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17. Body Movin

「ねえ、『キネマスコープ』って、本当に実現可能だよ。何度計算しても同じ答えが返ってくる。問題は集合的無意識のほうにあるんじゃないかな。うーん、私は我侭なんだろうか」

二十平米ほどの一室を取り囲むように設置された合計八つのモニターには株式取引情報や中東艦隊の和平案をリポートするニュース、渋谷センター街を映すカメラや何を計測しているかわからないソレノイドグラフや眼帯をした青い熊のイラストが表示されていて人間工学に基づいた設計の黒い革張りの椅子に座ってよく整えられた腰まで届く金髪の女性が座っている。

彼女の身長は百六十センチにも届かず、胸の起伏はまるで十代前半の女の子のようで幼そうな顔立ちから年齢を察しようとしても判別がつかない。

目の前のモニターの記号と数字が羅列された黒い画面に計測された数値が彼女の予測通りになっていないことに愚痴を零してながら机の上のスナック菓子を頬張っている。

彼女の後ろには老人の顔を模したロボットが彼女の身の回りの世話をすべて任せられてはいるけれど、特に何か人の言葉を話す訳でもないままに立っている。

たぶん、だから、理想郷に辿り着くための精微な計算結果を導き出そうとした挙句、不完全な集合的無意識の強引な結合によって観測に関して言葉を並べたのはきっと独り言で彼女はその暗い部屋でいつものようにたった一人でまるで願い事を届けるようにしてタイピングしている。

収集した統計データをもとに導き出されたのは棒線グラフは恐らく彼女と同じように暗部でしか生きることが出来ない人間たちすべての理想郷を作り出す為の手段と手法を確定可能な目的地として算出している。

目の前のデスクのポテトチップスをピンク色の箸で掴みながら、白とピンクのフリルのパジャマから着替えていないことを誰かに気兼ねする様子もなく生まれつき持っている美しい金髪ととても白い肌が決して汚されないように彼女は絶えず八つのモニターで世界を監視しづけている。

「『迦楼羅』、これでサンプリングした波形データを全て送信したよ。周波数を明度と照合させてゴーグルのヘッドライトのLED合成をよろしく。いくら洗脳を施されているといっても動物ならこれが一番効果的面」

黒いワンボックスワゴンの車内で待機中の『迦楼羅』と『櫛名田』と連携をとり、『都民の城』内部で起きている状況を把握して、対策を練っている。

「了解しました。シーケンスパターンに関してはこちらで自動生成致します。オートパイロットモードで進行開始」

『迦楼羅』は『櫛名田』の作り出した特殊なデータを有効に使用するための繰り返し処理を生成し、『都民の城』内部の警備システムに加えて正面玄関から侵入した三名のメンバーの『Faith』にその場で即興的に組み込んだプログラムを送信する。

「『運慶』、『快慶』、ゴーグルを暗視モードに切り替えて。黒犬を統制して無効化してしまうわ。『天狗』にも伝えて」

「りょうかいっすー。というかこんな場所に百匹以上の犬を飼ってるって何をやろうとしてるンスか、このお城は」

『運慶』はゴーグル上部のボタンを押して暗視モードに切り替えて警備システムを破壊することで照明が落とされてしまった『都民の城』内部を見渡してまだ建築資材がまばらに至る所に置かれて工事中であることがわかる内部を確認する。

「では始めちゃってください。いい加減犬どもがはぁはぁと涎を垂らしまくっていて怖すぎる。低層階はさっさと制圧しちゃいましょう」

『迦楼羅』はクラッキングされた警備システム経由で試験運用の為に『ガイガニック』社製の電子脳が埋め込まれた黒い犬の脳神経の一部にアクセスすることで強制的に報奨系への刺激を流し込んで、管理コンピューターの統制下に置かれているために肉体構造的に不可能な活動状態を容認する犬科の哺乳類の単純な脳構造に産まれているシナプス結合を通常の状態へと強制的に引き戻す処理を実行している。

『天狗』は手に持った拳銃のような形をした携帯武器による音波攻撃とヘッドライトのランダムシーケンスによる光の点滅で黒い犬たちの電脳に動物的本能を呼び起こしている。

「お。始まったな。犬どもがどんどん脱力していくぞ。この糞犬どもメ。生物が機械によって支配される未来の為の実験だと。ビビらセヤガッテ。俺たちはやりたいことをやるからな」

『天狗』は黒い犬たちの方へ近づいてくぅんくぅんと甘えた声で鳴きだしている調教済みの番犬たちを蹴り飛ばしながら憎まれ口を叩いている。

一際身体の大きい黒い犬がキャイーンと恨めしそうに鳴きながら壁に吹き飛ばされてその様子に怖気づいた犬たちが一斉に退散していく様子を薄笑いを浮かべながら『天狗』は状況を改善していく部隊の手際に酔いしれる。

「これで低層階を制圧完了です。裏口から侵入した『夜叉』と『阿修羅』と合流して高層階へ向かいます。目的地は十三階の応接室にあるとみてよいんですね」

『快慶』が次の目的地のナビゲーションを確認するようにワンボックスワゴンで待機中の『迦楼羅』と通信する。

「『雨の叢雲』はその場所にあるとみて間違いないでしょう。D地区周辺で多発している『アセチルコリン濃度』の上昇による犯罪増加はほぼ間違いなくこの教団の術式です。『執務室』からの監査報告ですし、信用しましょう」

