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飲みながら書いた徒然

下記の散文は、ここ1ヶ月の思索の断片である。
一気呵成に書き上げてみたものもあれば、ゆっくりと言葉を紡いだものもあり、それぞれに風合いは異なるけれど、共通しているのは、一つ一つの文章は結論に至ることなく、筆を置いたということである。
無理矢理にでも締め括ることは出来たものを、敢えてそうしないままにして、次の頁へと進んだことで、自身のとりとめの無さを認めざるを得ないが、それでも紙の上のインクとして置いておくよりも、ここでnoteのプラットフォームに載せて、誰かの目に触れることを選ぼう。
秋の夜長に誰かの何かになれば、この上ない幸いである。
ちなみにタイトルは、その時々に飲んだコーヒーの名前で、それぞれの個性が味として文章に反映しているとかいないとか。

Sophiaを飲みながら(2023.9.23)

自らの向かう先について、1年の折り返し(自分の誕生日から見て、ね)に改めて整理しておきたく、筆(というかボールペン)を執る。
1年365日(来年は閏年なので366日)ある中で、春分の日という、全き新しき日に生まれたことに、感謝の念を込めて綴ってみたい。

春分~秋分の半年間に再確認したことに、自らの主観で自分自身の価値を推し量ることの難しさがある。
ついつい私たちは自分のことは自分で解ったつもりになっているけれど、それはゲームで言うところの“一人称視点”に立っているに過ぎない。ゴールを定めて走るようなとき(レースゲームのようにね)には、それがとても有用だが、現在地と目的地の位置関係を知るためには(RPGのような)俯瞰、あるいは目的地を探すような旅に当たっては、もっと高く鳥瞰図のような視点,視座を持つ必要があるだろう。

俯瞰というのは、つまり自分ではなくて他者の視点、そして鳥瞰というのは何らかの自己分析ツールである。
例えば、私で言うならば、他者との対話や、あるいは自他の発信における気付き。みたいなものが、俯瞰を助けてくれていて、自分からの目線では絶対に視ることの出来ない自分像を象るのに欠かせぬものになっている。
自撮りの写真hいとつを取ってみても、その姿を見た方々からは面白い反応がたくさんいただけて、直近の秋分の日も手を合わせているだけで、“境界を超えた信仰感が漂います”という言葉をいただいた。
あるいは、今日も縁あって大阪天満宮へ三名様をお連れしてお詣りしたのだけれど、“プロと一緒にお詣りできる安心感”といったことを言っていただき(プロって何やねん)そういう観点で自分はみられているのだなぁ、と改めて俯瞰をさせてもらった次第。

彦星ブレンドを飲みながら(2023.10.3)

と、タイトルを付けてみた後に、織姫ブレンドをおかわりしながら、綴り始めている。
“HUM”と“Bright & Right”の間にあるコンマ数秒が、循環を表す∞の中心にある交点なのだ、という思いつきは、ACIDMANに“Beautiful greed”を聴いた数年前の私に伝えたとて、きっと分かりはしないだろうけれど、手元にある“宗教とデザイン”松田行正(左右社)を読了した今、音像(それは例えばオーディオでいうところの定位、あるいは仏教寺院に響き渡る声明のように、私の周りを取り囲んでいるようでもあり、漂って放射しているようでもある)、キリスト教のモチーフを散りばめたMusic Videoと“So Beautiful How Beautiful~”という繰り返しとは、いつぞや比叡山で執り行なわれた天台の声明とグレゴリオ聖歌との合唱を想起させるようで、人間の声が持っているエネルギーの妙を感じざるを得ない。
もちろん、歌詞自体もバタフライエフェクトのことを指していて、小さな小さな羽ばたきが、世界へと伝播する様は、発表から時を経た風の時代の今こそ、伝わりやすいのだと、時代感の変遷を面白く、そして嬉しく思う。

アメリカーノを飲みながら(2023.10.20)

