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04. Hello My future From Machinedrum『 Now You Know』

カウンターの上に置かれた『コンビニエンスストア』で売られているカップ容器のカフェラテを手に取り、スーツの男は訝しげな顔で目の前のノートパソコンを眺めている。

「例えば、俺がこのまま椅子に座りながら、受付カウンターの下の引き出しに護身用にしまわれている拳銃を取り出しそのまま口に咥えて引き金を引き脳髄をぶちまけて自殺をしたとする。その途端に、右奥の部屋で子供みたいな無邪気な笑顔で女の乳房にむしゃぶりついている五十代の男は取り乱して銃声の響く音にまるで感応するかのようにせっかく丁寧に時間をかけて勃起させた局部を途端にへなへなになるほど縮こませて、日給八千円で週に六日働き通しの身体を癒す為に、週に一度の少ない給料の入ったその日の十九時に予約をした店のお気に入りの風俗嬢相手に綻んだ笑顔が凍りついたまま腰を抜かし目の前の風俗嬢が小便を漏らしたことにすら気付けず、腑抜けた腰も凍りついた笑顔も動かせなくなったまま途方に暮れて、いつもは必ず二度射精するけれど、一度も射精出来ないまま仕方なく目の前の小便を漏らしたままの裸の女と見つめ合った後に、なんとか立ち上がると、入り口付近に脱ぎ捨てたジーンズとTシャツと上着を急いで着用して、恐る恐るドアノブに手をかけ扉を開け銃声のあった店の入り口付近、つまり俺の席付近を覗こうと部屋をでると、俺のぶちまけた脳髄と血液が壁中に散乱し附着していて、半分に割れた頭部から噴水のように俺の今まで溜め込んでいた不満や怒りや鬱屈した感情が血液と一緒に噴き出しているのを目撃してしまい、後ろにいていまだに腰を抜かし小便を漏らして動けなくなっている女のことなどすっかり忘れて店の入り口付近の受付カウンター奥の俺の席に、首から上が吹き飛んで無くなっている以前に俺として存在を定義していたが既に死体へと変容してしまった肉塊を見て、さっきまで縮こませていた局部を再び勃起させて、その場に茫然と立ち尽くし、そのままジーンズを脱ぎ、パンツをずり下ろし、完全に勃起した局部を右手で扱き始め、なんの性的快楽も得られないまま射精をして、そのことにすっかり項垂れたままズボンを履きとぼとぼと店を出る。そのおかしな事件の起きた風俗店の目の前の坂道をぎりぎりと歯軋りをしたまま下り、駅までのまるで自分とは違う渋谷の若者たちでごった返している帰り道でイライラを募らせながら、歯軋りの音と自分の脳味噌が沸騰しかけている音の区別がまったくつかないまま、ぎゃあぎゃあとまるで意味のわからない言葉で溢れている煩いだけの渋谷駅前に着き、そのまま改札を切符すら買うことのないまま通り抜け、山手線外回り行きの階段をかつかつと革靴の音でイライラと欲求不満をばら撒くようにして登り、階段を登りきったところで突然、後ろを振り返り、かけあがってきた二十代の女をそのまま蹴り飛ばしてさっきまで一緒にいた小便を漏らした風俗嬢と頭の半分が吹き飛んだ俺の死体で感応した自慰行為では成し遂げられなかった性的快楽を埋めるように、ここでなんとか溜まりに溜まった鬱憤のすべてを払いのけ、ニヤニヤと笑って女が無様に階段を転げ落ちていく様を眺めるだろう。だから、俺の仕事は身元すら判別出来ない人間の日常を癒す窓口になっているのと同時に、見知らぬ誰かが存外な扱いを受けたまま唐突にその命を奪われる可能性を引き延ばす手続きを行う場所を守る仕事でもあると言える。俺はそんな世界の歯車を狂わせることなく実行するこの仕事に誇りを持って生きているし、俺を取り巻く世界や俺とは全く関係のない人々にとってとても大切な仕事だと思っている。歯車は決して一分たりとも狂わせてはならないんだ。