『迦楼羅』はまず自分たちが第一の関門を乗り越えたことにホッと一息をついて3から10000までの素数をランダムに呟いて精神を落ち着かせる。

「了解した。では俺たちは管理コンピューター『雨の叢雲』の接収もしくは破壊を第一目標に設定。迅速に行動を開始する」

『運慶』と『快慶』が逃げ遅れた黒犬たちをまるでゲームでも楽しむように射殺しながら『天狗』を先導して高層階へ向かう階段を探していると、途中、裏口で警備システムを破壊した『夜叉』と『阿修羅』が合流して五人揃った上で上層階を目指す。

「『八咫烏』は間に合うのかな。『雨の叢雲』制圧には彼が持っている改竄データが必要になるって話。まぁ、そうすんなりうまくいくとは思わないけど、最悪ぼくが全部まとめてドカンッでもいいけどね」

『夜叉』が薬剤の入ったアルミ製のシリンダーを軽く振り回して、正確無比で強烈な彼の仕事が無事にやり遂げられたことをメンバーにアピールをする。

「たぶんね、彼は仕事に遅れたことはないから。そんなことよりさ、『夜叉』君特性の栄養ドリンコ頂戴よ」

ロシア人の『快慶』が青い目を指差して寝ずにオンラインゲームに明け暮れたおかげで、瞳孔がうっかり閉じ始めるほど疲労が溜まっていることをアピールする。

とにかく精密射撃では視力が極端に疲弊するのだろう。

『夜叉』はポケットから透明な薬剤の入ったガラス小瓶を他の四名に投げ渡すと『運慶』はそのまま小瓶の蓋を開けて一気に飲み干す。

「ウッシャー!ありがとー。これでギンギンだよ!レオリウス狩り一気にはじめちゃいマショー」

──いぇーい! ──とハイタッチをする『運慶』と『快慶』は瞳孔が綺礼に開ききって準備が万端であることを確かめ合う。

バチッバチリッと頭の中で電流が流れて結合する音が聞こえて来て脳内が活性化している事実が理解できる。

二階にはまだ高性能ヘルメットによって単純作業になんの不満もなく没頭している現場作業員たちが緊急事態にも関わらず、工期の迫った仕事に対して責任を持ってやり遂げようと周りの異常な状況など気にする様子もなく残っている。

こちらを視覚的に確認すると高性能ヘルメットのゴーグル部分が赤く警報を鳴らすので、『快慶』はしっかり狙いを定めてその場から避難を命じられ始めた作業員の一人一人を麻痺状態にする特殊弾を撃ち込んでいきながら行動不能にする。

ゆっくりと二階部分を制圧した後に再び階段をあがっていくと、三階には簡易的な鉄格子があり、中は先ほど彼らを襲ってきたと思われる黒犬の餌が散乱し悪臭を放っている。

「電脳化された実験体動物。世界はどこまで合理性と利益率の追求による最大限の幸福を実現できるのか探究し始めているということだな。動物的本能が極限まで薄められてしまった俺のような人間が量産出来ることが分かれば、古代社会以来求め続けていた死の恐怖の克服を実現できてしまうということだからな」

『天狗』の見当違いのお説法を聞き流しながら、『阿修羅』が鉄格子付近まで駆け寄って公共事業建築の内部に設置されているにはあまりにも不自然で不合理な檻の周辺を確認する。

黒犬の糞便や食い散らからされた餌が少ないことから、警備システムによって管理されていたアンドロイド達の手によって清掃は十分に行き届いていたことが予想できる。

「良かった。間に合った。今ちょうど『都民の城』正面玄関前に到着。ッテ何これ。こんな目立つ場所にアンドロイドの残骸を置きっぱなしだ。これじゃあ外部の人間が異変に気付いてしまう可能性だってあるのに」

「ごめん。私が実験がてら壊しちゃった。波形パターンを0.2.1.3.5.4の順序で組み込むとそうなる、精巧なアンドロイドと人の違いを明確に出来たよ。ポゾン反応にしては高周波過ぎて扱いが難しいんだ。『非許諾周波数』特有の不安定さだね。どの帯域も不安定すぎて使いこなすにはだいぶ慣れが必要だなー」

「なるほど。そういうことか。そうなると、サーバで照合したデータとはやっぱり地上地下合わせて十三階建てでは高さが合わない。『雨の叢雲』はダミーかな。本当に隠したいものがあるのかもしれない」

『八咫烏』は収集してきたデータを基に『都民の城』内部構造をゴーグルで確認して他の五人の後を追う。

早めに先行部隊に合流しようとちょっとだけ脚を早める。

『八咫烏』の侵入を確認した『迦楼羅』が一仕事終えたのだと油断がうっかり漏れてしまいそうになったその瞬間に彼のノートPCからビーと警告を知らせるブザー音が鳴り始める。

「うん? あれ? 上層階から高エネルギー反応? ッテおかしいな。数値が完全に振り切れちゃう。体内に五十三万度の熱源体ってそんなものがまともに移動出来るわけが」

『迦楼羅』は、突然発生した高エネルギー反応がモニター上に出力されたことに困惑する。

内と外での連携に乱れを投げ込まれるようにして目の前に現れた刺激と桃水の権化によって『八岐大蛇』メンバーの緊張間が最高潮に達する。

「えっと、ヤバイもの見ちゃいました。身長二メートルはありますよ。あれ。というか重みで床にヒビ入ってるじゃないですか」

「黒いタイツで上半身裸。早めに起動部分を撃ち抜いて射殺したいけど、『迦楼羅』君の情報通り体内に五十三万度近いエネルギー源があるのなら迂闊に攻撃するなんて出来ないんじゃないかな」

