見出し画像

「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーACT37:HAさんとの不思議な縁

N建設を退社する1ヶ月くらい前(4月)だったと思います。

 


 私は、4ヶ月(6~9月)の充電期間をとって、岩手県北上市のCホームという会社に行くことが決まっていました。

 これは、新住協の会沢さんからの紹介された会社さんだったのです。


 次の人生をどう進もうか…とも決めておらず、ワールドカップ勢いで退社を決めたので、声が掛かるならこれも「流れ」なのだろう…と思い、あっさり決めました。


 Cホームは創業して1年前後の会社と言うことで、「技術指導という立場で来てほしい」という話もあり、面白そうな予感がしました。

 

これからの会社なら、いろんな提案を受け入れてくれるかな・・


自分の力が試せるかな・・

 

そんなワクワクする感覚も持ったのも入社を決める理由の1つでした。





落ち武者気分(当時の正直な気持ち)



 それにしても、10年間も百万都市仙台に暮らして、28年間宮城県で育った私にとっては、実家の栗原市を越えて北へ移動するのは、正直言って「落ち武者」のような気分でもありました。


 しかし、そのころ三国志を愛読していた私は、「そういえば、劉備も一度、野に下ることを選択して力をつけたなぁ・・」などと、勝手に重ね合わせることで自分の中で納得させていました。


 その後、岩手のCホームに会社訪問にいったとき、あまりにも美人さんの数が多いことに驚き、すぐに「岩手っていいなぁ」・・と思うことになるのですが・・(^^;)。


 


 それはさておき、実は不思議な流れがここでも起きることになります。





「囲碁の布石」のような不思議な流れが始まる

 


 N建設の退社3日くらい前だったと思います。

 突然、建築学科時代のドンケツ対抗馬の牧田から電話があり、「アルバイトで住宅の設計しないか?」と誘われたのです。

 「えぇ!なんで都市計画設計事務所(牧田の勤めている会社)に住宅設計の仕事があるの?」と驚きましたが、事務所を訪ねて事情を聞くことにしました。
  


 なんでも、某牧場のオーナーさんが仙台でのアンテナショップの事業展開について相談しているなかで、「家も建てたいんだが、住宅設計もしてるのですか?」という話になったのだそうです。

 


 当時、仙台市長や宮城県知事が汚職で捕まっていた時期でもあり、都市計画の公共仕事が減っていたので、都市計画事務所の所長がすかさず「当然やってます!」と引き受けたのでした。

 


 しかし、その後「誰がやるのか?」ということで社内会議になり、N建設を辞める予定だった私を牧田が推薦した・・といういきさつでありました。

 



 私も、退社後の収入源をどうしようかと考えていたので、これも「流れ」かな・・と思い、ふたつ返事で引き受け、N建設を退社した翌日に住宅設計の仕事で都市計画事務所にいたのです。


不思議と食いっぱぐれない人生です(^^;)

 


 1ヵ月後にはフランスワールドカップに行く、10月にはCホームに就職・・ということで実質3ヶ月間の設計期間しかありませんでした。現場監理は当然できないので、牧田が担当することに決めたのですが・・、

 


実は・・、

 


 牧田も10ヶ月後くらいには、当時勤めていた都市計画事務所を退社して、ワーキングホリデーのビザでカナダに1年間行くということを腹の中で決めていたのでした(30歳がビザのリミットなのでこれは動かせないということでした)。



両者ともにそんなタイムリミットのある仕事でした。



「囲碁の布石」のような不思議な会話



 

 話はちょっとかわりますが、アルバイトのときに牧田とランチを食べてながら、こういう話を何気なくしていました。

 

「(牧田が)ワーキングホリデーから帰ってきたら、
いっしょに住宅会社でもやりたいね・・」。

 

何のことはない普通の夢物語のような会話なのですが、まさか、これが後々・・運命を左右する言葉になろうとは・・。

 



しかも、この時点では予想だにしなかったことなのですが・・、

 



この某牧場のオーナーさん(HAさん)が私たちの人生に大きく関わってきて、見えない複雑に絡まった糸が、ひとつひとつほどけるように驚くような展開が待っているのです。

 

 




事実は小説よりも奇なり・・


お天道様は見ています。




「流れに従って生きる」ー転職準備編ーACT37:HAさんとの不思議な縁


住宅設計を依頼された牧場のオーナーHAさんは不思議な方でした。

 

 


