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札幌で人文社会系のインタビュー活動をしています。自由と社会を軸に考えつつ、時々、道外にも取材に行っています。マガジンも充実中。 「インタビューサイト・ユーフォニアム」運営。サイトURL https://www.kenjisugimoto.net/

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最近の記事

自民党政治の変容 中北浩爾 〜 宇野重規「保守とリベラル」七章、終章の付録資料として。

岸信介と小選挙区法案の挫折 1955年、左右両派の日本社会党、10月に再統一 11月に日本民主党と自由党が合併し、自由民主党を結党。 55年体制の成立をもって、階級対立が政党システムの形状を規定することになった。 保守合同を後押ししたのは財界(経団連、日経連、同友会(経済同友会)日本商工会議所) 社会党を主導したのはマルクス主義に基づく左派社会党(階級闘争を標榜する総評とその支援を受けた穏健左派の全労(社会党右派)。 1959年、社会党は安保改定をめぐる論争を一因

    • 宇野重規 日本の保守とリベラル 第七章〜終章

      1979−1980年 日本の戦後保守主義の転換点 全ては1979年に始まった? ・イデオロギーから市場化と宗教の時代の始まりの年  この年は世界にとってと同様、日本の保守主義にとっての大きな転換点だった。  この転換を総理大臣であった大平正芳の政策研究会を中心に考えてみたい。  1979年はイギリスでサッチャー政権が誕生し、中国で鄧小平による開放政策が本格化するなど、その後の市場化への流れを加速する重要な転換の年であった。同時にイランでホメイニ革命が起き、ソ連のアフガニス

      • 3月10日〜11日 母の通夜から告別式

        3月10日 日 母のお通夜を迎える。参列者、兄夫婦と甥夫婦(若い、30才くらい)当別の叔父と叔母。お二人とももう90超えなので、当別のような遠隔地から来ていただいたのは心苦しい。当別の福祉施設「ゆうゆう」のかたがわざわざボランティアで車椅子の叔母を一緒に連れて参列いただいた。地域福祉の力量を見る思いだ。  読経をしてくれた真宗の僧侶も非常に若かった。甥の年齢とそんなに変わらない、三十いくか行かないか、だろうか。  なんか読経がシャウトのようで、ありがたみが薄い。そんなお経を

        • 今月8日に亡くなった母の2月訪問雑記

           先週金曜日の朝起きたら深夜に老人ホームからなん度も連絡が入っていた。慌てて折り返したら母が亡くなったとのこと。今の寝たきり状態7ヶ月に及ぶ97歳の母に取れば、むしろ相当頑張っていた方だが、殆ど当日というか、前日木曜日に面会に行き、変容が感じなかったので、突然の感は否めず。やはりびっくりはした。一連のセレモニーも終わり、看取ったあとの心境は改めて書きますが、直近先月の面会メモ日記をこちらに転載します。   2月17日 土  母の見舞い。やはり普通の意味でコミュニケーションが

        自民党政治の変容 中北浩爾 〜 宇野重規「保守とリベラル」七章、終章の付録資料として。

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        • NPO読書会 プレゼン資料
          8本
        • 認知症の母親の介護日記シリーズ
          16本
        • 訪問と居場所 漂流教室 相馬契太さん インタビュー
          10本
        • 認知症母との日々
          15本
        • インタビューシリーズ 2022
          4本
        • 北海道大学准教授・川田学准教授インタビュー(乳幼児研究)
          7本

        記事

          宇野重規 「日本の保守とリベラル」第五章 丸山眞男における三つの主体像(後編)読書会用

          宇野における 丸山眞男の主体像の変遷 国民主体(3節)→ 自己相対化主体(4節)→結社形成的主体(5節) 3.主体とナショナリズム (P.145〜156) 主体とナショナリズム⇨ 『日本政治思想史研究』の第三論文の位置付けとも関わる。 ※主体とナショナリズムの関係は決して自明ではない。 丸山は戦中から戦後しばらくの時期まで執拗にナショナリズムの問いを続けている。(「福沢における秩序と人間」(1943)「超国家主義の論理と真理」(1946)、「陸羯南ー人と思想」、「日

          宇野重規 「日本の保守とリベラル」第五章 丸山眞男における三つの主体像(後編)読書会用

          母の97歳の誕生日

          2024年1月18日 木曜  母が無事97歳の誕生日を迎えてくれた。バースディソングオルゴール付きのバースディカードを持って入居してる老人ホームへ。今日も基本変わりなし。昨年夏のコロナアクシデントで口から食事を取らなくなって、思いがけず寝たきりになったが、改めてことの経緯を整理しよう。 細かく書いていくので、ご容赦を。  昨年夏、僕が一泊二日で東京に赴くため、7月23日の午後から27日の午後まで3泊4日のショートスティを利用してもらった。帰ってきた日に送迎ワゴン車から降り

          老親日記ー続き(CVポート手術に立ちあう)

          9月20日 水  昨日は母のCVポート手術の日。琴似八軒の専門消化器病院に付き添うためにひさしぶりに入院先の病院へ。母に会うのももうひと月ぶり。ストレッチャーに寝てやってきた母は端的に寝たきり老人。でも変わり果てたとかという感じではない。ひと月前に比べるとやはり目がしっかり見開いている感じではないが、口調はそれなりしっかりしている。介護タクシーで向かう中、やっぱり「帰らせてほしい」と言われてしまう。「家で、外に出ないで静かに寝てるから」と。僕としては「そうだね、そうだよね」と

          老親日記ー続き(CVポート手術に立ちあう)

