見出し画像

19


「さて、諸君。我が営業企画部の威信をかけたプロジェクトが年明けから遂に始まる。現在、アイドリング、つまり内閣府が文化招聘の一環として強行し業界をまたにかけた有能なアイドルやシンガーたちの淘汰プロジェクトにおいて私たち♪Missile&Scoot♪の成績は芳しいとは言い難い。とはいえポプリが一皮剥けるにはいいきっかけになったと私は考えている」

バーコード禿頭の田辺。妙にきりりとした表情。会議室に集められた営業企画部の面々。社内では内密に進められてきた企画書。目を通させる。田辺の右隣は空席。全員が企画書に目を通し終える。会議室のドアが開く。部長である狂川が田辺の隣に座る。

「狂川部長。本当にポプリに対して私たちはアプローチをしていかないおつもりですか。成長を促すという名目よりも実のところほとんど私たちが手出しをしない状況を意図的に作り出していることをもし彼女が気付いてしまったら──」

マネージャーとしての責務。果たすことが出来ない歯痒さ。架楽は狂川に正直な意見を伝える。冷静だけれど、どこか感情的な発言。狂川は挑発に乗る。打ち合わせが時間通りに始まる。田辺が咳払いをする。

「あら。架楽ちゃん。本音は、ポプリが潰れることを期待しているんじゃなくて? あの子には超えることが出来る訳がないと。あなたにとってあの子は弱い子かしら」

妙子は架楽の反対側の田辺の逆隣り。薄気味悪い笑顔を浮かべている。奇妙に何度も俯いている。蟲ツ子が傍から嫌悪感を露わにする。不謹慎な雰囲気に忠告を促している。

「部長、彼女の杞憂を解消するための出張は済ませていますからその辺りは抜かりがないとお考え下さい。もしもの時は、サブプロジェクトが発動したとしても私たちは対応可能なはずです」

「田辺課長。私が話しているのはそういうことではありません。今すべきなのは私たちがポプリのツアーの後半戦をきちんと支援すべきではないのかということです」

「バンドメンバーや他の部署がすべき問題がほとんどね。マネージャーとしてのあなたの仕事に対して私が口出しすることは何もないけれど、音楽や技術的な面で深入りは禁物」

会議室のテーブル。営業企画部の狂川、田辺、架楽。それぞれ自分の主張と立場を明確にしようとする。ポプリに対しての態度。彼らは営業企画部だ。一定の距離感を保たなくてはいけない。チーフデザイナーは蟲ツ子。ステージディレクションに関しての問題。彼女の仕事に対しての確認作業。自信たっぷりにプレゼンテーションしている。架楽の誇らしげな表情。狂川は真剣に耳を傾けている。田辺は神経質に机を右手の指先で叩いている。妙子は硬直して蟲ツ子を見つめている。

「私の方もメインデザインは完了しているので今から動かせることは何もないですね。ただ架楽さんがポプリのことを心配しているのは少しわかります」

「蟲ツ子ちゃん。それを覚悟の上で、私たちは進んできたはずよ。今更同情や中途半端な感情でこの先のプロジェクトを頓挫させる訳にはいかないわね」

蟲ツ子のちょうど反対側の架楽の隣。静紅が座っている。狂川に叱責される蟲ツ子を茶化している。口に手を当てて上品な笑い声をあげる。会議室に緊張感が広がる。蟲ツ子が静紅を睨みつける。部長の狂川が嗜める。場の雰囲気を和ませる。

「では無駄な話はこれくらいにして、リニア=レールの本題に入りたい。妙子、例のものをお願い出来るか」

妙子は俯いたまま座っている。一人でニヤニヤと笑いを浮かべる。何かに気付いたように顔をあげる。あたりを見回す。自分のデスクに置き忘れた私物。無言で会議室を出て行ってしまう。蟲ツ子は何かを言いたそうだ。呪谷妙子の奔放さに呆れてしまう。他のメンバーは無言で企画書を眺める。妙子が戻って来るまでをやり過ごす。ドタバタと慌てて、妙子が戻ってくる。靴が入る程度の大きさの箱。妙子がニヤリと笑う。何かを成し遂げた気分。青いダンボール製の箱を軽く揺らす。中身が入っているのを確認する。

「ありがとうございます。妙子さん。これが現在、東北地区で開発が行なわれているルナ☆ハイムのリニア=レール試験機零号ですね。ご出張お疲れ様でした」

静紅は受け取った段ボール箱の蓋を空ける。ガラス製のハイヒールを取り出す。会議用テーブルの真ん中に置く。架楽は喜びを噛み締めている。過去の亡霊とのギャンブル。勝てる算段がつき始めている。冷静な表情を崩したくない。前だけを見ていたい。

「開発の経緯に関しては、今のところ機密情報で君たちにも明かすことが出来ないところが多々ある。だが、物に関しては完全に本物だ、疑いようがない。この靴は、我々に瞬間移動という概念を物理的にも抽象的な意味においても提供してくれる」

