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NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(前編・4)

自分と他人は別、を前提として

杉本:やはり相馬さんの価値観は、自分とは相当違うなと感じるというか。ぼく自身が持っている価値観、観念や感覚と相馬さんは違うものを持っている。ぼくには持てないけど、それはすごく大事な観点なんだよなと。恐らくそれは漂流教室全体の価値観ではなくって、でも、仕事へも反映している。そんな印象をいま持っています。

相馬:うん。まあ、そうですね。

杉本:自分が持ちようのない価値観で動こうと思っても、難しいですもんね。無理矢理感があると、不自然になるだろうから。

相馬:自他の違いは警戒している部分です。自分の中に強くその感覚があるので。

杉本:なるほど。それはいろんな人を見たり、いろんな子を見たりするとどうしてもなるでしょうね。「ああ、俺とは違うな」みたいに。

相馬:どのあたりから話したらいいかな。以前、小学5年生の時に「世の中には自分と他人しかいないんだ」「自分と他人とは別なんだ」とわかったって話をしましたよね。

杉本:はい。

相馬:世界には自分と他人しかいなくって、親、兄弟でも自分じゃない人はみな他人で。他人のことはわからないし、他人には自分のことはわからない。当時、自分の中ではすごい発見で、世界が違って見えたんです。それがね。まぶしすぎて目がくらんだんですよね。自分と他人しかいなくて、そこは究極的なところわかり合えないんだと、それは今でもそう思ってるんだけど、わかんないからって、そこから他人のことを考えなくなっちゃった。

杉本:ああー! その割り切りはまた難しい。

相馬:小学生でしたからね(笑)。小さかったから。それで、結局「自分だけ」になっちゃったんです。他人のことは考えているつもりなんですよ。でも、そもそもが「わからん」でシャットアウトしているから、考えているつもりだけど考えてない。自分の中の「他人」で完結している。

ずーっとそうやってきて、自分では自他をきちんとわけているつもりだったけど、「他人」って言ったってそれぞれ違うわけでしょう。それぞれが「自分」であり、それぞれから見た俺がいるのに、そうは考えなかった。ひとまとめに「他人」というカテゴリーにしてしまっていたんです。本当の意味で他人を、個人を見ていなかったと気づいたのは大学に入ったあたりですね。根本的に「こりゃダメだ」と思ったのはさらにそのあと。就職してからです。2年くらいサラリーマンやって、本当にダメで勤まらなくて。仕事って他人の要望に応えることなので、他人が見えてないとできないんですけど、ほら、自分だけしかないから。

杉本:ぼくも別の意味で、そこは同じかも。

相馬:全然仕事にならなくて。こりゃダメだと思って、退職して数ヶ月、布団にひっくり返って考えて。で、まずは他人の要望を叶えるのをメインにやってみようと。他人が何を望んでいるのか意識して生きてみることにして。で、教材会社のアルバイトで不登校の子に出会ったのがそもそもの始まりです。

それが27歳だったかな。それまで「不登校」なるものが存在することすら知らなかったんですよ。1990年代後半なので、学校に行っていない子は当時10万人を超えていて、新聞にも載っていたはずなんです。毎日、新聞を読んでいたのに何一つ目に入ってなかった。自分に興味のないものは見てなかったんです。だから、はじめは「学校に行かない子がいるのか」と驚いて。

俺は学校が楽しかったし、やっぱり行った方が有利だよねと思っていたので、「行ったら?」と諭すんですがまるで行かない。なるほどこれは俺にはわからん文化があるに違いないと、そう思って、そこから追い立てるのはやめて、この子とどう過ごそうかと仕切り直した。で、何の話でしたっけ(笑)

杉本:そこまでが漂流教室を始まる過程の話ですね。最初は他人の存在というものを全然意識しなかった。会社勤めをして、自分のことしか考えてないと気がついて、他人のことを考える努力が必要だと教材会社で働いた。そこで偶然、不登校の子と出会って、自分は学校は楽しいと思うのになぜ行かないのかというところで不登校になる子の文化を考えてみようと。

相馬:そうそう。それだってよく考えたら自分と切り離してるんですよね。あっちとこっちは別のもの、別の文化があるんだという。自分と同じだって発想はしていない。相変わらずどこまでも「自分だけ」で、漂流教室を始めても最初は失敗する。自分が焦っちゃって他人のテリトリーに侵入して拒絶された。