          介護シリーズ日記ーここ2日

          8月31日 木  もう8月も最終日だというのにやたらと暑い日だった。  母の入居できそうな施設の資料、G会病院の退院相談員から送ってくれた資料が届き、早速連絡。明日、有料老人ホームのほうを見学、説明を聞きに行く。IVH(中心静脈栄養)の仕組みを知るほどに不安も募る。中には「延命治療」という見方もあるようだ。認知症の進行した母の状態も心配、施設のありよう、施設の適応、点滴部分を自分で抜いてしまうのも心配。何より、それらの全体像を自分は全く見えない(母にも会えてない)、わから

          寝たきり状態で入院した母のこと

          (長文です、我慢できる人だけどうぞ) ※ 前書きーこれは7月下旬にぼくが東京にアンリ・マティス展を中心に一泊2日で東京の美術館や博物館を見学しているあいだ、母に三泊四日で老人保健施設短期入所、すなわちショートスティを利用した際、母はそこでコロナを貰ってしまった。そのまま自宅で寝たきりになり、今月の10日に高齢者を中心にした総合病院になんとか入院。その母親の病状をめぐる対話の本日の現況報告、およびぼくの所感です。 8月23日  今日は母が入院している総合病院に呼ばれて行っ

          寝たきり状態で入院した母のこと

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さんインタビュー (後編・5)

          信頼しない理由はない 杉本:だけど、ボランティアはともかく、利用者に対する信頼度がとても高いですね。 相馬:信頼しない理由はないですからね。知らない人だから。 杉本:ん? 相馬:だって信頼するしかないじゃないですか、知らない人は。 杉本:ご家族だけですよね、会っているのは。家族がまず利用したいと? 相馬:本人にも参加の意思確認はします。 杉本:ああ、そうか。でも、親の圧力に屈してという可能性もあるかもしれないのでは? そういう想定はしますよね。 相馬:しますね

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さんインタビュー (後編・5)

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(後編・4)

          「知らないよ」と言えるためには 相馬:頑丈さでいうとですね、俺は「生きづらさ」とか本当にわかんないんですよ。 杉本:生きづらさねえ。これは変に取りたくはないというか、みんな奮闘して言葉をつくっているんだろうけれども。若者支援の人たちはそれぞれ適切なイメージを惹起する言葉を見つけて共通言語にしたいかもしれませんしね。 相馬:「困り感」とかね。なるほどと思ったりもしたんですよ。なるほどと思うんだけど、やっぱり使えない。 杉本:仏教で言えば、相馬さんは小乗系の人だからしょう

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(後編・4)

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(後編・3)

          距離を取れる人と、くんずほぐれつの人 杉本:ただ、本当に苦しんでいる人にとってみると、例えば自分が10代の時には世間全体が「俺を気味悪がっているんだよ」みたいな形にまで飛躍をしちゃったわけだけど、今は「一般論として、他者の自己認識は個別なんだから諦めるしかないんだよな」みたいに考えるわけで。自分を省察するに、今は以前とだいぶ別のところを見ている気がするな。 相馬:どうしても合わない人、合わない時期というのはあるだろうと思います。合う合わないという言葉で片付けていいかわから

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(後編・3)

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(後編・2)

          お手盛り苦手 杉本:やはり相馬さんたちは打ち出しかたが淡白なんだと思うんですね。NPOでも、活動の意義を表現したくてしようがない組織は普通にあると思うんですよ。いま相馬さんの話を聞いていてもそうだけど、「関わるけれど、その結果のどうこうはよくわからないです」ってこれだけ普通に言えるリーダーってすごくないですか? 相馬:どうですかね。例えば訪問が終わる時に、利用者に「訪問はどうでしたか」ってインタビューしたっていいんですよ、別に。でも、そこに意味があるのかなと。そこで語られ

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(後編・2)

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さんインタビュー(後編・1)

          前編から続く ボランティアの感覚 杉本:利用者さんの感覚は次第に見えて来たんですけど、ボランティアさんの感覚はまだよく見えませんね。 相馬:俺もよくわかんないです。それぞれに何かしら思うところはあると思うけど(笑) 杉本:ブログで、「これでボランティアが終わりますけどこんな感じでした」といった感想に、よく相馬さんが「なるほどね」みたいなコメントしていますけど、その時、「ああ」と気づく感じなんですか。 相馬:そうですね。「なるほど、こんなふうに思ってたのね」と 杉本

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さんインタビュー(後編・1)

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(前編・5)

          自然なものでありたい 杉本:最近よく聞くオープンダイアローグ。あれってどう思います? 相馬:いや、こざかしいなと思います(笑) 杉本:(笑) 相馬:新しいものは好きなんですよ。何によらず新しいものが入ってくると「お。ちょっとこれは面白そうだな」と注目します。仕事に使えないかなとか、上手いことやってちょっと一儲けできないかしらと思う。当事者研究もそう名乗る前の、「自己探究」とか違う名前でやってましたね。その時に知って、これは面白そうだなと思ったんですよ。でも結局やらない

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(前編・5)

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(前編・4)

          自分と他人は別、を前提として 杉本:やはり相馬さんの価値観は、自分とは相当違うなと感じるというか。ぼく自身が持っている価値観、観念や感覚と相馬さんは違うものを持っている。ぼくには持てないけど、それはすごく大事な観点なんだよなと。恐らくそれは漂流教室全体の価値観ではなくって、でも、仕事へも反映している。そんな印象をいま持っています。 相馬:うん。まあ、そうですね。 杉本:自分が持ちようのない価値観で動こうと思っても、難しいですもんね。無理矢理感があると、不自然になるだろう

          NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(前編・4)