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日本の年金のアキレス腱と年金理解を阻む認知バイアス

勿凝学問416

社会保障審議会年金部会の第3回が(2023年)5月8日に開かれた。自由論題だったので、最近も、いわゆる「年収の壁」をはじめ、世の中を賑わせている日本の公的年金保険というものがどういうものなのかという話をする。

アキレス腱を抱えた日本の年金

2点ほど考えていたことを言いたいわけですが、1つは、この国で問題のない年金制度を求めても無理だという話です。
国民年金法が成立した1959年に当時の事務局長の小山進次郎さんは、国民年金法の解説の中に、「国民の強い要望が政治の確固たる決意を促して、我々役人のこざかしい思慮や分別を乗り越えて生まれた制度」と書いていました。
無職の人を初め、所得を把握することができない人も含めて国民皆年金保険を行うということは、政策技術的には無謀なところがありました。
今で言えば、仮に3号を抜きにして1号と2号から成る制度を考えても、能力に応じて負担し、必要に応じて給付を受けるという社会保険の原則に反していて、垂直的再分配がない制度が組み込まれているという問題もあって、これ自体1号と2号のところだけでも問題がある。
ところが、今度は1号を抜きにして2号と3号から成る制度を考えると、社会保険の原則にあまり反していないというところもあるので、私は社会保険としての制度の歪みの根源は1号にあると考えてきました。
皆年金を堅持していく、つまり1号を堅持していく限り、この国の公的年金制度はひずみが生まれます。そして、個人的には1号は堅持していくべきだと思っているので、このひずみを抱えた状況で制度を運営していかざるを得ないだろうと思っている。
公的年金というのは、いろいろなパーツがすき間なく組み合わされてつくられていて長い履歴を持つので、最初にアキレス腱を抱えてつくられ、長年運用してきた制度を、その後どう繕っても矛盾がほかのところから顔を出します。そのひずみを正そうとすると、ほかのところで矛盾が出てくる。公的年金制度の議論は、どちらがましかという悪さかげんの比較をせざるを得なくなります。
例えば、先日、お隣の小林さんのところの日商が3号をなくすべきと発表したという報道がありましたけれども、私には数十年前に民主党が言っていた最低でも県外と同じように聞こえる。制度を変えた先の具体的な制度を提示してもらって、その新たな制度と今の制度の間の、いわば悪さかげんの比較をした後でないと建設的な政策論をしようがないわけです。日本の公的年金というのは、政治的要請で最初から問題を抱えた制度をつくっているのですから、野党や研究者が簡単に批判することができる制度です。
しかし、年金というのはそう難しい話ではないので、10分間でいいので具体的な新しい制度を心に描いて、そこにどのようにして今の制度から移っていくのか。そこで起こる問題はどういうことなのかを考えて、その方向性と今デフォルトで進められようとしている改革の方向性、例えば、適用拡大を徹底的に進め、さらには昨年末の全世代型社会保障構築会議で示された、20時間未満への厚生年金ハーフの実施によって見えない壁をなくすという方針との優劣を比較した後に発言するようにしていかないことには、かつて租税方式にしたほうがいいという人たちは試算も何もやらないまま言っていたのかということがあって、壮大な無駄な時間というか政治を疲弊させたことがあったのですけれども、そういうことにならないように具体的なアイデアと今あるアイデア、今ある制度を比較して、悪さかげんの比較をして、議論を提案したほうがいいですよというのがあります。