自分と他人を分ける、もしくは他人のことは究極的にはわからんというのはその通りだと思っています。だけど、それにしても他人のことを無視しすぎだなって感覚はずっとある。「自分に持ちようのない価値観」で動くのは確かに難しいけど、「なんで持ってないの?」ってとこくらいまでは考えたっていい。

杉本:なるほど。

相馬:で、かれこれ20数年試行錯誤を続けています。で、いまは、とりあえず相手の船に乗ってみることにしています。「なに言ってるんだろう?」と思うこともあるけど、いちいちそこにこだわらず、まずは乗ってみる。

杉本:ライドしてみるんですか。


相手を知るには手数をかけないと難しい

相馬:たとえば、クラスの子が全員悪口を言っているという子がいたらね、いくらなんでもそんなことはなかろうと思うんですよ。

杉本:俺の思春期の頃と同じだ。

相馬:全員じゃないだろうと思うんだけど、さすがにそうは言えない。カウンセリングの本なんかを参考に「そう思うんだね」と返したら、「違う。本当に全員言ってるんだ」と怒られる。

杉本:そうか。確信をその子は伝えてるんですね。「思うんだね」でもなくて。

相馬:そう。「全員が言うんだ」と。

杉本:気持ちの問題じゃない。事実だと。

相馬:じゃあ「事実」でいい。全員が言うのか、そうかと、まずそこに乗ってみる。乗ってはみるけど、もちろん違和感はありますよ。それは「自分のこれまで」とぶつかるからで、じゃあ、なにとぶつかるのか。これまでを振り返るに、なるほど、自分はこう育ってきたんだ。それで違和感が生じるのか。じゃあ、それがなかったらどうなるだろう。そうやって自分とぶつかる部分を剥いで、もう一回相手の船に乗る。今度はどういう世界が見えるのか。まあ、それも結局は想像でしかないですが。

杉本:ふーん。いやすごいなあ。普通の人は「自分自身がそうだったら?」という想像にまでいかないですからね。そういう大変さを持ってるんだなと思うにしてもね。

相馬:我が強すぎるんですよ。だから苦労して手数をかけないと、すぐ自分のパターンで相手を塗りつぶしてしまう。さっきアセスメントはこざかしいという話をしたんですけど、アセスメントはアセスメントでいいんですが、相手のことを知るのは難しいわけで。それをしようとした時に……橋本治の*『窯変源氏物語』があるでしょう。

杉本:ええ。読んだことはないですけど。

相馬:あの本はものすごく説明が長いんですよ。着物でも、紫式部はナントカのナントカでくらいしか書いてないところを、それはこういうモノとこういうモノで、こういうふうに重ねて、なぜそう重ねるかというとこういう理由があって、と全部書く。『双調平家物語』なら、いきなり中国の秦から話が始まる。

杉本:へえー。

相馬:『平家物語』がそもそもそうなんだけど。

杉本:そうなんですか。それは知らなかった。

相馬:要は栄枯盛衰の説明で栄えるものもいつかは滅びますよというのを昔の中国の王朝から説き起こすわけです。それを橋本治は歴史書の分量で書く。結局、なにかを知る、わかるってそういうことなんだなと思って。あれくらいのディテールを身にまとわないと相手のことはわからない。あの量が必要なんだと思ったら、そりゃそう簡単には理解できませんよ。そこは仕方ないから付き合うしかない。

杉本:うーん。いや、そうですねえ。ここで感想を言うのも何ですけど、わりと突き放してるといいますかね、「まあ、そんなもんじゃない?」みたいにおっしゃりつつ、いまの話を聞くと個別に抱えている問題に対してずいぶん深く考えている。基本的にいろいろやっている人は傾きが一方向に深くなって、それをベースに話をする傾向があるものだけど、「結局は他人だから」とか「週に一回会うだけだから誰でもいいんだ」と言いつつ、ディテールまで細かく考えている(笑)

橋本治のあの長い粘着質な説明。論理を延々と語るみたいなところが大事という理解。橋本治って論理の塊みたいな人でしょう。まさに気持ちの話にはほとんど触れないというか。論理の詰めがすごい。

相馬:前に杉本さんと話したときに言いましたけど、人は論理的に判断すると思っています、たとえ、はたからはおかしく見えても、その人の中にはきっちりロジックがある。そのロジックは状況が見えないとわからない。それに気持ちは見えないけど、状況はまだ見えますからね。

