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12年間を振り返る vol.01

12年という周期は、干支が一回りする期間でもあり、星回りでいうと木星が太陽の周りを一周する期間でもある。

人間にとっても、天体にとっても、一巡する間を振り返りつつ、自らの来し方行く末について思いを致しながら筆を執る。

そう、これはどこまでも自分のための文章である。


2011年というと、職を変わったのが2月、結婚したのが9月で、イベントには事欠かなかった。

物心もつかぬ2歳までの間、隣人であった方(もちろんこちらは記憶はないのだけど、あちらは面影がある、と仰ってくださった)を頼り、彼が経営する式場を遣わせていただいたので、いわゆる個人手配で何もかもをやったのだけれど、前職からのご縁を頼って、お花からカメラマンから司会に至るまで、顔が分かる方にお願いできたのは、今にして思い返すと、とても有り難いことだったと思う。

式場側にもだいぶん無理をお願いして、場面ごとの音楽を全てこちらで決めては、順序とタイミングを要望通りに流していただいた上、持ち込み料金までサービスしていただいたはずで、当時の私なりに人のご縁から、存分に助けていただいた。

そしてそのご縁は、転職によって、一段と拡大することになる。
前職よりも地理的な守備範囲が拡がったことを水平方向として、商社の営業が一般的には販売側に専念するところ、購買側も任されたことは垂直方向へ拡がっていて、立体的なご縁の膨らみが生まれた。

関東地方への営業へ赴きつつ、電話で四国地方にある外注先との資材調達をしたりして、多面的に事象を捉える視点も持てるようになったのは、この頃の働きのおかげである。

とはいえ、このような働きは長く続けられるものでもなくて、12年のちょうど折り返しに当たる2017年あたりが、ピークだったように思う。

どんどんと仕事が増え、人との繋がりも拡がる一方、実は心中では不安も抱えていて、その内容はここでは伏せるけれども、業績が順調でありながらも、会社が存続するか否かに疑いを持っていたことで、当時の私はアクセルとブレーキを同時に踏んで
いるような状態にあった。

その頃の精神状態はなかなかにしんどいものがあって、今思い返すと、よく生き延びたなぁ、と感慨深くさえある。

とはいえ、その死地から戻って来られたのも、また人の縁に由るところで、2つの大きな出来事がなければ今の私はいなかった。

(続く)





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