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NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さんインタビュー (後編・5)

信頼しない理由はない

杉本:だけど、ボランティアはともかく、利用者に対する信頼度がとても高いですね。

相馬:信頼しない理由はないですからね。知らない人だから。

杉本:ん?

相馬:だって信頼するしかないじゃないですか、知らない人は。

杉本:ご家族だけですよね、会っているのは。家族がまず利用したいと?

相馬:本人にも参加の意思確認はします。

杉本:ああ、そうか。でも、親の圧力に屈してという可能性もあるかもしれないのでは? そういう想定はしますよね。

相馬:しますね。

杉本:そこで「いやいや。親がどうこうじゃないです」というほどの確信はないですよね。それでもいけるんだという蓄積があるということなんですかね。

相馬:うーん。蓄積もあるけど……。例えば、車を運転している時は基本みんなルールを守って走ると思っているでしょう。同じです。

杉本:ああ、やはり人間に対する信頼度が高い。

相馬:土砂崩れがあるかもしれないし、おかしな運転する人もいるから、警戒はしていますよ。「何かあるかもな」というのは頭の片隅に置きつつ、でも基本的には「みんな守るでしょ」って。

杉本:それを人間に対する信頼が高いと一般的には言うものですよ。

相馬:そうですかね。そんなものでしょ。

杉本:おそらく多くの人は事故ると思ってますよ。初めて出会う2人が事故らないワケないじゃないってたいがい思ってるはずでは? そこらへんは今まで口にしなかったけど。

相馬:初めて車を運転する人はたいがい事故らないじゃないですか。

杉本:でもほら、教習所で勉強してるしね。運転する人は。無免許じゃないから。

相馬:それで言ったら、学生のスタッフだって20年間人間やってるわけだから。

杉本:(笑)「20年人間やってるから」って。こうざっくばらんに言われると、ものすごくびっくりするんだけど。

相馬:20年間人間やってるわけだから、まあまあ大丈夫。

杉本:20年間人間やってりゃ悪意も育つでしょう?

相馬:でも悪意だけで生きているわけじゃないでしょう。

杉本:そうそう。だから人間に対する信頼が高いなと思ったんです。むしろぼくが悪意に対する意識が高すぎるのかな。そこは自分でもわからなくなってきた。普通の人は相馬さんのように思うのかもしれない。だから自分はひきこもってるのかな。

相馬:ははは。

杉本:人は悪意を育てるものだと思ってるのかもしれないな、ぼくは。やばいな。人との関係性は事故るんだと思ってるのかもしれない。いやあ、反省ですね。

相馬:もしかすると利用する子どもたちも事故った経験があったり、事故ると思ってびびっている部分があるかもしれないですね。

杉本:警戒している子犬みたいなものですね。

相馬:そこでね、「意外と事故らないな」とか「ちょっと事故ったけど大丈夫だな」とか、訪問を通じてそういう感覚が積み重なっていけばいいなとは思います。本当に一回一回の成功、失敗はどうでもいいことで。なにか起きても次はあると。

杉本:それはやはり信頼だと思う。ぼくの感覚でいくと1年もてばこれは成功だったと思うし、だから変な話、2、3回で事故るんじゃないかとまずぼくなら思いますね。その心配はすごくすると思う。

相馬:「多少事故っても大丈夫だよ」と伝えてもダメですか。

杉本:相手から怒鳴られたりとか、手をあげられたりしたらどうします? 「もう二度と会いたくない」とか。でも最初に相手への信頼感があって、事実として何も起きなくて。始めてから「やっぱり」と思ったことの積み重ねがあるんでしょうね。

相馬:最初始める時に、精神保健福祉センターの所長に脅されましたね。「刺されるかもよ」って。

杉本:ああー。やはり。

相馬:別の団体で、やっぱり訪問をしてた人が、「防刃チョッキを着て訪問する」って講演会で話してたんです。それを聞いて本当にバカだなと思って。武装して相手が警戒しないわけない。

杉本:うーん。でも相手も気づくかどうか。

相馬:それって最初から相手を疑ってるわけじゃないですか。その気配は出ますよ。ただでさえ部屋に来られる時点で侵入なのに、さらに武装してるなんて、相手を追い詰めますよね。

杉本:ちょっとそれでは話を限定して、ボランティアの人はいません、相馬さんがやってます、と。で、約束を取り付けて相手を訪問します。2、3回続けて「ああ大丈夫だ。関係をつくれる」と確信する。そこで「漂流教室のやり方は間違ってない」と思うんですかね。