杉本:うーん。でもぼくは気持ちで過去を考える主義できたから、いまだにわかんないんですよ。何でこんなにいろんなものを引きずっちゃって、思春期のものを振り払えないのか。あらためて当時の自分の経験をいえば、まず家族なんだけど、苦しさを訴えても「いやいや。ありえないでしょ?」とびっくりされるみたいな。

「顔が醜いからみんな逃げる」と言うとひどく驚かれたわけです。唐突だから(笑)。家族だから言わずにいたわけだけど、言ったところでそんなふうに考えてること自体ありえないと否定にかかる。「醜いわけがない」「何でそんな理屈になるの?」とか。それは自分が見ている現実が否定されたのと同じだから、こっちの反応も「ああ、まったく理解されてない」。で、実はそれだけではないんですよ。「俺の見ている現実を否定すること自体、何か企みがあるんじゃないか?」という疑いさえ持ってしまうわけですね(笑)。

相馬:あー、なるほど。

杉本:戦隊もののドラマなんかで、「世界で自分以外は家族も含めて魔人になってしまいました」みたいな感覚で、もう家族も含めて一切合切が疑念の世界になってしまう。

相馬:会っている子たちにもいるんだけど。偶然やたまたまを信用しなくなるじゃないですか。すべてに意味があるから、たまたま相手は向こうに行っただけなのに、自分とつなげて、そこには意味があると考える。

杉本:すべてを関係づけちゃうんですよね。

相馬:そういうのも論理的に世界を把握しようとしているんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。偶然じゃなくて必然。物事はすべて必然で、必然の中心に自分がいると考える。一方、こっちは「たまたま派」なので、そこに何の意味もありませんと思うんだけど、そこは相容れない。

杉本:そうなんです。でも、同時にね。自分の場合も確信はあったけど、いま思い返せばそれは100%でもなかったですね。「そう思い込んでいる自分がいるな」という意識はどこかであったと思う。ひとり「うわー」となって、明日は学校を休むしかないとなって、でもそれでホッとしてる自分がいることにも気づいている。被害妄想の実感はすごくあるんだけど、その表現は結構オーバーだなって(笑)。果たして俺の周りの世界が変容するなんて本気で思っているのかな?テレビも見てるし、習慣的な世界の日常に委ねてる部分もあるし、案外俺のすべてを世界は嫌ってるわけでもないと、意識的無意識的に気づいていたと思います。でもそれをどう表現したらいいかわからなかった。実感としても外は怖いし。

相馬:100%って話なら、まず相手の船に乗ってみると言ったけれど、何でも肯定できるかというと、まあそりゃ無理だろうなという気持ちもあるんですよね。

杉本:相手の人も「そう言ってるけど、どこか自分でも疑わしいな?」と気づいてたり。

相馬:船には乗るけど、「別の人が乗ってきたな」という気配を置いておきたくはあります。

杉本:「別の人が乗ってきた」というのは、利用者側の人が?

相馬;うん。他人でいたい気持ちはある

杉本:そのプロセスを経ている時点で、もう本当に手がつけられない「うわー!」ではないですよね。相馬さんたちと関係づいちゃったというのは、誰かがあいだに入って、本人も会うことを了解しているわけだから。その時点である程度は他人を受け入れる素地はある。

相馬:そうですね。

杉本:外は怖いけど、話を聞いてもらいたい。相手を求めている気持ちはどこかにある。

相馬:ここまで「わかる、わからない」と言う話をずっとしてきていていきなりひっくり返しますけど、どこか「わかんなくてもいいじゃん」という気持ちもあるんですよ。わかったからうまくやれるというものでもない。「わかんないけどうまくやれた」でもいいじゃないと。

杉本:以前に「困り感という言葉はちょっとイヤだね」と言ってましたけど、困り中心に語り合いましょうというのも似ているかもしれませんね。思春期にインパクトのあったカウンセリングの先生は、ぼくを治すとかとは言わなくて、親に対して言ったのはこれは思春期葛藤の表現なのか、もしくは精神病の入り口なのか。何という症例名かは忘れましたけど当時あったんです(*境界例)。どちらに進むかわからない、保留状態の症状名があって。だから当時はぼくには伝えられなかった。ぼくは特に親父に激しく絡んでいたから、一度たまらず親父が「お前は精神病なんだ!」と叫んで、ドキッと傷ついたりしたんだけど。