山手線内回りの電車の中で、三日前に古本屋で買ったまったく面白みのない三文小説を読みながら池袋、目白、高田馬場を通り過ぎ、新大久保駅に到着するアナウンスが車内に流れると、ぱたっとその中身のない本を閉じナイロンジャケットの右ポケットにしまう。

電車はゆっくりと新大久保駅に止まり、仕事帰りのサラリーマンやどこかへ遊びにいこうとする若者やたまたま何かの用事で乗り合わせた老夫婦で埋まっていてそんな息苦しさを詰め込んで動けなくなっている車内を解放するかのように単調な電子音と供に扉が開く音がして、世間を賑わす連続殺人が大袈裟に誇張されている週刊誌のゴシップ記事なんてまるで気にもしていない様子で何人かが新大久保駅で電車を降りる。

彼らにはその駅で降りる意味と確固たる目的があるのだろうけど、ぼくにはきっとそのことを理解出来る日が来ることはないだろう。

「二番線ドアが閉まります。ご注意ください」

アナウンスが構内に流れると、電車のドアが閉まり、発車の合図音と共に新宿駅へと走り出す。二分ほどでJR新宿駅に着き、また同じように電車が停止するのと同時に扉が開くとぼくは電車を降りて右手にある下り階段を降りてJR新宿駅東口へと向かう。

いつものように新宿駅は雑多な人々でごった返していてちょっと歩くだけでも誰かとすれ違い肩が当たり行く手を塞がれる。

そういう急ぎ足で歩く人々の慌ただしい時間が新宿という街そのもののような気がしてしまうけれど、とにかくその交差していく時間を殺さないようにしながら東口改札を通り抜けて左手の地上へと通じる階段をゆっくりと登っていく。

あがっていく途中の階段でサメの形をしたリュックを背負った女の子とすれ違い肩と肩が触れ合う。

行く手を塞ぎあったまま危なくお互い転びそうになったけれど、急いでいたのだろう。

そのまま彼女はそのまま改札口の方へと走って行ってしまった。

サメの形をしたリュックが目に止まった瞬間に少しだけサメの口が開いた気がしたがきっと気のせいだと意識を逸らす。なんとか態勢を立て直して階段を登りきり地上に出ると雑踏の中にポツンと真っ黒な毛を身に纏った猫が座っている。

じっと目の前を見据えていてその黄色い瞳と三日月型の黒眼がナイロンジャケットのぼくの視線と重なった瞬間に猫が話し出す。

「お待ちしておりました」

ナイロンジャケットの男はまるで待ち合わせの女性と挨拶でも交わすようにして黒猫の元へと向かう。

黒猫はすっと近寄ってきたぼくを見上げると、

「それでは、行きましょう。すでに皆様お集まりになっているようです。お時間までまだ少し余裕はありますが」

さっと身を翻して人混みで溢れかえっている新宿駅アルタ前を歌舞伎町方面へと黒猫は歩き出す。

ぼくは黒猫に連れ添うようにして歩き始める。猫科の哺乳類をうっかり踏みつぶしてしまわないように様子を伺いながらアルタの巨大モニターには真っ白なドレスで歌を届けるdivaの姿と彼女のアルバムが発売されるというテキストが映し出されている。

不機嫌そうなスカウトマンが煙草を足元で踏み潰し街を眺めて目星をつけられそうかどうかを伺っている。

果物屋のフルーツに目を奪われそうになりながらも颯爽と歩く黒猫の様子に笑いを堪えながらもするすると黒猫が通り抜けると、人が避けて道筋が出来てしまうような不思議な現象を目の当たりにする。

ぼくは待ち合わせの場所と時間に間違いはないようだと改めてナイロンジャケットの男は左手の時計を確認する。

21:17とデジタル表記の文字が映し出された腕時計をちらりとみて黒猫の置いてきぼりをくらわないように少しだけ足を早める。

すぅーとした出で立ちでまるで誰ともすれ違わず人混み自体が避けて歩くような猫の足取りは意外に早くて気を抜くと雑踏の中に猫そのものが溶け込んでしまいうっかり見失ってしまいそうだ。

