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岡田斗司夫さんの『ぼくたちの洗脳社会』を読んでみた

どうも!まつです!
今回は、独り言ビジネス本の要約です!

今回、読んだビジネス本は岡田斗司夫さんの『ぼくたちの洗脳社会』です。

岡田斗司夫さん、いつもYouTubeで楽しく拝見させていただいております。
ありがとうございます。

ずっと気になっていた本にやっと辿り着くことができました笑っ
本書の冒頭にある価値観についての話の中で改めて考えさせられました。価値観とはすぐに変わるものではないけど、徐々に変化するものであるといこと。
じゃあ価値観とは一体何なのか、ある仮説をたててみる。それはテクノロジーの発展に伴う生活水準なのではないだろうか。
例えば、本書でも説明されているが当時の移動といえば馬車であり、主婦の仕事といえば家事と編み物。しかし今の時代、馬車で移動している人なんていないし、家で編み物をやっている人もほとんどいない。

しかし私たちはテクノロジーの進化を自分たちの生活の延長線上にしか考えられず、どの道具が便利になるかを常に考えてしまっている。
しかし本当のテクノロジーの進化は生活の根底から変えるような技術なのかもしれない。俗に言う破壊的イノベーションということになる。

以前、岡田斗司夫さんは、世の中を変えるほどの成果を残す人はSFを見るとおっしゃっていたけど、多分そういうことなんだと思う。

そしてこれからどういう未来になっていくのかを考えるなら過去、そして今の状況を把握する必要がある。『科学は死んだ』この言葉は衝撃的でありながら、とても納得させてもらった。

もう、昔のように科学によって胸を躍らされることもなくなった。その理由が科学によって変わることの限界値を各々がなんとなく気付いてしまったことが原因らしい。
良くも悪しくも科学が身近になってしまったのだと思う。科学に幸福をもたらす力や可能性はなくなってしまった。

科学が死んでしまった理由が本書に書かれているので簡単に紹介。
①科学自体の限界
②科学者を信じられなくなった
③科学主義を切り売りするマスメディアに対する不信

確かにと思うようなことばかりだと思う。しかし、科学に対して抱いていた魔法のようなイメージはなくなったとしても、限界値があるからこそうまく付き合えるのではないかとも思う。
科学に頼り切らずに科学とうまく付き合うことが重要。

とはいえ、「③のマスメディアに対する不信」ここに対しては何かしらの対策が必要であると思う。
大きく分けて2種類あって、メディア自体を変えること、そしてメディアとの付き合い方を変えること。
この2種類しかない。

その中で若者のイメージについて岡田さんはまとめており、現代の若者は「勉強がしたい」というアンケートがあるらしい。
え?ホントに?って思ったけど、思い返してみれば確かにそうかもしれない。ニュアンスとしては勉強というよりも知識を得たい。本質的には同じようなことだけど、こっちのほうが個人的にはしっくりくる。

本書の中の中世、ローマ帝国の話が面白いから共有。『中世では「モノ不足・時間余り」であったらしい。中世の人たちは勤勉を犯罪だとした。理由としては、働けば働くほど人のモノを奪うという価値観で生きていた』平均して週休4日が当たり前だった。

これって私たちからしたら幸せと感じるかもしれないけど、そうでもない。
『不足するモノを節約し、有り余る時間をいっぱい使う』その中で一定数の人たちは宗教でき研究に没頭していったらしい。

これは現代人にも意識してほしいし、今後こういう未来が来ると岡田さんは仰っている。
最近の動画などで発している『労働なき奴隷』これがいい例だと思う。
今まで私たちを縛っていた労働を取り上げられた時に自分たちは「何ができる?」「何をやりたい?」これがないと廃人のような人生になりかねない。

岡田さんが仰っている労働なき奴隷になりえる人とは、能力がなく社会において足手まといになるような人材らしいので社会に求められているうちはなんの心配もないかもしれない。