『運慶』と『快慶』が鉄格子内の柱の影に避難して五人に向かって近づいてくる巨大な鉄人兵器を警戒する。

自分たちの目の前に何か全く新しいものが突然現れて状況を何もかも塗り替えてしまうのかもしれないという期待と恐怖が『八岐大蛇』を蹂躙しようとしている。

「塩基配列の識別パターンは青。ということは、開発局『キノクニヤ』の『改造医療実験体』ですね。なんでこんなところにあるんですか」

『迦楼羅』は解析した数値を見て手が震えながら事実を率直に述べる。予定外の難敵の出現に攻略方法の糸口すら見つけられない。

「あれは零弐弐番、『百田光浩』だな。かなり厄介な代物だ。確か、先月強奪されたと聞いている。全身をサイボーグとして義体化された暴力装置そのものなんだ、やつは」

『天狗』は冷静にかつ作戦行動に急遽発生した異常事態に対して怯むことなく悠然と前へ進み自ら攻撃を受け止め切る覚悟で『八岐大蛇』を統率しようとする。

「新しく波形シークエンスを生成してハックをかけたいけど無理そうだね。たぶん『雨の叢雲』から直接エネルギーを供給されて操作されているし、解析パターンを見る限り生半可な物理攻撃が効く相手とは思えない」

『櫛名田』が半笑いで人生の終わりを覚悟してヘッドフォンを首にかけて万策尽きたと覚悟を決める。

「あー二度と忘れられない夜になりそう。爆破出来ない代物である以上ぼくの出番はなしってことになるのかな。現在の状況は時間が来るまで、とにかく逃げ惑うしかないって意味にしか受け取れない」

ニヤついた顔がトレードマークであった『夜叉』から笑いが消える。

微かな期待だけを他のメンバーにかけているのか初めて見せる真剣な眼差しに『阿修羅』が戸惑っている。

「お前みたいなのは特攻して自殺でもすると思ってたよ。とりあえず『八咫烏』が後ろから来てる。ぼくらが引きつけている間に一人で上層階まであがってもらって状況を打開してもらうしかないね」

『運慶』と『快慶』が牢屋内を左右に別れて完璧にシンクロした動きで脅威を冷静に分析しながら進行方向を制御して少しでも時間を稼ぐ方法を考えている。

「見ているだけで不安しか巻き起こらない。笑いが止まらなくなるよ、あんなのって人間が止められるの?」

「まぁーやってみるしかないですよね。とりあえず『夜叉』くん、直接は危ないから彼の前方の床を爆破して行動を制限してしまおう。少なくとも連続した攻撃を与えているぼくらを狙って来ている以上対策を取る手段はいくらでも考えられますよ。諦めることはないはずです」

珍しく真剣になっているからか落ち着きがなくなっている『夜叉』が不用意に余っていた小型爆弾を百田光浩に向かって放り投げるとあっさりとキャチされてしまい、大きく口を開けてまるで新食感の食べ物でも見つけたように体内に取り込む。

抑制された爆発音が巨大な身体の内部から聞こえて来て、『百田光浩』はゲプっと、火薬の匂いのする煙を吐き出す。

「爆弾を喰う? なんでもありだな、やつは。あんなもの潰しようがないだろ」

『快慶』は全く予測がつかない彼の動きに気が動転しているのか威勢よく作戦行動に出るつもりが出鼻を挫かれてしまい弱音を吐いてしまう。

わずかに『運慶』との同期された動きにズレが出てしまうけれど、『運慶』が一発だけ撃ち込んだ銃弾を素手で掴み取る『百田光浩』を見て体勢を立て直す。

「これは完全にお手上げだ。管理コンピュータを『八咫烏』君に制圧してもらうまで逃げてとにかく時間を稼ぐしかない。一撃でもまともに生身のぼくらが喰らってしまえばお陀仏だ。最上階まで出番を保留しておきたかったけれど『翁』から寵愛を受けたばかりの『天狗』に出張ってもらうしかなさそうだ」

『阿修羅』は『天狗』にかけられているはずの基本魔術とは違う構成の科学的常識を飛び越えた不可思議な力の発動に最後の期待をかける。

『いにしえ』によって身体の傷が瞬時に回復し続けるけれど、彼の記憶には何度でも暴虐の行為は刻み付けられる。

「即死でない限りは痛みが全身に走り回るだけで、基本的にはすぐ治癒されるはずだ。『翁』の復元術式の効力を信じてみるしかないがナ」

『天狗』が右腕をまくってみると見たことのない文字で埋め尽くされてぼんやりと光を帯びている。

一息だけ溜息をつくと、後ろから優しく誰かが抱きしめるように腕を回して来て耳元で女の子の声が聞こえる。

──ね。言ったでしょ。私が守ってあげるって──

もし、(病)が外に出るだけで誰かの心を犯して身体を穢してしまうのならば、『翁』のいう通り、彼女は青き正常なる世界の為にあの家で永遠に幸福のまま死んでいくのかもしれない。

けれど、こうして何か特別な気持ちに支えられて彼女は外の世界を見るためにこっそり『天狗』に力を貸してくれている。

血が噴き出るのかもしれないと迷いが産まれるけれど『天狗』の後ろから回された腕にはどうにもならない状況を打開するだけの優しさが含まれているような気がして『天狗』は気を引き締めってホッとする。