まあまあ、ちょっと話がずれちゃいましたけど。つまり相馬さんと同じく、当時のカウンセリングの先生も治療しながら「わからない」というのもあったんじゃないかと思いますね。どっちに進むかはわからない。だから精神病の薬も一時期飲んでいて、その副作用で太っちゃったりしましたけど。

相馬:何だかわからないものとそれなりに過ごす能力は、みなそれなりにあると思うんですよ。だってペット飼ってるんだから。犬猫なんてなに考えてるかわからないじゃないですか。それでも飼っている人がこれだけいて、爬虫類飼ってる人もいれば、虫飼ってる人もいて。全然種が違ったって、どうにかやってるわけだから。何だかわからないものと何だかわからないまま何とかやれるんですよ。おそらくね。

杉本:相馬さんの今の話は対応している側の人の話ですね(笑)。被害感にまみれている人は多分わからない話ですね(笑)。

相馬:そうかな? でも、個々に持っているものだと思うんですよね。

杉本:ごめんなさい。ちょっと茶化しちゃって。

相馬:いやいや。でもそうかもしれないです。自分の当たり前が他人にもそうとは限らないので。

漂流教室の訪問で説明すると、何だかわかんない人が来て、何だかわからないで過ごして帰る。別に大事な関係でなくてもいい。よく知らない人とよく知らないまま、よく知らない時間を過ごしても何も起きなかったでいいと思っているんです。そのようにもやれるのだと。

杉本:それはすごいですよね。おそらく精神科医とか臨床心理士さんはそういう教育の受け方をしてないでしょう。「大丈夫だ」という前提で考えているかどうか。もちろんそれはベテランとか、ある種そういうことに向いているキャラクターの人は「大丈夫なんだ」とドンと構えているかもしれませんが、自分自身が悩んで心理士になっちゃうような人なんかは結構ドキドキしてるかもしれないですよね。

相馬:むしろドキドキしていてほしいですよ。子どもがどうしようってドキドキしているときに、行った側の大人が「大丈夫」ってドンと構えてたらすでにパワーバランスがおかしいでしょう。そこは両者に「どうしようかな」って迷っていてほしいですね。ドキドキして、「困っちゃったな、どうしよう」「1時間どうやって過ごそう」っていうのが大事だと。何とか1時間終わったぜ、波風立たずに終えられたとお互いが安心する。

杉本:ボランティアに挑戦する人は初めは本当にそうでしょうね。

相馬:自分もいまだにそうですよ(笑)

杉本:ぼくも27歳で初めて精神分析療法を始めた時、診察先が精神病院だったんです。看護婦さんが横につく。いつもつこうとするので、先生も少しイライラして「つかなくていいですよ」と言うことがあって。つまり「2人だけの構造は大丈夫か」と精神科領域では思う傾向がある気がします。そういうカルチャーがあると思うから、もしかしたら、精神科領域の人だと、これもゴメンナサイ、突っ込んじゃいますけど、漂流教室さんのその仕組みは「大丈夫ですか」と言われるんじゃないかな。

相馬:それは言われるんじゃないですかね。ほとんどタブーですよね。密室で1対1になるというのは。そこで何かあったっておかしくないですから。まあ、多分ないなという気持ちはあります。一方で……いや、大丈夫とは言えないな。危険はあります。

杉本:でも……やってるんですよね。

相馬:そうなんですよね。これが2人で訪問して、大人と子どもが2対1になったりするとね。相手が無理ですよ。大人2人が部屋に来られたらちょっとなと思うでしょう。あとは、やっぱり「慣れない」ことかな。迷って、ドキドキしているうちは間違いは犯さないように思います。相談されたら「大丈夫だよ」とは言うけど、スタッフにはずっと迷っていてほしい

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*『窯変源氏物語』全14巻 中央公論社、1991年–1993年

*『双調 平家物語』全15巻 中央公論新社、1998年–2007年

*境界例―境界例(きょうかいれい)は精神医学の用語である。多様な意味で使われてきたが、最も普及しているのは境界性パーソナリティ障害を指した意味である。リックマンは1928年には、borderlineの語を後に精神病の症状を呈する神経症という意味で用いた。1980年に発表された『精神障害の診断と統計マニュアル』第3版(DSM-III)では、それまでの境界例の議論から、統合失調症に近縁性のある「統合失調型パーソナリティ障害」と、対人関係の不安定性や傷つきやすさが焦点となる「境界性パーソナリティ障害」の、2つの群が取り出された。


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