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居酒屋トークが苦手な理由

飲み会になると毎回困ることがある。
話題を提供できないのだ。
他の人の話を聞く分にはいいけれど、いざ話題を振る側になった途端、私は黙ってしまう。
周りの人を楽しませるネタがないのだ。
飲み会自体は好きだけれど、話題を提供するのはごめんだった。
なぜか?
私が持つ持ちネタは、他の人からしたら面白くもなんともない、真面目なものだから。
そんな真面目な内容がとても好きでたまらない、私はそんな人間なのだから。

誰が好き好んで居酒屋で難しい歴史の話や偉人の話を真面目に聞くだろうか。
私が提供できるとしたらそのくらいのものだ。
最近の芸能界の話題なんて1ミリも知らない。
経済がどうのだとか、未来の世界がどうとかにも興味がない。
ましてや人を笑わせるだけの話なんて持ち合わせていない。
居酒屋トークが皆無なのだ。

だから飲み会で話題を振られるのが嫌いだった。


友人に誘われ飲みに行った。
他の人が帰って、最後まで残った私と誘ってくれた友人とサシで飲んでいた。
一向に話題を振らない私に対して業を煮やした友人。
とりあえずでいいから何かしゃべってみろと迫る。

もう二人しかいないし、ウケるウケない関係なく、好きなことを話そうと思った。

実は、古典が好きであること、休みの日は硬派の本ばかり読んでいることを伝える。
マキャベリ、アダムスミス、オルテガ、ハイエク、過去の偉人たちが書いた本をひたすら読んでいる。

それのどこが楽しいのだろうか?
遊ぶって知ってますか?

友人の顔をみるとそんな文字が書かれているように見える。

私にとってそれが遊ぶようなものなのだが何か?

絶対に話してもつまらない、面白くない、そんなことしか知らない。
私にとっては楽しい話なのに、私以外の人にとっては苦痛でしかない話。
居酒屋で日頃のストレスを発散したいのに、なんでお勉強しなければならんのか?
そう思われるのが嫌だから、飲み会では話題を提供しなかったけど、この日はもうサシで飲んでいたので、そんなことをお構いなしにしゃべった。

友人は内心退屈していたかもしれない、バカにしていたかもしれない、けれども少なくとも表面上は話を聞いてくれた。
普段人に言えないことを話せたので、自分の内面をさらけ出せたので、こっちも心がスッキリした。
お堅い話を聞く方はたまったものではないと思うが。


そんなこんなで居酒屋トークも終わり、帰路に着く。
途中ふと、なんで私はお堅い本ばかり読むのだろうか? 我ながら疑問に思った。
他の人が読まない、授業で取り扱うような本。
昔の人が書いた古典。
なぜ惹かれるのだろうか?

別にアダムスミスの国富論を読んだところで仕事が上手くなるわけでもない。
ハイエクの「隷属への道」を読んだところで人と話すのが上手くなるわけでもない。
そもそも古典を読んでいるけれど、その本をなんのために読むのか自分でもはっきりしていない。

普通の人なら、例えば話し方が上手くなりたいから話し方の本を読むだろうし、仕事でロジカルシンキングを使うならロジカルシンキングの本を読むだろう。
目的があって本を手に取るはずだ。
しかし私にはそれがない。
目的意識もなく本を読んでいる。
しかも新しい技術を紹介する本や巷で有名なビジネス書はほとんど読まない。

古くて、長くて、内容が難しい本ばかりだ。
他の人にとってみれば意味不明だけれど、私にとってはとても価値のあるものと思ってしまう。

まるで、古い地図が一枚渡されて、地図に財宝の在処があって、財宝を探しにいくようなものだ。
他の人たちが見向きもしないもの、私はそれに価値を感じてしまう。
私以外のみんなは新しいものに夢中になっている最中、私だけが古くて廃れてしまったものに価値を見出そうとしている。

なんのために?

と聞かれたら多分こう答えるだろう。

そこに財宝があるから。
宝探しが楽しいから。

目的もなくただ宝探しをしているようなものだ。
古典という古い地図に描かれている名言という財宝を探しているのだ。

他の人には理解はなかなかしてもらえない。
つまらない。
面白くない。
そんな感想を持ってしまうだろう。
けれどもそんな毎日が私は充実していると感じてしまう。


とても居酒屋の飲み会で話せるネタではないけれど、古典を読んでいると、時々ハッとする時がある。
仕事ができる人の考え方、なんかマキャベリが書いた本の内容にそっくりだな、とか。
デザイン思考とかアート思考とか流行っているけれど、アダムスミスはとっくの昔に同じことやっていたな、とか。
なんか今の政策、ハイエクが指摘していた人の自由がなくなる政策にそっくりだな、とか。

古典を読んだおかげか、他の人とは違った視点で物事を見るようになった。
私なりの思考実験みたいなものだ。
私にとって他の人たちがやる遊びをつまらなく感じしてしまう。
逆に古典を読んで勝手に思考実験してしまうのが私の遊び。
これは流石に居酒屋では話せないか。


友人は聞いてくれたけれど、毎回これじゃ友人も疲れるだろう。
ストレス解消のために飲んでいたはずが、逆にお勉強じみた話を聞いてストレスを感じてしまう。
自分だけの宝探しに没頭するのはいいけれど、ちょっとは遊びという違った財宝を探してみようかな。
それなら少しは居酒屋トークができるかもしれない。
少しだけ話題も振ることができるかもしれない。

古典という古い地図に慣れてしまって、新しい地図を渡されてもどこに宝が埋まっているのかわからない。
そんな状況でも楽しみながら、自分にもできる遊びを見つけていきたい。


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