『阿修羅』は『天狗』の顔を見て最後まで戦うことを決意して彼のあやふやな古代魔術に関する知識を披露する。

「『いにしえ』『{f(g(x))}'=f'(g(x))g(x)』。人体復元魔術。戦時中、不死の兵団として恐れられたKAMIKAZEの全兵士に刻み込まれた禁忌中の禁忌。人が神に近づこうとした最も分かりやすい過ち。『翁』があの家から出ようとしない理由の一つですね。この魔術は人類が死を忘れる為に古代の女王が作り出した秘術ですから」

『阿修羅』が語っている今はもう覚えている人間すらほとんど見当たらない、けれど現在を打破する為に唯一の魔術ではあるけれど、『いにしえ』と呼ばれる違法魔術がなぜ現在は禁止され使うことを許されていないのかという事実も含めて『天狗』の身体に起きるはずの異変を杞憂する。

「戦時中、人体錬成と実験に関わって生き残った連中はほとんどが極刑に処されたにも関わらず彼女が生かされている理由は違法術式の知識量が膨大過ぎて国宝に近いからでしたっけ。強引に死という絶対不可避の現実から逃避しつづける生物としての人間の完全なる否定を当時は軍部にも政府高官にもそれに『インディペンデンス』にも存在していなかった」

『快慶』が天井や床に銃弾を撃ち込んでコンクリートを崩し、『百田光浩』の動きを牽制しながら『天狗』の動きを気にしている。

「けど、そんなおばあさんがあんな場所で暮らしている。なんか戦後のGHQの占領がどうとか、どうでもいいことをいいたくなっちゃうなー」

入射角と反射角を利用した弾道計算で『運慶』は全身サイボーグの使者がなぜか近くに寄ってこないことを懸念して戦争兵器の複雑な事情を考察している。

「それでも俺は彼女の知識と(病)が持っていた奇妙な能力のおかげで致死量の血液が流れ出たとしても瞬時に治癒されて痛みの牢獄の中で囚われたまま生き続けることは出来る。激痛が例え脳味噌を破壊してしまうほどに襲いかかって来たとしてもただ耐えるだけになる」

『天狗』が牢屋の中央に立って『百田光浩』を誘き寄せる。

他の四人が左右に散らばりながら、どうやら管理コンピューターからの『百田光浩』に与えている命令が非常に単純なパターンだけを意図的に選んで送信して来ていることを確認する。

「いっそのことぼくが『魔術回路』持ちで肉体硬化の術式とか使えたらいいんですけど、なにぶんあくまで普通の人間、とりあえずなんとかあの人間紛いから逃げ切れるだけ逃げ切るしかないですね。あ。すげーでかい」

『阿修羅』と『天狗』が肺胞の欠陥に関する訝しげな話題をかわしている隙をついて、『百田光浩』はまるで人喰い熊のように両手をあげて牢屋の内部まで襲い掛かろうと向かってくる。

黒い犬を囲っていた鉄格子は大きな両手の一撃でひしゃげてしまい、まるっきり役に立たなくなってしまう。

「あーやっぱ半端ない。『迦楼羅』のいう動力源は定石通り心臓あたりにあるんですか、あれ。とりあえず手足を撃ち抜いて動きを制限しちゃいましょう」

『運慶』が自動拳銃を構えてまずは正確に『百田光浩』の右足の甲を撃ち抜こうとする。

唸り声をあげて暴れまわっている零弐弐番の履いている黒いカンフーシューズはとても硬い金属で出来ているのかカスタムメイドのベレッタ92の弾丸を弾き返してしまう。

「うん。やっぱ硬過ぎ。タングステンか何かだよ、あれ。では今度はこっちの改造拳銃の方で撃ち抜いてしまいましょうか」

徐々に距離を詰めてくる『百田光浩』の左太腿に照準を合わせて弾丸を放つ。

一晩かけて弾丸の発射速度を調整したコルトガバメントは『百田光浩』の硬質な金属製筋肉の鎧を貫いて彼を跪かせる。

「おー意外といける。これならぼくもプラ爆いくつかまだ余っているんでこのまま一気に破壊しちゃいましょう!」

「馬鹿か! お前は! 動力源は摂氏五十三万度だぞ。下手に干渉したらこのビルごとお陀仏だ」

『夜叉』が爆弾を投げようとしたところを『阿修羅』が慌てて押さえつける。

その間に『百田光浩』は立ち上がる。

撃ち抜かれた太腿の傷口は配線が飛び出て機械が丸見えになっているけれど、動作に不具合が出ているわけでもなく四散した『八岐大蛇』の誰に狙いを定めてしまうのか少しだけ躊躇するように動きを止めている。

どうやら自分の意志というよりも『雨の叢雲』もしくはそれに類似する操作系統が存在するようだ。

「零弐弐番はやはり人類史上初めて完全義体化に成功した唯一の完璧の実例だな。見た通りだが出力も通常の人間とは比べものにならん。いいか、とにかく出来る限り足止めをしろ。『八咫烏』は必ず間に合ってくれる」

『天狗』が少しだけ打ち砕かれそうな他のメンバーの気持ちを盛り上げようと叱咤激励する。

『夜叉』の元気ドリンコの効果もあいまって鉄格子の中を出来る限り一塊になって狙い撃ちされないように散らばる。

『百田光浩』はやはり誰を最初に壊してしまうのかを考えているというよりも命令を待っているような状態で威嚇している。

銃弾や爆弾を使い、足止めをして誘導をしているうちに牢屋の反対側の階段の入り口から息を切らして登って来た『八咫烏』が右往左往させられながら手をこまねいている『百田光浩』の後方から現れる。