そのまま向かいのドン・キホーテが見える信号の色が赤であることを確認して黒猫は立ち止まる。

「先ほどは私どもの仲間が失礼をいたしました。彼女には今晩大切な仕事を依頼致しまして。きっと久々に人が喰えるという喜びを抑えきれなかったのでしょう」

黒猫のいう彼女とはおそらく先ほどすれ違ったサメ型のリュックを背負った女の子のことだろう。

黒猫のさりげない謝罪を聞き流すとぼくもまた横断歩道の前に立ち止まる。

ゴジラの顔だけがにゅっと突き出して夜空を妙にコミカルに変えてしまった歌舞伎町が目の前に広がっている。

騒がしさも雑多さも溝鼠が悪びれることすらなく闊歩している感じもいつ訪れても変わらない。

この街は永遠に時の止まった場所で世界から切り離されているのではないだろうかと錯覚する時がある。

ゴジラの新名所は少しぐらいこの街の時計を前に進めたのだろうか。

信号が青に変わる。

一斉に信号待ちをしていた人々の時間が動き出し歌舞伎町へと吸い込まれるようにして歩き出す。

黒猫はワンテンポだけ遅れて歩き出しそれに合わせるようにして男も前へと進む。

「さあ、もう少しだけ私を見失わないように気をつけてください。ここからは少し歩くスピードもあがります、きっと気を抜くと捕まってしまうでしょうから」

横断歩道を横切りながら黒猫は先ほどより少しだけ足早に歌舞伎町へと向かう。

信号を渡りきるとそのままドン・キホーテを右に曲がり途端に人通りの増える青梅街道沿いをまるで周りの人間を追い払うように道を作りながら進んでいく。

黒猫の後ろを歩いていれば誰かとぶつかり遅れを取る可能性はなさそうだ。

街に潜んでいる笑顔の張り付いている人々はきっと今日はこちらには何もして来ないだろう。

彼らも黒猫の通り道を邪魔する気はなさそうだ。

そのままバーガーキングの前を通り過ぎ、セブンイレブンの横でストライプスーツのホストとすれ違いBritish・PuB・Hubのすぐ傍の曲がり角で黒猫はすっと方向転換をして左に曲がる。

途端に街の空気が変わりなにかの合図でまるで結界が作動したような感触を肌で感じながら黒猫の後を追う。

白いガードレールに座っている黒人たちが異変を察知したのか黒猫の姿を確認して彼らから笑顔が消える。

彼らの本来の役目を思い出すかのようにして私に真剣な眼差しでここから先は決して気を抜いてはいけないと目で合図をする。

黒猫はそんなことにお構いなく歌舞伎町の奥へと進んでいく。

腕時計を確認すると21:23で待ち合わせの時間にはまだ余裕がありそうだ。

時間に遅れるとあまりいい顔はされないだろう。

慎重に黒猫から決してはぐれないように喫茶ルノワールの真横を通り過ぎたあたりで右ポケットに入れた文庫本をどこかで無くしてしまっていることに気付く。

黒人たちに入場料を支払わさせられてしまったのかもしれない。

気にする必要はなさそうだと思いながらも少しだけ日々の鬱屈した感情に囚われて人生を見失っていく男の物語の続きを考えてしまう。

彼はもしかしたら最後までやり通すべき仕事のようなものを見つけられず人生を終えるのかもしれない。

カウンター下にしまってある拳銃はきっと今も弾丸がこめられていないのだろう。

そんなことを考えているうちに猫は無料案内所のある角を右に曲がる。

自動販売機の前に立っているピンクのセーラー服のようなドレスを着たニューハーフがちらちらと街の結界を弄ぶようにして天使の羽の飾りを振り回している。

頭上の──思い出の抜け道──と書かれた看板を潜り抜け、黒猫の案内にしたがってその暗い路地裏へとぼくはそのまま吸い込まれるように後を追う。

すでに街からはすっかり音が消えている。

雑踏も勧誘の斡旋を注意するアナウンスも怒声も笑い声すらも聞こえてこない。

黒人たちの仕事が終わったのかもしれない。

いつのまにか屋根の上や小さな抜け道や建物の隙間に猫たちが集まって来ていてぼくは囲まれていることに気づく。

黒猫の連れてきた僕を警戒するかのように猫たちは息を潜めて様子を伺っている。

彼らの中には顔に怪我をしたもの、脚を引きずっているものもいたけれど、どれも黒猫に対しては畏敬の念のようなものを感じているのか決して傍に近づこうとしたり、邪魔をする気配はない。

