最近の海外ゲームアプリとデザインの抽象性について

最近海外で人気が高い『Color Switch』というアプリをたまに遊んでいる。

タップでボールを浮き上がらせて、同じ色のゲートに通していくタイミングゲーム。少し前に欧州などで流行った『aa』にも考え方が似ている。一瞬に勝負をかけるシンプルな遊び。

どれぐらい人気かというと、公式の発表では5,000万ダウンロードを超えているそうで、『パズル&ドラゴンズ』が4,100万なので、数だけでいうとそれ以上ということになる。

※もちろん、5,000万ダウンロードを超えるアプリは他にもたくさんあり、『Color Switch』はその中の一つ。

いろいろな海外の人気アプリをしばらく追っていて思ったのだけど、前述のアプリをはじめ、欧米や中東などの人たちはスマホゲームにちょっとしたスリルのようなものを求める傾向が強く、日本人は具体的な物による見返りだったり癒しだったりを求める傾向が強い。

海外ではアクション――反射神経要素の強いゲーム――が人気で、日本は非アクション系が人気、と言っても近い。まあ、それは今に始まった傾向ではないわけだけれど。

どの国も短時間で得られる達成感が求められるのは一緒なのだけど、達成感の質が違うとでも言えばいいのか。もちろん、あくまで大まかな傾向に過ぎず、同じ国で逆の傾向のゲームがウケている例もあるし、『キャンディークラッシュ』『クラッシュ・オブ・クラン』『ピアノタイル2』のような世界共通でウケているものもある。

海外には抽象的なデザインの人気作が多い

もう一つ思ったのが、先の『Color Switch』『aa』、他にもたとえばプラットフォームもので『Geometry Dash』という定番人気ゲームがあるのだけど、それらに共通しているのはビジュアルの抽象性。少し極端にいうと、単純な丸・三角・四角・線だけでほぼゲームができているような感じ。昔のゲームでいうと『テトリス』とか、『マーブルマッドネス』『クラックス』のような。

海外では、日本に比べてこういうデザインの人気ゲームアプリがけっこう多い。挙げ出すといっぱいあって、他にも『Stack』『Twist』とか、シンプル(で美しい)という意味では以前話題になった『Monument Valley』もそれに近い。

(また、抽象性とは少し違うけれど、ほぼシルエットだけでシンプルに表現されたデザインの話題作も多い、ということも、ついでに挙げておく。たとえば『Limbo』『Dark Echo』のような)

とは言え、日本でも少し前に『Q』というアプリが人気だったし、抽象的なビジュアルのゲームも探せばたくさんあるけれど、比較で言うと人気上位に来るものは少ないんじゃないかな。

どうしてこういう違いが生まれるのだろう?

よく「日本人は伝統的に記号化されたものへの理解力が高い」的なことを言われてきたけれど(絵画、漫画、アニメ、ゲーム等々)、これだけ見ると傾向が逆で、スマホアプリに関しては、日本人の方がより具体的なビジュアルやストーリーの類いが盛り込まれたゲームを好んでいるようにも見える。

日本人が好きなのはあくまでもデフォルメ・簡略化であって、抽象性を好むわけではない、ということなのか。どうなのだろう?

ゲームアプリに関して言うと、日本のスマホゲーム市場は世界的に見ても売り上げ規模がかなり大きいので、トップクラスのアプリであれば、比較的制作費がかけられるというのがあって、絵も緻密で豪華にしやすい(※)。

他方、海外のアプリは日本のソシャゲほどは課金で稼げていないので、絵にお金がかけにくい、ということもあるのだろうか。

(※)2015年度、日本のスマホゲーム市場規模は全世界で米国に次いで第二位。また、ある調査によると、日本のプレイヤー一人当たりが月に費やす金額でいうと米国の三倍以上だとか。

ただ、海外でもお金のかかったスマホゲームはいろいろ出ているし、日本と違って世界では多くの国の間でヒット作が共有化されているので、そちらはそちらで売れたときの爆発力は大きいのだけれど。

抽象的なデザインのメリットとして、一つに、パッと見てシンプルで全体が把握しやすく、すぐゲームに入り込める。だから、時間の無い大人がちょっと遊ぶには向いている、というのは想像できる。まさに冒頭の『Color Switch』のようなゲームだ。

それに対し、具体的なデザインになると、その表現手法に慣れていないと理解に時間がかかる上、ターゲットを絞ってしまうことにもなりやすい。大人っぽいとか子供っぽいとか、女性向け・男性向けなど。