「うわ。もしかしていきなり大ピンチ。なんですか、あの化け物は。みんなもこのビルごと破壊する気まんまんじゃないですか。しかも犬の糞くさい。どうしてこんなところで足止め食ってるんですか」

『八咫烏』が三階に到着すると、身長二メートルを超す巨大な漢が鉄格子の中で散開している『八岐大蛇』のメンバーを強大な力で追い回している。

『天狗』がいち早く気付いたのかこれ以上時間を稼ぐ必要がなく自ら盾となって道を切り開けると確信を持って叫び出す。

「間に合ったか。お前はこのまま目の前の階段から上層階へ向かえ。エレベータはメンテナンス中で動いていないが、十三階に応接室があるはずだ。『飄恒ガロン』はそこにいる。俺たちの予測が正しければ、『雨の叢雲』をシャットダウンすればこいつは止まるはずだ。」

間一髪腰を落とした『天狗』の頭上を通常の成人男性の2倍以上の手が空気を切り裂く。

『百田光浩』はそのまま脚を蹴りあげ、『天狗』の腹部に足の甲を入れ吹き飛ばす。

ぐはぁと口から吐瀉物を吐き出して壁に激突する。

「うわー『天狗』今度こそほんと死んじゃうよー。あは。内臓はいくつか潰れたでしょ。痛ソー」

「いやーマー大丈夫でしょー。あ、もう治癒魔法が効いているみたい。他にもいろいろあるだろうにわざわざあんな魔術で防御整えるなんて、あの人はほんとドMだなー」

『運慶』と『快慶』が援護射撃で『百田光浩』を牽制する。

内臓が潰されて致命傷を負ったにも関わらず『いにしえ』『{f(g(x))}'=f'(g(x))g(x)』が起動したのかすぐに負傷部分が治癒されたお陰で、『天狗』は口から血を吐き出しながらもなんとか立ち上がり『百田光浩』の重爆機のような連続攻撃から逃げ出そうとする。

「あーなんとかその分なら持ちそうだね。さすがは戦前を生きる古代の魔術師の蘇生術って感じだね。敵機特攻でもそれなら怖くない!じゃあ、俺は先に行って『雨の叢雲』を止めに行くよ。死なない程度に持ち堪えてね、『天狗』。じゃあ後で! 必ず!」

三階階段脇のエレベーターは『天狗』の言う通り工事中の為かボタンを押しても反応せず恐らく警備システムではなく管理コンピューターで直接制御されているようで、『八咫烏』は仕方なく階段を使い最上階まで登っていく。

『八咫烏』が消えていくのを確認すると同時に『夜叉』が天井に向かってプラスチック爆弾を投げつけると指向性の爆弾による極少の爆発と共に天井が崩れ落ちてきて『百田光浩』にコンクリートガラが覆い被さる。

一瞬だけ怯んだ隙に『阿修羅』がGPSの内蔵された発信器を右太腿に投げつけると『百田光浩』に付着する。

「『迦楼羅』くん。ぼくの開発した発信器からこいつの仕組みを解析出来ちゃうかな。なんとかいくつか仕込んでみるからあとはよろしく!」

「あーデータ来ましたね。脚部だけでなく胴体や頭部にもなんとかお願いします。管理コンピューター『雨の叢雲』を奪取後、すぐにこいつを行動を制御してやりますよ、これはむしろ手駒に使いたい」

『迦楼羅』の通信に元気が取り戻されるのを聞きながら、潰れた内臓から溢れ出て来た血液を吐き出して蘇生されても激痛が走ったと言う記憶から少しだけ竦んでいる足の震えを止めるように虚勢をはる。

「げほっ。そこまで出来るならなんとか生捕りにしろ。お前の言う通り零弐弐番の性能は破壊してしまうには惜しい。ただでさえ予算不足の『八岐大蛇』にはうってつけだ、必ず俺たちの仲間に加えるんだ」

『天狗』は苦しそうに消えたはずの痛みに怯えるようにして脇腹を押さえながら鉄格子の中に分散するメンバーに指示をする。

本来ならば、突攻した兵士が機体が破壊されてもなお生きて帰る為に使われた術式で記憶に刻まれた痛みからは逃げることが出来ないにも関わらず『天狗』は的確な状況判断を実行し、『運慶』は感心しながら同意する。

「あ、やっぱりソーですよねー。こいつはどうやら頭が悪い。というより操作系統をいじってるやつが確実にぼくらで遊んでますね。攻撃パターンが単純過ぎてこっちも時間稼ぐぐらいなら余裕ありますし」

「それにこのパワーは本当に魅力がありすぎる。改造コルトぐらいじゃ簡単に壊せないし、鉄格子を簡単に捻じ曲げてしまうとかどんな仕様で出来ているんでしょうね。『キノクニヤ』の技術は人類の限界領域に達している。チルドレ☆ンから与えられた葡萄酒を飲み干した技術者たちの狂気が細部に渡るまで浸透している」

『快慶』がパンッパンッと銃弾を連射するとまるでセールストークでも捌くように『百田光浩』は弾丸を既でキャッチして勢いを殺す。

『八岐大蛇』のメンバーは規格外れのパワーとスピードに魅了されながら苦笑いをして余裕で逃げ切れると考えていたことを改めて気を引き締める。

たぶん油断をすると、今日が最後の日になってしまうだろうとわざわざ性能を確かめるように囮になった『天狗』がローキックで左脚がひしゃげて危うく切断しかけてしまっていることをみて全員が理解する。