そのきっかけは民主主義による平等を日本人が勘違いしていることによると思う。
じゃあ平等と公平は何が違うのか?これは私の個人的に考えになるが平等とは前提が同じで、公平は結果を同じにすると解釈している。

ここで本書に戻すが、民主主義においての選挙は必ず一人一票。一般的になっていて違和感を感じないが、その一票ということ自体不自然だと岡田さんは考えていて、私も同じ意見を持っている。

民主主義社会において、能力に対して平等に評価される為にお金があり、お金があることによって世の中のすべてのものが手に入る可能性を示してくれた。
これはある種の希望であることは間違えない。

このようなことを前提として『洗脳社会』についての内容になる。
その中で興味深く深く共感したことが『言葉のやり取りは意図の押し付け合い。話しかけること、つまりコミュニケーションはすべて意図の強制、洗脳を目的としている』とも解釈できる。

元々は政治家やメディア、宗教の特権であった「洗脳」という行為が市民に開放されたのが現代であるとも言える。大分省略させて頂いたが、これが本書で書かれている「洗脳社会」「自由洗脳競争」らしい。

洗脳に大切なことはプラスイメージであり、『洗脳力』である。そしてこの洗脳力をあげるために必要不可欠なものが『ファンとお客さんの間みたいな存在であるサポーター的な存在』
スタッフの数は、その企業の洗脳力に大きく左右される。
本書ではこのような現物ではない資本をイメージキャピタルと定義している。

そしてこの洗脳社会におけるサポーターの消費行動は「モノを買う」「お金をはらう」ではなく、応援するために消費するということが主軸になってくる。

だからこそ、この時代において大切なイメージキャピタルを増大させる事が必要になり、そのために必要なことは『価値観の提示』『具体的要求』『結果の報告』で、これを意識することでしかイメージキャピタルの増大には繋がらない。

現代人において、この3つを行うこと自体が何故かハードルがあがっているようにも感じる。
だからこそ、これができる人はイメージキャピタルを増大させやすいとも思う。

ここで忘れていけない内容は本書でも書かれているが『価値観の共有』であり、価値観を自分でつくるのではなく、どの価値観を選ぶかということを勘違いしてはいけない。
本書にも書かれているが、価値観はつくるものではなく選ぶものになりつつある。というか元から選ぶものだったのかもしれない。

これは価値観に限ったことではなく、職業や生活水準、コミュニティなど世の中のすべてのことは自分でつくるモノではなく選ぶ側、要は消費者側にいることを忘れてはいけないと思う。

それはコミュニティも同じだと思う。
その理由は本書にも書かれている『分断される個人』という章にかいてあるが、すでに多様化が進み、多様化が可視化された世の中において、すべて満たすコミュニティは存在しない。
だからこそ様々なコミュニティに所属し、自分の中の一部を満たすためにコミュニティを利用することが増えている。

それがコミュニティに複数参加する理由となる。
きっと、そのコミュニティに合った顔を無意識に選んでしているんだと思う。
だから自分が参加しているコミュニティ同士を繋げることが困難なんだと感じる。

ある種、自分を守るための防衛本能のようなものが働いているのかもしれない。
だってそうじゃないだろう?
あなたは学生時代の友人と社会人になってからの友人、またはサークルやオンラインサロンで出会った友人を紹介できるだろうか!?

なかなか難しいと思う。その理由は、各々の顔が違うからではないだろうか?
それは凄く普通のことであって、それを一緒くたにしない、できないからこそ自分というものをたもっているのではないだろうか。

それは本書にも書かれている『解体』と『自由』についてにも当てはまるような気がする。
結婚や家族の解体が進む。それはごく自然のことで、一緒にいたい人、子育てしたい人、旅行したい人、老後ゆっくりしたい人、すべてが異なること。
そして農業革命、産業革命を得て私たちは自由を手放してきました。
しかし自由を取り戻すほどリスクも取れない。

これが、現代社会、洗脳社会なのかもしれない・・・。


最後まで読んでいただいてありがとーござい「まつ」。

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でわでわ!まつでした。またね。

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