道についての数百字
道というタイトルで私が真っ先に思い浮かべるのは、白洲正子の“道”という随筆、
そして、もう少し古い記憶を辿るならば、Do As Infinityの“TAO”という楽曲である。
いずれも、私が通ってきた道の傍らにある一里塚のような、ふっと見逃してしまいそうな作品で、例えば好きな作品は?という質問に対して浮かぶほどのインパクトはないのだけれど、確かにそこにあって欠かすことはできぬ存在である。
白洲正子で好きな作品というと、滋賀県出身者として真っ先に挙げたいのは“近江山河抄”であり、子どもの頃から百人一首が傍にあった者として“私の百人一首”も念頭に浮かぶだろう。
またDo As Infinityなら、大学のアコースティックギターサークルで演奏した“week!”や、今もなお口ずさみたくなる(何ならカラオケでも歌う“陽の当たる坂道”が、私の歩んできた道のりにおいて、お遍路でいうところの札所のように、記憶に残るものである。
では一里塚である“道”,“TAO”は何だったのか。
それぞれの記憶を辿ってみると、出逢った時期について覚えていない、ということだけは共通していて、自分が何歳のときに読み/聴いたのか、見事なまでに思い出せない。
但し、“道”の場合は読後数年以上経って、所縁の地である多気町へ行くことになったときに瀧原宮を思い出しお詣りしたこと、“TAO”の場合は発売から数年後、友人から歌詞の解釈について尋ねられ道教についての何某かを答えたこと、からして、不思議な巡り合わせがあるのだろう。
これから先、どんな道を辿って行くのか、そんなことをぼんやりと考えながら、私にとっては道が印象的に映り込んでいる美しき映像で、一旦筆を置くことにする。
ヨーヨー・マ本人と、そのチェロがこの美しい河原に行き着くまでに辿った、山の小径に思いを馳せながら。
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