「って相変わらず無茶しますね。メディケアって今回はほとんど持ってきて無いんでこれでなんとか。骨折ぐらいの痛みなら誤魔化せます。痛みがこびりついているのになんでもないってどんな感覚なんでしょうね」

『阿修羅』が危うく人間スクラップになりかけた『天狗』を走り寄って救い出しすぐさま『夜叉』が天井を再び爆破して崩れ落ちるコンクリートで足止めをすると、出来る限り『百田光浩』から離れた牢屋の隅っこで『天狗』に簡易的な応急処置をして神経と骨が切断されてしまった痛みの記憶を除去しようとする。

「なんとかこれで耐え忍んでください。戦時中の兵士はこの恐怖と痛みに耐えきれず結局帰ってこれるものはほとんどいなかったと聞きます。とにかくぼくらは『八咫烏』を信じるしかない。怯えが染みついてしまった足手まといを背負うなんていうのは、まっぴらごめんですからうまく逃げおおせてください。ぼくらがうまく引きつけますから」

『天狗』は当たり前だという顔をして激痛を感じるために強姦を繰り返し暴力によって女を欲情させ無意味で無駄な射精を行きずりの女の膣内にし続けてきたことを自覚する。

「『天狗』は天罰が欲しいと大抵の人に勘違いされちゃうからな。自分を壊すのに夢中になり過ぎてぽっくり死んじゃわないといいけど。なんでもいいけど階段多いなー。どこまで登っていけばいいんだろ」

『八咫烏』は『天狗』の特殊な性癖が単純に陰茎を刺激する為の儀式に近いことを理解しているのが『八岐大蛇』の中でも自分だけなのだろうとニヤつきながら息を切らしながら階段を登る。

性的欲求が変形していることに対して彼ほど自覚して自信を持っている人を見たことがないなと考えながら、五階の表示が見えたところで、窓から二四六号を眺めて黒いワンボックスワゴンの屋根に取り付けたパラボラアンテナがぐるぐると回転し周囲のデータを収集していることを発見する。

アンテナは南を向いて停止して恵比寿方面で起きている異変をキャッチする。

誰かが何処かで違う種類の扉を開けて止まっている時間を進めようとしている。

「イマージュが能動的に投射される。その度にあなたは再生して私に居場所を立案する」

大きなガラス窓の向こうにたくさんの本が並んでいる建物の入り口のコンクリートで二股に分かれる裂傷が芹沢美沙の目の前で復元されていく。

夜が深まり明かりはほとんど見当たらないけれど一眼レフカメラをビデオモードに切り替えて傷口が再生していく様子を彼女はSDカードへと刻み込んでいく。

いくら癒そうとしても治してみようとしても消えて見えなくなってしまったはずの傷痕が再び現れて芹沢美沙を捕まえる。

機械的な明滅音と一緒に鋭い爪のようなものが黒い光をまとってコンクリートを削り取る。

ぶくぶくと泡のように悪意が吹き出して懐かしさも心地よさも感じられない音がプツリと湧いて出る。「ねぇ、どう考えてもこの周辺のポゾン反応が多過ぎるよ。六五五三七番だけじゃ円環内の『アセチルコリン濃度』が上昇する程度がせいぜいなんだよ。何か別の因子が絡んでいるとしか思えない」

『櫛名田』の嗅覚は現実離れした出来事の臭いを嗅ぎつけて鼓動まで速めている。

『八咫烏』があんな風に急いで誰かに見られそうなことも気にせずに空を飛んでくるのは初めてのことで気をつけて意識を保っていないとこの場所から引き剥がされてしまいそうで少しだけ怖くてもはや自分の仕事に夢中で聞く耳を持たない『迦楼羅』に思わず話しかけてしまった。

『迦楼羅』が全く反応しないことを確認してまた一つ集めたポゾン反応が噴き出す音をサンプリングして『都民の城』をゆっくりと見上げる。

「空なんて飛んで体力を使ってしまったから階段を登ることすらやっとだ。『天狗』たちにこれ以上負担をかける訳にいかないのにナ」

五階で立ち止まった後に、一段飛ばしで六階まであがり、時間なんて気にしなくていいように速度をあげる。

息切れを覆い隠して内臓が潰れて骨が砕けているかもしれない『天狗』のことを気にかける。七階と八階の途中でつい脚を止めて膝を抱えたけれど、まだ上があるのだからと九階と十階までは決して脚を止めずに一気に駆け上がった。

躊躇いも戸惑いも全て吐き出すようにして息が乱れるのも気にせず十一階までの階段をあがって違和感がついてくるのを払拭しようとうする。

最上階まではもうすぐで、けれど、十二階に着いた時に感覚が呼び戻されて、非常口のほうを振り向くとどうしてもその階に立ち寄らなければいけない焦燥感に襲われて鋼鉄製の扉を開けて十二階のフロアに出る。

とても静かで子供の頃この場所にもしかしたらきたことがあるかもしれないというデジャブに襲われ誰もいないまだ工事中の壁紙すら貼られていない廊下を見渡すと、なぜかその場所だけぽっかり浮かび上がるように工事が完了して取り付けられているカシの木製の扉を開ける。