そのまま猫たちのことは無視をして路地裏を歩く。

途中、バルボラと書かれた看板のバーを覗いたが中には女性客が一人、中年のバーテンダーが一人いて笑顔で何か談笑している。

目を離した瞬間に左に曲がりくねった道ぞいの陰へと黒猫が進んでいくのを見失いそうになり、慌てて後を追うと、左手の建物の壁に脳味噌に蟲が喰らいついているオブジェのようなものが飾られていて待ち合わせ場所にきちんと案内されているのだと再確認をし、オブジェの張り付いた建物の入り口の前で黒猫は行儀よく座り込んでぼくが到着するのをすっとした出で立ちで待っている。

右手にあったトタン屋根のプレハブの建物は閉まっている。

黒猫は左側の建物のドアの入り口の前で僕に中へどうぞと案内するように目配せをする。

「さあ。こちらで皆様がお待ちしております。三階のバーが今夜の会場となっていますので、中へお入り下さい」

「待ち合わせに遅れることはなかったようだからそれで十分だよ」

ぼくは簡単に親切な黒猫に挨拶を済ませると案内されるとおりに、建物の中に入ろうとすると、彼はひょいとトタン屋根の上まであがり、

「それでは、わたしには次の予定がありますのでこれで失礼させて頂きます。後のことはそのあたりにいますわたしの仲間にお申し付けください。おそらく、そんなことにはならないとは思いますが」

黒猫が颯爽と屋根を伝わって歌舞伎町の闇に消えていくのを見送り周りの猫たちが少しだけ騒がしくなるのを確認すると、黒猫が案内してくれた建物の中へと入り赤い壁紙の薄暗い急勾配の足元に気をつけないと転げ落ちてしまいそうな階段をあがる。

壁には店主らしき人物の名前の書かれた郵便ポストが二つ、それからおそらく店の名前であろう”砂の城3F”と書かれた紙が貼られている。

そのまま階段を登っていくと二階にもバーがあるようで、踊り場には空ビンが並べられ、右奥のバーの方から二、三人の笑い声の混じった話し声が電球の灯りと一緒に漏れてくる。

話し声にはどこか歪で甘い匂いのする空気が混じり込んでいて、うっかりそちらへ誘いこまれてしまいそうになるけれど、話し声に混じっていたりんご酒の臭いになんとか気付き、そのまま左に曲がって三階への階段を登る。

切れかけた蛍光灯で薄暗くさらに勾配が増すのを感じながら階段を登りきると左手に灰色のドアがある。

正面にはフライヤーやチラシが無造作に差し込まれたビニールポケットタイプの壁掛けがあるけれど特段目につくようなものはなさそうだ。

ゆっくりと灰色のドアのノブに手を掛けそのまま店内へと入り込む。

突然、耳の中にウィルスか何かが侵入し鼓膜を何事もなく通り抜けたかと思うと脳味噌の端っこで何か意味不明な言語を囁かれた後に、左耳に入り込んだ侵入者は歓迎の印だといいながらその声が徐々にリズムもハーモニーもメロディすらも形成していない電子音楽へと変換されていく。

不規則な電子音と暗闇に包まれた店内に吸い込まれるように右足を一歩前に進めると、天井に飾られているLEDの色鮮やかな光が淡く灯り始め店内の様子を視界がゆっくり捉え始める。

右奥に座っているショートヘアのバーテンダーが気怠そうに僕を発見するとバーテンダーを囲むようにして歪な楕円を描く銀色のカウンター席の一番奥側に煙草を吹かしながら座っている無精髭の男の隣の席を案内しようと視線を動かしぼくに合図を送る。

空いた席の隣には白いワンピースの女の子、その隣には紫色のカットソーを着た二十代後半の女性と目の当たりに丸い穴の開いた茶色い紙袋を被った男性、その隣には、左眼に真っ黒な眼帯をした長髪の女、目の前には黒いパンツと白いブラウスの女が座っている。

