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魚座新月に寄せて

”インテグラルセオリー”という20歳頃に読んでいた哲学が、30代最後の年を間もなく迎えようとする2024年3月に、私の周りにいらっしゃる幾人かの人から注目されていることを、とても嬉しく感じている。
インテグラル―すなわち統合という営みは、スピリチュアルが人口に膾炙するようになったからこそ、非常に実際的な意味を持つと言える。

例えば、2021年11月~2022年1月に私が参加させていただいた、“Collection01”というAZさん主催のコミュニティでは、内観と自己表現が主たる活動であったように、自分の内側と外側とは、確実に繋がっている。
つまり、自分の内側を深堀していくことで、世界へ向けての関わり方は益々広がっていくわけで、そこでは今まで伏せていた自分とも出会い直すことになろうし、場合によっては知ることもなかった新たな自分を見つけること、気付きもしなかった欲望と向き合って戸惑うこともあるだろう。
しかし、人間は霞を喰って生きていくことは出来ぬし、また欲に蓋をして暮らしても、人と関わることは難しいに違いない。

人間が、しかもかように有為転変の現代で生きる自分を選んで生まれてきた以上は、この時代だからこそ関わることが出来る人々との繋がりを、生かし切る方が命を全うすることになるだろう。
天命ーつまり持って生まれてきた才能を活かし、錬磨し続けることーを全うしない在り方を、古来日本では天津罪と言って、罪と罰とを明文化しない文化にあって例外的な大罪としてきた。
国津罪という、もう一方の罪は、国土を蝕むような在り方を指していて、ここを読みに来られるような向きには無関係に違いないし、また今2024年は世界中でそういった悪党を追放する年になると考えられるから、今後心配するには及ばないだろうが、天津罪の方はどうであろうか。

これは私自身、まだまだ罪深い存在であると認めざるを得ないから、その恥をひけらかすようで、凡夫が何を言わんや、という風情だけれども、私の周りにたくさんいらっしゃる、可能性の原石たる皆様にとっても、あるいは耳の痛いことだろうと推察する。
自分の能力を余すところなく発揮し、輝かしく活躍することは、何故だかとても怖ろしいことに思えるのだけれど、ここ数年をかけて内観や、精神的なメンターとの出逢いを経てきた貴方がたなら、まさかご自身の魅力に気付いていないはずはないし、何であればひた隠しにすればするほど、周囲からの外圧がやってきたりすることまで経験されているのではないだろうか。

自分にだけは、なかなか感受できないその能力/魅力を知らずにいた頃には戻れないのであるから、いっそ諦めて開き直るべきなのだ。
持っているものを開示することは、一方で持っていないものを開示することでもある。
持っているフリをしてきたのなら尚更、無いことにするのは抵抗があるものだが、そんなあるかないかも分からぬもの、あるいは他の誰かが本当の意味で持ち合わせているものを、後生大事に抱えておくこともなかろう。

つまらぬ虚飾は、貴方を輝かせはしないのだから、それよりもいかに隠そうとしても漏れ出てしまう光源のような原石を、表に出した方が良いに決まっている。
陽の目を浴びて来なかった原石は、いかにも無骨で洗練されてはいないかもしれないが、そんなことに構う必要はなく、それを待ち望んでいた周りの人々は、すぐに磨き上げて、貴方にしかない最上の仕立てにしてくれるから、心配することはない。
そして、その魅力的な佇まいは、使えば使うほどに輝きを増し、これまでの鍍金の如く剝がれる怖れもないのだ。
天命という光は、命ある限り、あるいは今の肉体を使い切った後でさえ、人々を明るく照らし、温めるだろう。

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