わかっている。

最初からこの場所を訪ねるために急いで空を飛んできたんだと『八咫烏』は確信する。

「こんばんは。君は一人でこんなところで何をしているンダイ」

八つの大きなモニターと沢山の小さなモニターに囲まれた部屋で長い黒髪の女の子は革張りの椅子の上に座って彼女の正面に置かれた銀色のデスクトップマシンを見つめている。

彼女のすぐ脇には老人の形を模したロボットがこちらを向いて佇んでいる。

「この部屋に人が来たのは七ヶ月ぶり。まだ工事中だっていうのに急いでここで生活が出来る様に我が侭を言って使わせてもらっているんだ。ぼくが人と話すのは三ヶ月と十三日と三時間ぶり。上の階のガロンが神宮前五丁目の新築工事で得たお金の一部をぼくの秘密口座に振り込んでくれたことを伝えに来た時かな」

くるりとデスクチェアを反転させて彼女はぼくのほうを振り向く。

とても幼い顔をしていて未成年のようにも見えるけれど、話し方や態度は成人女性のようにとても落ち着いている。

「ぼくは何故かこの部屋に引き寄せられて入ってきてしまった。初めから決められていたようにも感じているし鍵はかかっていなかったから構わないよね。名前を聞いてもいいかな」

疑り深そうな目でとても慎重にぼくを覗き込んで彼女は答える。

「ぼくは『壱ノ城有栖』。警報装置を鳴り響かせて侵入してきたのはきみたちかい。ここはまだ改築工事中だ、作業員以外はぼくか『S.A.I.』の連中しかここには入れないはずだよ」

「ぼくの仲間はまともな方法では縛ることが出来ないんだ。『大和』艦内有数のセキリュティだったとしても堂々と扉をこじ開けられるさ。ところで、下の階で暴れているレスラーみたいなサイボーグを止める手立ては知っているかな」

中央のデスクトップマシンのアプリケーションを切り替えると画面には『天狗』が血反吐を吐きながら壁に吹き飛ばされている様子と両脇から弾丸を打ち込む『運慶』と『快慶』の姿が確認出来る。

「彼らは一応処刑対象。ぼくが『飄恒ガロン』から接収したけれど無理矢理乗っ取った義体化型『改造医療実験体』、試験番号零弐弐『百田光浩』の手によって。まぁ、だいぶ遊ばせてもらっているけれど時間の問題だね」

「ぼくはその死刑執行の難を逃れてここにいる。寝返るという選択もこの状況ではありそうだ」

「なんという悪辣。仲間意識の欠片もないのか、君には。泣いて縋って頼み込む場面だ。ここは」

「悪いけれど、ぼくはそういうのは苦手なんだ。ただ、仕事は優先させたい。『地深く眠る古龍の嫉みと妬み』を仕込んだのは君の仕事かな」

「あれは『鴇ノ下綺礼』。ぼくは『飄恒ガロン』のお膝元で世界征服。あのさ、本当に死ぬぞ、君の仲間」

『天狗』は腕をへし折られ顔面を潰されてもなお蘇生魔法ですぐに治癒されて『阿修羅』と『夜叉』の力を借りてなんとか意識と命を保っている。

「まぁ、そうだね。彼らがいた方がぼくは仕事がしやすい。止める方法はあるのかな」

「ストレート。率直。その方がやりやすい。この二つの鍵でこの部屋の電源を落とせば『百田光浩』の行動も止まる。上の階の『雨の叢雲』から産まれた子供。生命により近い機械で彼を操作している」

「分かりやすくて簡単な理屈だ。じゃあこのビルの金庫を奪ってぼくらと一緒に外に出る。この部屋だけじゃ世界は狭いだろう?」

「強引に唇を奪い黙らせる。というやり方もある。確かにデジタルネイティブなんて柄じゃない。普通の生活には飽きてきたところだしね」

『八咫烏』はすっと近づいて『壱ノ城有栖』の唇を奪う。

彼女は静かに目を閉じると鍵の一つを彼の右手に握らせる。

『八咫烏』は唇を離して有栖の目を見つめる。

一際大きな爆発音が下の階で響き、『都民の城』付近の渋谷に警戒を促す。

『壱ノ城有栖』は目をぱちくりさせて運命を感じると脚を踏み出す決心をする。

「これで契約成立かな。さて、はじめての共同作業といこう。手早く行動を開始する必要性がある」

『壱ノ城有栖』は『八咫烏』に渡した鍵とまったく同じ形の鍵を持って彼女の部屋の右側に設置されているサーバのほうに案内する。

サーバの電源部分がまるで生き物の眼球のように動いて『八咫烏』と『壱ノ城有栖』を監視する。

「ご覧の通りこの子は生きている。けれどここの鍵穴に鍵を挿して同時に左に廻す。これでこの子の今回の人生と『百田光浩』の内部電源はシャットダウン出来るかな」

「随分と話が早い。確かに刺激的な機械生命だけれど、ぼくらと一緒にいれば見たことがない景色に囲まれてきっと飽きることはないかな。何せ、世界の外側で生きようとする連中なんだからさ」