自ら、というか祖父のルーツがある谷町の通り沿いに立つGreenberry's COFFEEにて、アップルパイとアメリカーノを。
昼に参詣した大念佛寺は、その本堂が大阪府下で最大の木造建築建築物ということで、改修中の伽藍がその囲いを垣間見る(というより、囲いの合間から見る)だけでも、何とも迫力に満ちていて、以前(確か学生時代)に平成の大改修をしていた本願寺さえ彷彿とさせた。
本願寺と言えば、ラフカディオ•ハーン“心”には本願寺が落慶した際の様子が事細かに記されていて、まだまだその威光が強大であった浄土真宗とその信徒との関係が興味深い限りである。
奇しくもマドモアゼル愛さんが、イスラエルとシオニスト、明治以降の日本と国家神道、との相似について語られていて、これこそ世も末というか、鎌倉期に仏教の様々な宗派が勃興した世と似通っているに違いない。
大念佛寺の説く融通念佛について、私は語るだけの知識を持ち合わせていないけれど、令和の大改修中ということを差し引いても余りに物寂しい境内を巡っては、観音堂という非常にオーソドックスな信仰形態に今なお光を感じられたことは、私にとって救いとして記憶に刻まれたから、今後、宗教という枠組みが消滅した後も(そしてそれは、おそらく科学という枠組みが消滅することと時を同じくするだろう)プリミティブであり、かつインテグラルな形の信仰が、神も仏も無い世界を照らす灯明になるのだと、証明する日は近いと信じられる。

アメリカンを飲みながら(2023.10.24)

手元にあるレシートには、10月24日15時20分と打刻されている。午後3時20分を、自分の誕生日である3月21日と繋げてみることを赦されるならば、3月20日はこの世に現れる前日ということになるけれど、つい先程まさに自分の生まれた産院である日本バプテスト病院の脇にある山道を歩いてきたところだから、参道を産道と関連付けて捉えている古神道に則ってみると、あながち道を逸れた話でもないのかもしれない。
そう、山道でもあり参道でもある道へ足を踏み入れたのは他でもない、産土神すなわち自らが生を受けた土地を統べる神社へとお詣りするためであった。
瓜生山(うりゅうざん/うりゅうやま)の麓である北白川の地は、私の戸籍に書かれていた本籍地でもあって、父の実家であって、つまり祖父が居を構えていたところに縁を発するのだけれど、2歳の頃“山の上”へと引っ越した私からすると“京都のお祖父ちゃん”の家がある町であり(後に祖父は同じく山の上へ引っ越してきて“隣のお祖父ちゃん”となるが、この辺りのことはnoteの自分史vol.01に詳しいので、ご興味がおありの節はそちらを参照されたし)、また父の影響で小学2年生からしていたボーイスカウト活動の拠点でもあった。
特に、5年生に上進した後は、当時の隊長が、この瓜生山の中といっても良いような小高い土地にお住まいだったこともあって、自ずと瓜生山は野外活動のフィールドとして馴染み深い土地でもあった。
身体を動かすことが苦手だった私に、今で言うトレランのような訓練の数々は辛い思いだったけれど、白川の源流がせせらぐ山の小径を歩くのは不思議と嫌ではなくって、“山の上”の実家へと通う古道、志賀越峠の旧道を列を成したことも何となしに気持ち良いものだったような気さえしつつ、今日の昼下がりに秋の木漏れ日を背に、川の音を聴きながら四半世紀前のことなどちらりと思い出したものである。
38歳になってスーツ姿でお詣りすることになろうとは、少年の頃の私は想像もしなかったけれど、小川の脇へと下りる前に小さなお社があったことは良く憶えていて、数ヶ月前に産土神についてお話してくださった千果さんと産院が同じ(!)と分かった際も、この風景は頭の中ですぐに描くことができた。
京都へと足を向けることが昨年迄を比べると少なくなって、訪れるまでに時間がかかってしまったけれど、今日というときにお詣りできたことには意味を与えても良い気がしている。
それというのも、2023年10月後半は、ちょうど占星術でいうところの太陽蠍座期間に当たっていて、人生の針路を示すと云われているDT-DHの軸において私の出生時のネイタルチャートにおけるドラゴンテイルは正に蠍座にあって、持って生まれた(ある意味では生まれるよりも以前の)エネルギーを改めて確認するに、ピッタリの時期であったのである。

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