたいにぴったりと重なり合うんだ。そいつは確かにヘビーな問題にばかり向き合っている連中には手に入らないものかもしれないな」
「どうにも我慢ならねえ匂いがする。死ぬことばかり考えてるやつにありがちの行き止まりってやつだな。なのにお前はそれを受け入れている。これが性欲ってやつか? 対象が確定出来ない俺の脳機能に高度機能障害は発生する訳がない。にも関わらずってことは俺の活動停止信号を誰かが送りつけてやがるってことだ。生の実感を俺は手に入れたぜ」
「それが勃起ってやつだよ、兄弟。恋焦がれた何かが目の前に現れた時だけって訳じゃないのが玉に瑕だがね。まぁ、それにしてもろくでもないタイミングで出会っちまったな」
 ワイシャツを脱いで白いタンクトップだけになった私はぼくは右の首筋につけられていた赤い痣をアースガルズに指さされて気まずそうに手のひらで被うと、メロドラマの主人公みたいな気分で下着だけの姿になる。
「織姫が泣き始めたんだ。一人は寂しいって彦星のことを求め始めている。磁束密度が基準を上回ってしまえば終わりだ。ジ・エンドだぜ」
「いいか。アースガルズ。悲観的なことは何も産まない。それが人間なんだ。逃げ場所なんてなくたって足掻いてみせるのヒトって生き物なんだ。ポエムを読めるようになったって片鱗も掴み取れるようにはならない」
「じゃあこういえばいいのか? 誰かが必ず的になる穴になる身体だけが求められるようになる」
 アースガルズは不貞腐れてしまったのかベッドの上の天井を大の字になって見上げる。
 まるで思春期のようなモラトリアムをアースガルズがこじらせている間にぼくはシャワーを浴びるためにバスルームの方へと向かう。
「血の匂いがする。いつまで忘れないようにしていられるんだろうか」
 シャワーを浴びたぼくはナンバーナインのデニムジーンズと青いチェックのネルシャツとジップアップバージョンのユビキタス・タウラスを羽織ってから放心状態のアースガルズを胸ポケットにしまい込んでから京都電子頭脳研究所に向かう。
「未来は俺たちの手の中に。だったはずなのに震えるほどの怒りが収まらねえ。助けてやりたいはずなのにな」

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