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NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(後編・3)

距離を取れる人と、くんずほぐれつの人

杉本:ただ、本当に苦しんでいる人にとってみると、例えば自分が10代の時には世間全体が「俺を気味悪がっているんだよ」みたいな形にまで飛躍をしちゃったわけだけど、今は「一般論として、他者の自己認識は個別なんだから諦めるしかないんだよな」みたいに考えるわけで。自分を省察するに、今は以前とだいぶ別のところを見ている気がするな。

相馬:どうしても合わない人、合わない時期というのはあるだろうと思います。合う合わないという言葉で片付けていいかわからないけど、まあ、あるだろうなと。俺にはできないけれど、一緒に巻き込まれていく人っているじゃないですか。

杉本:うん。いますね。

相馬:一緒にくんずほぐれつしながら関わる人もいて。

杉本:家族なんて、特にそうじゃないですか。巻き込まれますよ、それは。

相馬:俺にはできないけれど、そういうやり方もきっとありだなと思う。

杉本:大変ですけどね。

相馬:大変でしょうね。

杉本:相馬さんは巻き込まれないような注意はしてるんですね。巻き込まれないことが自然体(笑)。だから本質的には「知らないよ」という世界に生きていても不思議ではないはずなんだけど、不思議と関わりの仕事をやってるんですよね。

相馬:不思議とやってますね。しかも不思議とやってるくせに、「関わりません」と言ってる。

杉本:ははは(笑)

相馬:(笑)困っちゃうな。自分でも不思議ですね。

杉本:だって最初のベースに「知らないよ」というのがあって。木枯し紋次郎みたいに「あっしには関わりのねえことでござんす」と言いつつ、関わってしまっているんだよね。


強いポジションとしての葛藤

相馬:まあそのへんもね。悩むところではあります。こうやって距離を取る、その距離を取れるということ自体がもう、楽なポジションにいるわけですね。さっきも言いましたけど、葛藤している人は葛藤から距離を取れない。

杉本:うんうん。

相馬:だからそうやって他人との距離をこっちの思うように調整しようとするのは、すでに権力を持っている。強いポジションにいるってことで、そこは悩みます。あまり「関係ない」って大きな声で言っちゃいけないんじゃないかと思うんですが、一方で聞かれるとそう答えるしかない。その中でどう折り合いをつけるか。

杉本:何なんだろう。だから相馬さん東洋人なんだけれど、西洋人的な分離というのかな。臍の緒を切っちゃった感がベースにあるんだなという感じがします。で、徐々に日本に住んですごく東洋人の感覚を学んでいる。今とんでもない表現をしていますけど(笑)

相馬:このあいだまったく逆のこと言われましたけどね。思考が東洋ぽいって。

杉本:だからきっと変わってきてるんですよ。日本に長くいすぎて。

相馬:ははは(笑)

杉本:日本人になってきたんだ。

相馬:まあ、臍の緒のたとえでいえば、元々臍がないんでね。

杉本:(笑)ああ、そうなんでしたっけ?

相馬:生まれてすぐに手術して、臍がない。それで辛い思いをしたことはないんだけど、哺乳類に臍があるとか、親との繋がりを臍の緒に絡めて例えたりすると、「俺は臍ないから関係ないな」と思ってました(笑)

杉本:フロイディアンみたいな言い方だけど、相馬さんは基本的な愛情のベースができてるんだと思うんですよね。で、フロイトの論理はね。父性的な感覚というか、「切れていかなければダメ」式の明らかに西洋的なもので、とりあえず語ってくれと。安心な場を用意するからとにかく自己分析してくれみたいな感じでつきあっていく流れだと思うんですよ。「それはさすがに19世紀的で無理でしょう」というのが今の精神分析の流れ。コフートとか、そういう流れだと思うんですね。つまり、ある程度積極的に相手と関わる。漏れ聞くところだとお茶も一緒に飲んだりもする。昔のフロイト学派だとありえないような共感的な関わりをするのが現在。まあ精神分析も流行らなくなりましたけどね。それが20世紀の終わりの潮流らしいですよ。それほど人間というのは個として自立・分離されるのは難しいと西洋人も思い始めている。フロイト原理主義は通用しないと。だから「抱えてもいい」というキャラクターでは相馬さんはないけれど、徐々に東洋的な、「全体を大事にしましょう」といった生態学的に見る感じを得ている。日本に住んで、日本人になっていった(笑)。すみません。日本人なのにね。

相馬:いやいや。そうですね。

杉本:小学校5年の時に親も他人だと思ったのがすごく西洋的な発想じゃないかなと思っちゃったもんでね。

相馬:物事を全体で捉えるみたいなものは、それはそれで好きですよ。今日の話でも、あっちとこっちで矛盾しているはずですが、それでもいいんです。矛盾していたいんですよ。

杉本:ああ、いいですね。矛盾しますからね。

相馬:矛盾した状態の中で、じゃあ今どうするって、やることを探すのが好きなんです。だからなるべくあっちもこっちもと幅を広くとりたい。で、そのあいだの目盛りをより細かくしていきたい。「内側と外側」とか「自分と他人」とか、どの話もある意味、矛盾ですよ。

杉本:西洋的な人だとか言っちゃいましたけど、より適切にいえば、思考の幅が広い。それが最近の相馬さんとじっくり話しての強烈な印象ですね。

相馬:矛盾していたいから(笑)。

杉本:矛盾していたいですか。大変そうだな。アイデンティティの持ち方の大きさというのを感じますね。

相馬:「確固たるアイデンティティを」みたいに思っていたこともあったんですが、それこそ臍がないんでね(笑)。アイデンティティなんて「臍ない」だけでいいじゃんと(笑)

杉本:21世紀には「確固とした自分」って論理は少し後ろに退いていくものなのかもしれないですね。

相馬:でも、無くなりはしないだろうから、ごちゃごちゃになってワケがわからなくなれば、また「これだけは」というものが出てくるだろうし、そこらへんは寄せては返すというか。

杉本:ああ、いい表現ですね。「満ち潮引き潮の世界観」とでもいうか。まあそれだけに大変ですけどね。満ち潮引き潮の両方を矛盾を抱えながら生きている人が一番うまくスイミングしている感じにはなりそうですね。

相馬:そうですね。

杉本:偏れないというかね。なかなかこの新時代の先頭集団を進んでいる。

相馬:いやいや、全然ですよ。それだったらここは繁盛してる。

杉本:いや、だから繁盛しないところが大事で。だって、成功しちゃった段階でずるい自分に気づいちゃってる可能性が高いじゃない?「うまくやれてるなあ」みたいな。

相馬:いや、うまくやりたいんですけどね。

杉本:相馬:(笑)

相馬:本当にうまくやりたいんですよ。なんとか出し抜いて金を得てやろうと。あと名声も得てやろうと。

杉本:名声はともかく、お金が欲しいはあるでしょうね。だって大変でしょうから。

相馬:幸いからだは頑丈なんでね。今のところなんとかなってますが。

杉本:そう考えると論理が強い人が一番強いんだなって。

相馬:まあ、何を持って強いとするかの話ですけど。それこそマジョリティは強いでしょうしね。普段の生活に気にかけざるを得ないものが少ないわけで。頑丈ってのもそれか。


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