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【宣伝】デリダ『声と現象』読解講座(オンライン)

 PARA神保町にて「ジャック・デリダがわからないーー『声と現象』読解」という講座をやることになりました。芸術に関わる人のための哲学書読解講座。
前年度はベンヤミン『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』を読んだのですが、これが少なくとも私にとってはあまりに実り多く、引き続きコレという著作をやらせてもらえることになって本当に良かった。
 デリダの中では地味だという扱いを受けている本書ですが、芸術に関わる人ならまずこれなのでは、という直観があります。「表現」とか「表象=上演」(あるいは表現する「私」)って何だよ、などと考えたい人にオススメします。
 5 /15から隔週月曜、20:00-21:30予定。
 詳細と申込はコチラから。

本講座だけだと4回で20,000円とまあまあしますが、神保町に通える人なら、コースでとると大分 お得かと思います。錚々たる講師陣。
PARA神保町公式サイト
ちょっとだけシステム複雑なんで、説明会も。

※以下、案内文転載

 ・「私」について  はじめまして、渡辺健一郎と申します。私は、「私」について、表現について、世界について、様々にアンビヴァレンスを抱えています。  たとえば。私はいま肩書きとして批評家と俳優とを同時に掲げているのですが、一般に「諸芸術作品などについて自分の言葉で語る」とされている批評家と、「自分の言葉を持たず戯曲のセリフを語る」俳優とはどの様に並列しうるのか。これ自体がにとっての大きな問いとなっており、ここを一つの起点として、様々に思索をしています。  そしてこれは恐らく、私個人の特殊なレベルにとどまらず、「自分の言葉とは何か」というかなり根本的な問題に通じているのではないかと考えているのです。

・『声と現象』   フッサールの現象学は、まさに「私」や「表現」について厳密に論じており、上記の問題に強力な解答を与えているかに見えます。しかしデリダは『声と現象』で、そのフッサール現象学を極めて精緻に(フッサール以上に精緻に)読解することで、その議論の矛盾をあばきます。  この矛盾が顕わになる地点で、フッサールの用いる「意味」や「記号」、「表現」あるいは「表象(=上演)」といった語が別様に読み返され、「脱構築」、「差延」、「代補」といったデリダ用語とともに、新たな哲学の可能性が示されるのです。  哲学史の知識も必要なのでかなり難しい箇所も多いですが、頑張って読み通せば、フランス現代思想の核とも言うべきデリダの思想の一端に触れることができるはずです。

・講座形式について  参加者のみなさんには、講座が始まるまでに下記の範囲を読んできてもらいます。毎回の講座で、私がその範囲ついて発表したのち、デリダ研究者の森脇透青さんをゲストにむかえ、疑問点や、議論のさらなる展開の可能性などについてトークします。  『声と現象』の議論は一見抽象的ですが、「私」や「表現」についてのきわめて現実的な問題を扱っていると思っています。本書に「芸術」という語は登場しません。それでも本書は、芸術一般の問いと直に接続することでしょう。芸術学校でデリダを読むというこの機会に、可能ならデリダ以上に精密なデリダの読解を目指したいところです。流石に今回そこまでは辿り着けないとは思いますが、すくなくともその端緒となるような機会になればと思います。

範囲
第一回 5/15 序論・第一章
第二回 5/29 第二・三章
第三回 6/12 第四・五章
第四回 6/26 第六・七章

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