何故か白いブラウスの女の息遣いは乱れているようだったけれど、ぼくに気付くと息を整え、奥へどうぞと笑顔で椅子をカウンター側にひっこめながら道を開ける。

店内はとても狭く人一人がやっと通れるほどの隙間を通って銀色の壁と白いブラウスの女、左目に眼帯をした女、目の部分だけ乱雑に穴の開いている茶色い紙袋を被った男、紫色のゆったりとしたカットソーを着た女の後ろを通ると、ワン、と白いワンピースの女が満面の笑みを浮かべてまるで犬なのか人なのか区別のつかない声で鳴くと、カラカラと音を立てて白く濁った液体の入ったロックグラスを口につける。

彼女と無精髭で白髪混じりの長髪の男の間の赤いビニールの丸椅子が空いていて、そこに迷わず腰を掛け白いワンピースの女の方に軽く顔を傾けながら、

「彼女と同じものを下さい」

とバーテンダーに告げる。

黒髪のバーテンダーが青文字で白枠に黄色い影がうっすらとついたアルファベットで──ABSENTE──と白いラベルに書かれた深い緑色のボトルを手に取りロックグラスに氷を三つ入れ透明な液体を注ぐと、まるで表情を崩さずに僕にロックグラスを手渡す。

無精髭の男が煙草を吸い殻の溜まった銀色の灰皿で押し潰す。

「よく来てくれた。今夜の為に彼らを呼んだんだ。始めようか」

白髪まじりの長髪を薄汚く伸ばした無精髭の男が少しだけぼくの方に顔を向けバーテンダーに合図を送るとスマートフォンを操作して曲をかける。

優しい歌声のボーカルジャズが流れ始めたことに安堵して、まずはジャケットの左ポケットからスマートフォンを取り出して写真アプリを立ち上げる。

マダラニジュウシトリバ、ルリイロスカシクロバ、クスサン、ヒメキアシドクガ、ニシキオオツバメガ、ヒロヘリアオイラガの成虫と各々の幼生体の写真が日付と供に並んでいるのを確認し、

「今夜は恐らく少しだけ手間のかかる六羽を厳選して選ばさせていただきました。あなたたちにとってはあまり難しい問題にはならないと思いますが、幼生体と成虫の姿を念の為確認していただけますか?」

ぼくはスマートフォンの写真アプリを開いたまま、まずは右隣の白いワンピースの女に手渡し今夜の主役たちの姿と形を彼らにお披露目することにする。

白いワンピースの女は笑顔を壊すことなくスマートフォンを手に取り一つ一つ丁寧に記憶しながら右手の人差し指でフリックし六羽の幼生体と成虫を確認していく。

ヒメキアシドクガの成虫の白く妖艶な姿に一瞬だけ笑顔が崩れたような気がしたが咄嗟にマダラニジュウシトリバの姿に視線を移してそのままスマートフォンを紫色のカットソーの女に手渡す。

紫色のカットソーの女はやっと運命の恋人と出会えたとでも言いたそうな表情で丁寧に飼育されているマダラニジュウシトリバの成虫の写真を食い入るように覗き込むとそのまま視線を硬直させてその写真を眺めていたが茶色い紙袋を被った男に注意を促され、すぐにほかの写真を確認し、一巡すると今度はマダラニジュウシトリバの写真を見ないように目を塞ぎ茶色い紙袋を被った男に手渡す。

茶色い紙袋を被った男は成虫には興味がないのか、それぞれの幼生体の写真のみを色や形や毛の長さやその形状などと供に注意深く隅々まで確認し最後にヒロヘリアオイラガの成虫の写真を開き眼帯の少女に手渡す。

彼女はヒロヘリアオイラガの成虫の写真をフリックし画面から排除してしまうと、ルリイロスカシクロバの成虫を一目だけ確認し白いブラウスの女にそのままスマートフォンを手渡す。