住宅設計の打ち合わせで初めての顔合わせのときに、

私が「省エネルギー住宅の設計という立場で、住宅設計に加わるアルバイトの白鳥です。」・・と自己紹介しても、

「おお!そうか。」とニコニコして理解をしてくれました。

アルバイトです」と正直に言って、

 


それに対してHAさまから「え・・?」の一言も無かったことに・・

 


こちらの方が「え・・?」っと・・びっくりしました(^^;)。

 

 


 設計内容のご要望としては、海外との交流も多いということで、外国の方の来客用宿泊室も設計に入れるという、規模・予算とも実は桁外れの豪邸だったのです。

 

 



 私自身、そんな規模の設計をしたことがなかったので面食らいましたが、それよりも、そんな大事業を20代の2人が行うということに、よく不満も漏らさないでニコニコしてるなぁ・・と、不思議に思いました。

 

 


 後で知ったのですが、HAさんも20代半ばで牧場を始めるため、他の県から最適な土地を探して東北までたどり着いてしまい、そこで小さい開墾からスタート。

 たった1代で大きな牧場にまでしたということでした。

 

そんなこともあり、20代の私たちが担当することに快諾をしてくれたのでしょうか・・。

 

 


 この設計は、時間制限があるという・・こちらの勝手な事情もあり、3ヶ月間で細部までどんどん詰めていきました。

 


しかし、肝心のところで二転三転してしまい、振り出しに戻ることが多い設計でした。


何度となく図面と模型を修正しましたが、肝心のところで大きな変更を余儀なくされました。

  


 

今、考えると提案力に力不足があったと感じます。

  

私も牧田もタイムリミットが近づいてきて・・正直言ってあせり始めていました。

 

私がCホームに就職した後も、メールでやり取りして、打ち合わせに同行するか・・とか、工期を逆算してワーキングホリデーに間に合わせるには・・など日程の作戦も練らざるを得ない時期にさしかかっていました。

 

 

急展開



 ・・と、そんなタイムリミットとの格闘で焦りはじめていたときです。

 

 

 


9月だったと思います。

 

 


突然HAさんから「家づくりは長期延期」という連絡が入ったのです。

 

 


「何があったの・・?」 と思いましたが・・ 

 


 


なんでも、占い師さんに見てもらったら「今年は、住宅建築には最悪の年」だというのが理由だそうでした。

 

ちょっと拍子抜けしましたが・・、

 


 

正直言って・・内心ホッとする部分もありました。

 

 

これで10月からのCホーム就職に心おきなく行けるし、牧田もワーキングホリデーに心おきなく行けると感じました。

 


HAさんは、ここ4か月くらいの途中までの設計諸経費として、
〇百万円も都市計画事務所に支払ってくれたのです。

 


 

それもまたびっくりです・・。何の図面も完成してないのです。
 

よく支払ってくれたなぁ・・と、かなり驚かされました。

 

 



 その4か月の間、HAさんとは 家づくりの打ち合わせ という形でお話をお伺いすることがありましたが、
経営者として・・そして人間としての「器の大きさ」を学ばされた思いがしました。 

 


 HAさまは 事業で得た利益の一部を使って地域の子供たちを海外に勉強のためにホームステイさせるという活動もしているそうで、私も自分で事業を始めることができたら、HAさまのような人間の器になれるだろうか・・という人間像を学ぶ機会になりました。

 


 たった4か月でしたが、私の人生の中で、
何かを悟るような刺激のある日々でした。

 

 




このあと、HAさんとは、一定期間をおいて、
強烈に不思議な縁」で再びつながることになります。

 

 

 


事実は小説よりも奇なり・・



お天道様は見ています。





「流れに従って生きる」ー転職準備編ーACT38:Cホーム入社前の訪問


Hさまの家づくりが長期延期となり、設計のアルバイトがなくなったことで、私には本当の充電期間が1ヶ月できました。

 


時間にゆとりができた私は、とりあえず、次の就職先である
北上市のCホームに挨拶を兼ねて遊びに行くことにしました。

 


創業したばかりで、私が入る10月がちょうど1周年になるという会社だと聞いていたので、きっとこじんまりした家族的な雰囲気なのだろうなぁ・・と思って遊びに行きました。

 


 ところが、またまたしょっぱなからびっくりさせられました。

 