相馬:いや。関係をつくれると思うことはないですね。

杉本:関係をつくれるという発想ではないんだ。やっぱり「峠の茶屋」ですか。

相馬:結果的に関係ができたなと振り返って思うことはあるけど、これでなんとかなる、関係をつくれるなと思うことはないですね。

杉本:こう聞いていると、支援の思想ではないですね。

相馬:だってすれ違ってるだけですからね。

杉本:自分は感覚的に支援者の話を聞くイメージでずっと長く話を聞いていたから「ええ? 支援じゃないの?」と。

相馬:行きずりです。

杉本:それでよくお客さん来ますねえ。

相馬:そうですね。でも来る来ないは俺の守備範囲じゃないので。お客さんが何かを求めて、で、求めたものに対してそれなりに満足してるから続いてるんでしょう。きっとね。

杉本:やはり感覚的には「山小屋」とかね。最近流行りの民泊とか、昔あった国民宿舎とか。あそこで2段ベットに寝かせてね。どうせ彼らで人間関係つくれるでしょ、みたいに思っているような感じに似ている気がします。昔の人はこう、そうやって集まれば若い人は普通に人間関係つくるもんだよねと楽観的に捉えるようにしてたよなあ。ぼくには到底信用できないんだけど。

相馬:山小屋とか民泊とか嫌いなんですよね。うっとうしい感じがする。人間関係なんかできなくていいんですよ。その場の時間を一緒に過ごせばいいだけなので。人間関係はできなくてもいい。できてしまうけどね。できてしまうけれど、つくらなくていいです。

杉本:「若者の関係はすぐ埋まる」みたいな思い込みを持つ人が多かった気がするんで、ぼくもそこはうっとうしかったです。

相馬;何かの本で、乗合馬車から機関車になったことで移動中に本を読むようになった、みたいな話があって。乗合馬車だと誰かが乗ってきて、降りるまでの短い時間におしゃべりをする。それが、汽車になってなかなか降りなくなっちゃった。ずっと隣り合っていて困るので本を読む、と。そういう話があってね。面白いなと思って。

杉本:そうそう。だからかなり特殊に高度な先進国へと日本がなって、すごく干渉しちゃいけないし、干渉してほしくないというものが生まれて、不登校の人が生まれつつみたいな。

相馬:そこまでフレンドリーでなくてもいいと思ってます。誰かと一緒の時間を過ごしたら、きっと1人でいる時とは違う心持ちがする。自分のざわつきみたいなものに気がついてもいいし、相手と話してみたら意外と話があって、会話を楽しんでもいいし。2人でいる間は学校のこと忘れていた、将来の不安がちょっと忘れてたみたいになってくれるともっといいなと思うんですけど。

杉本:なるほど。

相馬:「こうなってくれたらいい」というのはあるけれど、でもとりあえず、することは1時間同じ屋根の下で一緒に過ごすだけですね。

杉本:一つ聞いてもいいですか。ボランティアスタッフさんの、ともに1時間過ごすという話なんですけど、いわばボランティアの人も訪問の子の子犬のようなというか、警戒心の強いお犬さんのような状態から始まって、おそらくこちらも不安に思うじゃないですか。もしかしたら怖がられるんじゃないかと。それも相馬さん哲学の帰着点に辿り着く話なのかな。

つまりいずれは「解ける」。同じ人間として、みたいな。そういった確信があるのかな?

相馬:まあまあ、そうですね。俺も、子どもと会う時は野良猫と会う気持ちでいました。

杉本;ああ、野良猫ねえ。

相馬:あんまり意識を向けすぎると逃げちゃうから、気配を殺しつつそっと座ってる。

杉本:うんうん。そうか。

相馬:そうやって過ごしたんだけど、ふと、こっちは野良猫だと思ってるけど、向こうはこっちをなんだと思ってるだろうって気になって

杉本:ああー。

相馬:ひょっとするとクマと同じ檻に入れられたみたいに思っているかもしれないでしょう。そうしたら、相手を野良猫だと思っているだけじゃ足りない。もうちょっと積極的に無害だとアピールしなくちゃならないなって。黙ってばかりじゃ怖い。話しかけてもびっくりしちゃうかもしれない。どうしようか。まだ、いい方法が見つかってないんだけど。