だから、スマホゲームの世界で抽象的なデザインコンセプトのものがランキング上位に来るというのは、とても納得できる。

逆に日本で、あれだけキャラクターを描き込み、さらにいえばUIデザインに関してもギッシリ詰め込んでいたりするにもかかわらず、けっこうな人数が面倒がらずについてくるのがむしろすごい。

ちょっと余談になるけれど、世界の人気アプリを見ていると、日本は割と特殊な部類の国だということが分かる。前述のとおり、日本以外の各国では、世界共通でヒットしているゲームが圧倒的に多い(まあ、これはコンソールやPCの世界にも、もちろん言えることだけれど)。

日本はゲーム大国として長年にわたり独自の文化を築き上げてきた歴史的経緯があって、現在もその延長線上にある。皆が同じルール・同じお約束を共有しやすい環境があり、かつ市場規模が大きいので、今なお独自の市場が成り立っている、ということなのだと思う。

また、そこに日本のアニメや漫画の文化が密接なつながりを持ったことで、独自化に加速がついたことも論をまたないだろう。

あと、日本人は「携帯機」(3DSやVita等も含め)で本格的にゲームを遊び込む傾向が比較的強い。海外だとそういう人たちの大半はPCやコンソールに行くので、結果的にスマホアプリにはカジュアルなものが多く残る。

抽象性の話にもどすが、この話に当てはまらないアプリも各国にはたくさんある。あくまで人気上位の傾向を調べていたら、その一つとして抽象性に行き着いたというだけなので。

また、当然ながらPCの世界であれば海外の方が緻密なグラフィックかつ世界観も作り込まれたゲームであふれているし、シミュレーション系のゲームなどに限っていえばUIも複雑にはなる。

時代を30年以上巻きもどして考えてみる

書いていて、日本人の絵の好みについて、一つ思い出したことがある。

1980年代にAtariのベクタースキャンのゲームが日本に次々輸入されたとき、どれも秀作ばかりなのに本国ほどは受け入れられなかったということがあった。

どうも日本人はあの線のみで構成されたシンプルなゲーム画面にあまり魅力を感じない(傾向が強い)のではないか……という話を当時ゲーム仲間とした覚えがある。

線でしかないことを補って余りある自在なアニメーションと立体表現の妙がそこにあるにもかかわらず、だ。

比較でいうと、日本人は動きの面白さ、ダイナミズムよりも、空間的な密度の高さに豪華な印象を受ける傾向が強い……のかもしれない。

もちろん、日本にもベクタースキャンの熱烈なファンが多くいたことは承知しているし、絵にすべての理由を求めるのは単純過ぎる分析だと思うけれど(実際、他にも理由はいくつも挙げられるだろうけれど、本題から外れていくので今回は割愛する)、もしかしたら今回の話につながる事象といえるのかもしれない。

他方、同じ時期の日本のゲームに目を向けてみると、1980年代ぐらいのゲームはスペックが低かったので映像に抽象性――この場合は記号性という方が正確か――があり、日本人の作った世界観やタッチでも、良い塩梅に無国籍な感じになっていて、そこが日本のゲームが世界でウケていた要因の一つだった(まあ、この言い方ができるのは、さすがに80年代でも前半からギリギリ中期ぐらいまでに限られるが)。

また、当時の日本人は多くの面で欧米の文化からインスピレーションを受けることが多かったので、結果的に各国と通じ合うものを作り出すことが多かったのかもしれない。SF、西部劇、銃撃シミュレータ、ミリタリー、吸血鬼伝説etc...。ハリウッド映画あたりから題材そのものを拝借してくるようなこともごく一般的だった。

さらにいえば、当時は海外の開発会社が今ほどの力を持っていなかったということもあって、最初から明確に世界市場を狙って作っていたものも多かった。

もちろん、現在も海外から影響を受けることは多分にあるけれど、日本に特化した世界観や表現がもっとも国内で成功しやすくなっている分そちらに傾いている、ということはいえると思う。

……といったことも、今後の国産ゲームの海外進出を考えていく上でヒントになるんじゃないだろうか。実際、さまざまな工夫によって海外進出している日本のゲームは、今もいろいろあるし(『Downwell』などは好例の一つだと思う)。

自分にはこれぐらいしか分からないし、思い込み・考え違いもあるかも知れないけれど、この辺りの分析をきっちりできる人の意見も聞いてみたい。 了

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