彼女はアプリの中にしまわれている写真を一つ一つ丁寧に注意深く成虫も幼生体も出来るだけ詳細に確認した後にニシキオオツバメガの成虫の映っている画面を右手の人差し指と親指で拡大し鱗粉から生成される鮮やかな色彩をなじるように見つめながらバーテンダーにスマートフォンを手渡す。

彼女は写真の中からクスサンの幼生体の写真を開き、そのまま無精髭の男に右手でスマートフォンを手渡しまるでなにかの念を押すようにしてそっと細く白い煙草に火をつける。

無精髭の男は真剣な眼差しでクスサンの幼生体の黄緑色の身体の構成と状態を確認し、幼生体がさなぎになり成虫へと羽化する過程を何度も頭の中で確認しながらそのまま成虫の写真は確認することなくぼくにスマートフォンを返す。

「さて、今回の主役たちに関しての確認は各々してもらったと思う。恐らく誰が誰を担当しどのように扱うべきか問題なく決まったのではないかと思う」

カミブクロは無精髭の男の話を遮るようにして、まるでなにかの実験報告でもするかのように話を進める。

「なるべく状態のいい幼生体を手に入れておきたい。正直に言って──生死問わず──というやり方はあまり好きになれないのでね」

彼の隣の紫色のカットソーの女は酷く充実した表情でマダラニジュウシトリバの歪な羽の形に取り憑かれるようにしながら誰もいない宙に向かって話始める。

「私はずっと傍にいて貰えるなら、少しぐらい元気がなくても大丈夫。きっと私がその分たくさんのことを与えてあげられると思うし、私でなければその役目は務まらないはずだから、まずはきちんと出会える、ということが一番大事かな」

歪な陽気さを払拭するようにして笑うのをやめた白いワンピースの女は人の言葉を話す。

「あのね、レンはね、もしかしたら彼女のことをバラバラに壊したくなってしまうかもしれないの。けどね。もしそうじゃなかったら、レンはね、たぶん、もう笑ったりしなくていいのかもしれないなってそう思うの」

舌打ちをしそうになるのを堪えて白いブラウスの女はワンピースの女の言葉に覆いかぶさるように、

「そういえば、さっき話した小腸から腐敗臭がした女の人と一緒に行ったバーで彼女が二十代の時に旅行したマダガスカルの話を聞いたことがあって。すごく素敵な場所だなって思ったから一度行ってみたいとは思っていたんですよね。かといって二十三歳の女の右足と左手を交換してあげた時みたいな感動がもう一度あるのかどうかはわからないですけどね。たぶん、そう、また同じことの繰り返し、そんな気がしちゃいますね」

眼帯の女は日中に受けた案件の内容を思い出し、もし自分の右眼が以前と同じように刳り抜かれ全盲の状態になってしまったのだとしたら、きっとなくなってしまった視神経の奥で捉える暗闇の色認識はこんな色をしているのかもしれないなと考えながら、ルリイロスカシクロバの形を思い出し、ゆっくりと眼帯を左手の人差し指と中指でなぞりながら、

「私の右眼で捉えられるものであれば、このルリイロスカシクロバにしようと思います」

ぼくは既に全員が今夜の選択を終えたことを確認すると、

「ぼくが自宅で管理している種についてはおそらく引き渡しするのにそれほどお時間はかからないと思っています。それぞれ、成虫と幼生体がありますから、お好きな方を選んでください。しかし、クスサンに関してだけは、今のところすぐには手に入らない状態だということはご理解していただいた上でお話を進めたいと考えています」

口髭の男はぼくの忠告を全く取るに足らない事実であるかのように受け流し、

「そうか。俺の仕事だけはおそらく酷く手間のかかる話になりそうなのだな。アレにはきっとこれからしてもらいたいことがたくさん出てくることだろうが、何せ最初が肝心だ。お前のいう通り、しっかりと時間と手間をかけ、慎重に進めて行くとしよう。他のものも問題はないな?」

口髭の男に呼応するように、頷くもの、目の前の飲み物に口をつけるものがいて、それぞれがこれから訪れる物語に関して想像を膨らまし、作戦を練り出会いの言葉と別れの挨拶について考えを浮かべる。