杉本:なので、初めて訪問に行く人も怖いんだろうと思うんですね。だからお互いさまとも言えるんでしょうけど。不安とか訴えられませんか。

相馬:それは訴えられますよ。

杉本:それってどうやってざっくり安心に繋げられるんでしょうか。「大丈夫だよ」って言うんでしょうか。

相馬:「そんなものだから、よろしくね」と。

杉本:そこは理解してくれるんですね。訪問活動の人はその上でやりたいですと。ただ言うは易しで、実際向き合うと大変そうではあるな。

相馬:大変だとは思うんですけど、他のものと比べてそんなに違うものとも思えない。結局、人と人なわけだから、それがスーパーのレジ打ちだろうがなんだろうが最初は一緒でしょう。

杉本:相馬さんは究極的に場面場面で自分を変えない人なんじゃないですか?

相馬:場面場面で自分を変えない?

杉本:つまり装わないと。その場その場で自分の振る舞いを変えないとまずいんだと思ってないんじゃない?

相馬:いや、変えてるつもりなんですけどね。

杉本:ぼくは素朴に羨ましい。だってぼくは基本、一場面一場面を警戒心で接してますもんね。「同じ人間だから」って思ってないもの。役割をみんな演じてて、役割の場面に応じて自分を変えなくちゃいけないと思っているから。大変なんですよ。

相馬:ああ。いや。俺もそうしているつもりなんですが。引き出しが少ないのかな(笑)

杉本:いや、ぼくがね。きっと警戒濃度が濃すぎるんです。だからぼくは「はずれっ子」で。

相馬:装ってるつもりなんですけど、一方では「どうでもいい」とも思っています。自分の振る舞いが原因で嫌われたってかまわないと。

杉本:ひきずらないんだ。

相馬:それは仕方がないですから。相手の好き嫌いは自分がどうこうできるものじゃないので。

杉本:(笑)そこが面白んだな。「仕方ない」と言い切れちゃうところが。責任というものの比重が「余計なお世話」というところから縁遠いのかもしれないね。多くの支援者は余計なお世話を焼きがちなのかもしれない。わからないけど。

相馬:山田はよく「余計なお世話を焼いている」と言っていますよ。そこは忘れないようにしないといけないと思っています。

訪問の話にもどせば、期待されて会ってダメだったとして、申し訳ないと思うんだけど、でもそれ自体はどうしようもない。もちろん期待には応えたいし、子どもにも保護者にも「またダメだった」なんて思いはさせたくない。そこは注意を払うけれど、結果自体は仕方ないです。

杉本:こういう話を山田さんとしたことは?

相馬:おそらくないですね。

杉本:(笑)。ふたりで始めた当初からこういう話をしないで20年続けて、「仕方がないと思ってる」とか言って。山田さんもそう思ってるのかな。

相馬:どうでしょうね。わかんないです。

杉本:いや、かなりいろんな支援組織があると思いますけど、相当関わりに対する価値観が違う組織はたくさんあると思いますけどね。結構びっくり感があります。

相馬:まあ、これも距離と権力の例とおなじで、「そう言えてしまう」のがすでにどうなんだって話ではあるんです。「できる」ってそれまでの環境が下敷きにあるので、あんまり大っぴらに口にするのもね。「生きづらさがわからん」とか「騙されたと思って」って言えちゃうのもそうですね。

杉本:唐突ですけど、もし、ご両親が認知症とか寝たきりとかになったらどうします?

相馬:それはときどき考えますが、想像が難しいですね。多分、世話はすると思うんですけど、そもそも世話の仕方がわからない。うちに呼ぶわけにもいかないし、かといって実家に住むわけにもいかないだろうし。

杉本:ぼくの母親で言えば本当に「こんな人だったの?」みたいなくらいにわけわからない宇宙的な会話みたいに最近なってるから、変に情緒的しがらみを感じがちな自分よりも相馬さんの方が対応がうまいかもしれません。

相馬:今いろいろわからないのは、これまでサボってこられたってことですからね。うまくはできないでしょう。なんだかんだバタバタしつつ、最終的には「知らない人」として会うのかなと思います。もう一回、関係のやり直しですね。

杉本:わかりました。話がいろいろ飛んだり、茶々を入れるような失礼な話をしすぎましたが、やはりユニークではあるなとは思いました。でも実際、勉強になりました。ありがとうございました。


(2023.5.13 漂流教室の居場所・漂着教室にて)

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