『ちょっと気になる社会保障 V3』195頁に、「野党や研究者 から見れば攻めるにやさしい年金行政のアキレス腱」の話を書いていたりする。

人はなぜ、年金を理解できないのか

2つ目ですけれども、どうしてこうも年金周りでは誤解や間違いがあるのかということを考えると、どうも時間軸が関わる話であることが原因だなというのがあります。今、話題になっている年収の壁もそうですけれども、年金という制度を医療保険や介護保険のように今年1年で閉じる制度と考えれば、あの話はそう間違いではない。
しかし、年金は時間軸が入ってくる問題なんですね。労働経済学者などは所得・余暇選好場でものを考えながら、予算線の屈折を昔から壁だ壁だと言ってきたわけですけれども、その壁なるものの存在を信じてずっと壁の内側にいた人たちが今本当に幸せになっているのかは考えたほうがいい。研究者たちというのは、自分たちの言動が世の中にどのような影響を与えるかをなぜ考えないのか不思議に思うわけですけれども、人間は時間軸でものを考えるのが苦手な生き物なのだから、研究者であっても仕方がないと言えば仕方がないかなと思っています。 
例えば、3号という制度が年収の壁をつくっているのは、制度設計者たちの無責任・無能のせいであって、3号を利用できるのであれば利用したほうが得であり合理的であるというメッセージを発することがインプリシットに3号を勧めるメッセージになるわけですけれども、彼らの言う壁をもたらす制度を利用して、実は高齢期のリスクを高めて、さらには労働市場でOJTの機会も放棄して自らの潜在的な可能性を発揮しない人生選択をする人たちのほうが、時間軸の先の未来で本当に幸せなのかということは考えながら、報道からいろいろなことをやっていかないと、結構不幸を生んでいくことになるのではないかと思っています。 
私は、多くの論者が壁であると言い続けてきたことを「予言」と名づけて、その予言を信じている人たちが就業調整している姿を「予言の自己実現」と呼んできました。そして、この予言の自己実現によって人々が就業調整をしている状況をなくす必要があるという方向で全世代型社会保障構築会議はまとめられていて、加えてあの報告書には、被用者保険に加入することの意義をしっかりと伝えていく広報の重要性を強調していました。今日もそういう話が出ましたけれども、ぜひやってもらいたい。それでいいと思っています。 
かつてはやっていた世代間の格差も、時間軸を持ってものを考えることを苦手とする人間の認知バイアス上の問題があったわけですけれども、伝統的な経済学が視野に入れてこなかった認知バイアスというのは、年金の世界では特にやっかいなもので、たかまつさんから若い人たちは年金が分かっていないという話がありましたけれども、若い人たちだけでなく、年長者もみんな分かっていないです。多くの人たちが人間の認知バイアス上、年金を理解することは難しいみたいなんですね。
年金局の人たちの仕事を大変にしているのは、大方人間の認知バイアスに基づいた「ヒューリスティック年金論」と私は呼んでいますけれども、そういうヒューリスティック年金論だから、人間が人間である限り永久戦争になります。ということで、最後は頑張ってくださいねという年金局へのエールで話を終えたいと思います。よろしく。

ヒューリスティック年金論

上の文章で用いた「ヒューリスティック年金論」については、「知識補給 ヒューリスティック年金論」『ちょっと気になる社会保障 V3』

2019 年の秋,中央公論のおもしろ企画として,元年金局長であり『教養としての社会保障』の著者である現アゼルバイジャン大使,香取照幸さんと僕とのメールによる遠距離往復書簡が企画されました.そこで,公的年金って,どうしてこうも,いわゆるインテリに属しているはずの人たちも間違えるのかを表現するために,ヒューリスティック年金論という言葉を使って説明しています.どうもねぇ,年金って,無知だから間違えるのではないんですよね……いや,公的年金保険に関しては無知なわけですけどね( ̄。 ̄)ボソ…

『ちょっと気になる社会保障 V3』262頁

および次などもご笑覧あれ。
支持率のみを求める政治は社会を繁栄させない――バグだらけの認知能力が世論を作ることもある『東洋経済オンライン』(2020年9月25日)

付録


この日は、発言の順番が、50音の逆順であったために、それまで話をした人への賛意やエールを4つほど加えて話す。

賛意やエール?

○権丈委員 2点ほど考えていたのですけれども、ほかの人の話を聞いていて4つほど加えます。 
まず1つ目、永井委員、小林委員が話をされていた在老の廃止、もういいかげんやろうよという話です。これは優先順位を高く考えてもらえればと思います。 
2点目が、島村委員が話をしていた遺族年金の改革の方向性、また原委員もお話ししていた遺族年金と加給年金の改革の方向性は、ここにいるみんなは同じ方向を向いているのではないかということと、あと、社会保険で給付時に所得を見るというのは、もうやめようというのも随分前から言っているわけですけれども、その中の部分として先ほどの遺族年金で給付時に所得を見るというのは、もうなくしていこうということも議論の対象にしてもらえればと思っております。人類のいろいろな歴史の経験の中で、見ないほうがいいというようなことはある程度分かってきているわけなので、今日は遺族年金に関していろいろ細かい説明がありましたけれども、そういうことはもうみんな議論しなくても分かっているという形で原則にのっとった形でやっていきましょうよというのがあります。 
3番目が、是枝委員が言っていた名目下限の撤廃、もういいかげんやろうよという話です。これも今まで抵抗されてブロックされていたのですけれども、やりましょうということ。 
4番目、基礎年金の話をするというのは、国庫負担をいかにもらうかという話で、今までのデフォルトの改革の方向性は、被保険者期間の延長や適用拡大というのを言ってきた。果たして再分配機能の強化という理由で国庫負担をもらえるのかというのは考えたほうがいいかなと。記者たちに私は、これほど給付水準を上げるおいしい方法はないぞ、再分配効果の強化とか貧困問題をもち出して言っておけば、君たち自身の基礎年金が増えるんだからと励ましてる。しかし、このロジックを財源負担する人たちあるいは財務省はかなり突いてくる可能性は多分にあるというのがあり、私たちが被保険者期間の延長や適用拡大を言っていたのは、クローバックをどうブロックするかというところが視野にあり、向こうが論点として文句言えない論をずっとつくっていたのだけれども、まあ、頑張ってねという世界になりますかね。

この後、上述の本題2点に入る。


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