架楽から一瞬だけ吐息が漏れる。心の中で抱えていた傷。ガラスの靴を見た瞬間に癒される。解消し過去を精算出来るはずだ。必要な装置をルナ☆ハイムは届けてくれた。気を落ち着かせる。テーブルの上のコーヒーにちょっとだけ口をつける。

「あら。架楽ちゃん。ずいぶんと元気になったのね。まさかシンデレラの順番が自分に回ってきたとでも思っている?」

「まさか。違いますよ、狂川部長。私は私たちがポプリというスターを見つけ出した時から考えていたことが実現して、そのために乗り越えてきたたくさんの物事がやっと実になり始めていることを素直に喜んでいるのです」

「ルナ☆ハイムはとても勇敢な会社です」

妙子が会議室の入り口で立っている。まるで自らの功績を自慢しているようだ。無理やり作ったような笑顔を浮かべている。架楽は妙子に自分の席に戻るように促す。会議が何の支障もなく進行する。緩んでしまった会議室の空気。静紅が取りまとめようとする。

「そうです。この靴の理念に賛同した私たちだってシンデレラになりたい普通の女の子だったことをこの靴が出来上がるまでにみんなが思い知らされましたから。けど、それはきちんと実現した。ガラスみたいに繊細な私たちの心をちゃんと反映して」

「静紅さんは相変わらず話が長いです。ようはこれがポプリのために作られたものだってことでしょ。ここにいる全員がもう理解しています」

静紅は普段感情をあまり表に出すことがない。珍しく意見を主張している。静紅を蟲ツ子が戒める。リニア=レールに対する期待感。冷静さを欠いてはいけない。ガラスの靴に触れようとする。田辺が咳払いをする。静紅の手を叩く。

「好きな人に今すぐにでも会いたいっていう単純さをどうしても形にして見せたかった。架楽さん、ルナ☆ハイムが最初にあなたに接触してきた時からこれはきっと決まっていたことね」

「はい。彼らならこれを実現してくれると私も確信していましたから。今はどうしてもこれを早くポプリに教えてあげたい。きっとそれが私の本音です」

架楽の気丈さが蟲ツ子に安心感を与える。ガラスの靴は会議テーブルの上で光を反射している。田辺がようやく力を抜き、右手で左肩を叩く。狂川は笑顔を溢し、デザイン案を胸に抱える。静紅はコーヒーには口をつけていない。資料の細部まで細かく目を通している。妙子だけが感情を押し殺して微笑みを滲ませている。

「そう。短距離空間転移装置電磁力感知式実験機リニア=レール零号。ポプリにはこの靴と出会うために、残りの全国ツアーをたった一人の力で乗り越えて貰わなくちゃいけない。いつもなら大勢のスタッフに助けられている彼女にそのことを実感してもらう必要がある」

「──私の意地悪によく耐えてくれた」と狂川は考えている。彼女自身が♪Missile&Scoot♪に入社した時から抱えていた願い。今、目の前で形になる。たくさんの不安や心配事。彼女の頭の中を駆け巡っている。どうにもならない状況。乗り越えなければいけない壁。山のように押し寄せてきている。目の前のガラスの靴の美しさ。今は出来る限り囚われていたい。どんな困難も一つの理想形が吹き飛ばしてくれるはずだ。強い思いを確信に変えていく。心の中で頷く。隣に座っていた田辺。気づかないぐらいの小さな笑い。口元に浮かべる。複雑で難解な運命の輪。次々に巻き込まれていく人々。架楽はこみ上げてくる笑いを抑える。足元の青いハイヒールに関する苦い思い出。ルナ☆ハイムが作り出した絡繰の一端。掴み取ろうとする。

「とにかくEmΦtionとの打ち合わせには私も参加する予定です。まだこの靴は磨き上げられる必要もあるし、セカンドラインに関しても私たちが協力しなければいけない話もあるでしょうから」

「よかった」と架楽は確信する。前半戦最後の公演が終わった後の楽屋。ポプリの顔を思い出す。彼女が作り出した歌の続き。架楽が共に時間を過ごした喜仙⏀恭二という男。彼とのかけがえのない日々。奇跡の具現化。少しずつ薄まり始めているのを感じ取る。壊れてしまいそうな過度の情熱。膨れ上がっていた過去の出来事。世界の外側に追い出されてしまいそうな焦燥感。繋ぎ止めてくれていた古い友人。しばらく連絡を取っていないことに気付く。会議が終わった後。架楽はスマートフォンで電話をかける。拾い集めた過去。一つの形に収束する。電話の向こうの友人。食事の約束を取り付けようとする。

「もしもしアイシャ? 久しぶり。うん。元気だよ。あのね、そう。少し私の中で片付いたことがあったの。あはは。そう。けどもう大丈夫。だからさ、なんとなく記念って訳じゃないけど、ご飯食べに行こう。多分、私たちはきっとちゃんと前に進めると思うんだ」

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?