ぼくは氷が溶け透明な液体と混ざり合うことで白濁したロックグラスのアブサンを一口だけ飲み、

「つまり、ぼくらはこの六羽の触媒を通じて今現在アクセスしているチャンネルを占拠したいと考え今夜集まったということで話を進めていきましょう。この周波数は非常に制御方法が精密でコストがかかりすぎるために、既に一般には使われなくなってしまった帯域ですが、アンテナ周辺に対し効果的にアクセスすることで、意識と思考の乖離と剥奪、及び再形成を行うことができるという意味において特化したチャンネルです。鱗粉濃度と刺毛を利用して少量ずつ帯域をコントロールしていけば、それほどコストをかけることなく制御出来るということは僕らの研究と実験によって明らかになってきました。我々はこのチャンネルを我々自身の目的とそこに付随する問題に対する自衛のために利用可能だということです」

カミブクロが確信と迷いを混ぜわせたような声色で実験報告に対する感想を述べるように質問を述べ意識を高めようとする。

「君の飼育している幼生体の様子を見る限り確かに問題はなさそうだが、成虫が干渉出来る帯域において対象者の『アセチルコリン濃度』を増加させる傾向にあることは理解しているのかね?」

待ちかねていたその質問にぼくは左胸の裏ポケットの小型の調整器を取り出す。

「その通りです。だからこそ、この、チャンネルは見捨てられ、使われるのも主に悪戯目的の連中か悪意のある人間からのチャネリングに限られてきました。少しずつこの調整器を使用が想定されるエリアに配置することで、阻害剤の効果を抑制してきましたが確かにそれにも限度があります」

白いワンピースの女はもう笑うのを辞めていて、

「それなら、レンはもう笑ったりなんて出来ないじゃない」

紫色のカットソーの女は恨めしそうに、

「運命なんてものに取り憑かれるぐらいなら少しは自分の手で切り開けってことかしら」

眼帯の女が左目の黒い眼帯を少しだけずらし右手の中指と親指で義眼を取り外す。

ジジジと機械的な音が波長を揺らして歌舞伎町の喧騒を完全に店内から切り離す。

「切り拓くことが私たちに必要であれば私はその選択肢を迷わずに選ぶだけです。大袈裟に受け取る必要はないと思っています」

白いブラウスの女から諦めの表情が消えてしまう。

また同じことの繰り返しをなぞるだけだと思っていたことにすらもうすっかり諦めがついたのかもしれない。

「わかりました。それで、私たちはこの六羽の成虫を使用して私たちは私たちのままで、このチャンネルを占拠するんですよね。過干渉や同調圧力のようなものが発生した場合は迷わず排除する。そうして、私たちは私たちの形を変えないままこの世界と折り合いをつける、そういうことでしょう?」

ぼくは大きく深呼吸をして、間違いを訂正する。


「いいえ、違います。縫製することになるのは彼らの方でおそらくぼくらはより血液が濃くなっていくような感覚を強めるだけですよ。それも織り込み済みで今回は集まっていただいたはずです」

イライラを無理矢理押さえつけるようになくなってしまった小指の在り処を探して口髭の男はバーテンダーに話しかける。

「悪い。チャンネルを変えてくれ。少しだけ余計な奴らが混じり始めている。きっと疑り深い連中の世迷言に惹きつけられてきたんだろう。まだ少し調整が必要だというのは間違いなさそうだ」

バーテンダーはスマートフォンから流れるボーカルジャズをその場で止めて、古い電子音楽に変えてあたりの空気にフィルターをする。

街がまた騒がしくなり、怒声や笑い声や勧誘を促すアナウンスが店の外から聞こえ始める。

路地裏の猫たちが好き勝手に鳴き始めて黒人たちはまた祖国のことを忘れて歌舞伎町の住人達に挨拶を始める。

夜が少しだけ朝に近くなって明日訪れるはずの未来を書き換えてしまおうと様子を伺っている。

ルリイロスカシクロバにはもう悩まされることはないのかもしれないと眼帯の女は義眼をまた左眼の奥にしまいこんでルリイロスカシクロバと同じ色の眼帯を元の場所に戻した。

夜はもう朝を覆い尽くそうとは思わなくなっていた。

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