わかっているよーという顔をして口を尖らせて『壱ノ城有栖』が黄金色の鍵をかざして『八咫烏』とシンクロすることをせがんでいる。

二人はギロリと睨む小さな機械生命に空いた二つの鍵穴にゆっくりと奇妙な形をした鍵を差し込んでみる。

「オーケーだね。じゃぁ、いくよ。せーの。三、二、一。どーぞ」

二つの鍵穴に挿した同じ形の鍵が『壱ノ城有栖』と『八咫烏』の手でぐるりと左回りに回されると部屋の中央のサーバが一気にシャットダウンする。

同時に部屋の中央のモニターに映し出された映像もプツンと途切れて真っ黒な画面に切り替わる。

何故だか分からないけれどとても幸せな気分に包まれた『八咫烏』と『壱ノ城有栖』が再びキスをしてそっと世界が新しく生まれ変わって切り替わる。

「──あ。うまくいったね。制圧完了。四百秒のつもりが思わぬ強敵の登場にとんでもなく時間かかっちゃいましたね──」

『運慶』と『快慶』が話し言葉をシンクロさせて柱の影に隠れながら構えていたベレッタとコルトを利き手ではないほうに持ち替えてハイタッチをする。

狩りの終わった後に必ず二人はお互いを同期させて意識のリンクを確認する。

プシューというガスが抜ける音をさせながら蒸気のような煙を耳や鼻の穴から噴き出して『百田光浩』が膝をつきそのまま地面に倒れて活動を停止する。

全身を義体化されている為に、電源機能に近い心肺機能を遮断されると行動不能になってしまうようだ。

上層階で『八咫烏』が管理コンピュータの制圧を完了したのだろうと『天狗』は何度も刻み込まれた激痛を払拭しようとしたけれど、思わずぐらりと目眩がしてその場に跪く。

「うわー。『天狗』さん、今回は何人女をレイプしてたんすか。特殊部隊所属にはあるまじき行いの報い。因果応報とはこのことっすねぇ」

『夜叉』の憎まれ口を聞きながら、『阿修羅』に肩を借りて、まだ激痛が走った感触で運動神経が麻痺している脚を引き摺り同じように記憶の片隅に内臓が破裂した時の痛みが幻のように走り回っている脇腹を抑えて『天狗』は快楽の対価を得るために獲得した苦痛によって生命を捨てる事を当然の行いとでもいうかのような態度でみなに号令を出そうとする。

「試験番号零弐弐番の生捕り任務完了だ。『迦楼羅』、なんとかお前たちの方でこれを回収しておいてくれ。俺たちはこのまま十三階へ向かう」

『迦楼羅』へ機体回収命令を出してもなお、まだ痛みに対する怯えが残っている『天狗』の様子をみて『夜叉』も気が抜けたのか本来の自分を取り戻しげらげらと笑いながら拳銃を『天狗』の心臓に向けて撃ち殺そうとする。

「『天狗』さん、一発であの世に行ける方法で攻撃を喰らったら怪我が治って復活とかないんですか? とんでもなく辛そうですしお手伝いしますよ」

『阿修羅』は『夜叉』の行いに激怒して叱責しようとするが『天狗』に静止させられてすぐに冷静さを取り戻す。

「『翁』の術式は現在は禁忌とされているが故に代償は大きい。あの小さな女の子が『翁』の媒介として(病)を背負わされている。その感情がずっと俺の中になだれ込んで来るんだ」

──別に心配なんてする必要がないんだよ──って小さな声が聞こえたような気がしたけれど、とっくに家に戻った彼女はきっとしばらく外の世界を見ようとは思わないのかもしれない。

「『天狗』がいいならそれで俺は構わないですよ。『夜叉』もこの状況で悪ふざけは大概にしろ」

笑いを止めて『夜叉』はトカレフをベルトのホルダーに収める。

『快慶』が三階階段脇にあるエレベーターが動き出したことを確認して五人に合図を送る。

『運慶』が扉を押さえて三人がエレベータに乗り込むように誘導する。

「『八咫烏』がしっかり仕事をしてくれましたね。この状況なら絶対裏切ると思いましたけど」

信用という意味において八人が連結した意志と行動を見せることは考えられないけれど、共通の目的と目標を獲得するのであれば八人の思考が乱れることはあり得ない。

たぶん自由意志に基づいた悦楽と報奨系の充足に関する行動原理が彼らの作戦行動における結束性を高めていることがむしろ『八岐大蛇』が特殊な任務を請け負う奇妙な部隊である理由であると同時に公式記録に残されるような部隊には決して採用されることのない人間たちの集まりであることを示唆している。

およそ軍人的な規範から外れてしまうからこそ彼らの特殊性は高められ、『執務室』直属の諜報部隊の中でも特に低予算で劣悪な環境に押し込められている魔術犯罪特別諜報部隊『八岐大蛇』が常識と法則を逸脱した科学の向こう側を取り仕切っているのだということを実感しながらエレベータは動き出す。

「『阿修羅』の解析チップのお陰で『百田光浩』に関するデータも収集済みです。電源を復旧させた時には彼の行動はぼくらの制御化に置かれているはず。こちらはぼくらに任せて、『天狗』たちはとにかく『雨の叢雲』の制圧を急ぎましょう。」

『迦楼羅』はPC内の『百田光浩』のデータを解析して電源部分の高エネルギー反応もさることながら『ガイガニック社』や『ルナハイム社』ですら到達することのできていない未知の技術に関して『執務室』開発室が明らかにチルドレ☆ンからなんらかの技術提供を受けていることを再認識する。

彼らはもしかしたら二つの予言と預言を人間たちに与えることで惑星型船団『ガイア』を生きる人間たちの進化の可能性に関する実験を新たな領域へと導こうとしているのかもしれない。

『天狗』、『夜叉』、『阿修羅』、『運慶』、『快慶』の乗るエレベータが十三階へ到着したことを知らせる。天国への近道か地獄への直通便なのかは誰もわからないけれど、エレベータを降りた先にあるとても重厚な作りの大正ロマネスク調の扉についていた熊のドアノッカーはもしかたらこの日彼らが訪れることを知っていたのかもしれない。

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