なんと・・すでに従業員が30人くらいいたのです。 


「え!?確か・・1年経ってない会社なんだよなぁ・・」。

かなり不思議には思いましたが、まぁいいや・・と深く考えず流しました。



応接室で会社の上役の方々とごあいさつや雑談をしました。


社長の雰囲気は、あきらかに技術屋ではなく・・お金の計算するタイプという感じで、部長クラスの方に「昔からの技術屋さん」が2人ほどいる・・という感じでした。


 

社長面談の大胆発言



その雑談のなかで、社長からこんな質問を受けました。

 


「白鳥君は、何が得意なんだ?設計か?営業か?工務か?」



私は

「全部できます。知らないのは経営だけです。」


と答え、さらに次のように付け加えました。

 



「そして、自分の売りは・・普通の人より数十倍『運』があることだと思います」。

(何の根拠もない自信ですが、今までの人生で いつの間にかそういう感覚は持っていたのです)
 


社長からは「それじゃぁ、はじめは営業に配属させよう」と即決気味に言われました。

が・・、今の会話のやりとりで、何の根拠でいきなり営業という判断なのか、ちょっと理解しづらい感はありました。
また、どんな建物で何を『売り』にして、どんな『売り方』しているのか聞かされていない状態で営業配属を言われたので不安も感じました。

 


Cホームの家の「売り」



「今日は、市内で現場を見ていくか?」と聞かれました。
私は、どんな家なのか・・見ないと営業なんて怖くてできないと思い「是非見せてください」と言って、当時の開発室長Tさんに現場を案内してもらいました。

 


 新住協の会沢さんからの紹介で、「新住協会員のビルダーだよ」・・だと聞いていたので、新在来木造構法をやっているんだろうと疑わなかった私は、またまたビックリさせられます。



 新在来木造構法でなく、よくわからないパネル工法をやっていたのです。今は、なくなった会社なので工法名を出しても問題ないのですが、私は当時、開発室長Tさんとこんなやり取りをしました。

T&〇工法についての 問答



家づくり工法についてのT開発部長とのやりとり


私 「これってなんていう工法ですか?」

 


Tさん 「T&〇工法 っていうんだよ」

 


私 「なんかのフランチャイズですか?」

 


Tさん 「いや、うちオリジナルだよ」

 


私 「よく、創業してこんな短期間でオリジナル工法ができましたねぇ・・。」

 


Tさん 「・・・」

 

私 「一見、グラスウール断熱の新在来木造構法より性能も劣りそうですが、何が『売り』の工法なんですか?」


 

Tさん 「ん~。僕が考えたわけではないから、よくわからないけど、間柱と通気層が兼用になっているのが『売り』みたいだよ。通気層(T) 兼(&) 間柱(〇)工法の略なんだ」

 

私 「・・・ ・・・」

 

私 「それによって、コストが大幅ダウンしているんですか?

 


Tさん 「いや、そういうわけでもないよ・・」

 


私 「・・・  ・・・  ・・・」


私は内心(その『売り』ってエンドユーザーにとってはどうでもいい話で、考えた技術屋さんの自慢するネタにしかならないだろう・・。


T&〇工法ってネーミングも、エンドユーザーに、よく分かんないけどすごい工法だ・・と思わせる小手先の作戦なんだろうなぁ・・。)としか思えませんでした。

建築中の家そのものを見ても、なんの斬新さも感じなかった私は、「工法を除いて、この家の『売り』は何ですか?」と尋ねました。



Tさん 「ん~・・特にこれと言って無いなぁ
の答えにますます驚かされました。

 

 

 

 


頭の中ではそろばんをはじき始めていました。


〇 『売り』『特徴』『コスト』どれを聞いても、自信あるものが言えないのに、営業マンはどうやって売っているのだろうか?

 


〇 特徴がなければ価格のたたきあいになり、通常は利益率が下がります。

 


〇 なんで1年もたたないうちに社員が30人に増やせるのか?

 


〇 30人の給料と言えば、均しても1ヶ月700万円~800万円近くになるはずなのにどこから給料がでているのか?

 


疑問だらけの経営マジックにしか見えませんでした。


営業に配属されたらとても売る自信がなく、気持ちが沈みました。

 


そして、会社訪問で面会した上司の中に、N建設時代で唱和した「勝者の論理と敗者の論理」の「敗者」を、よりパワーアップさせたような「敗者」がいることを知りました。

多分、新しい意見や提案を毛嫌いするか、問題点を指摘して冷やかすんだろうなぁ・・という不安が膨らんでますます気持ちが沈みました。

 

 


本当にこの会社でいいのだろうか・・悶々と悩みました。

 


わくわくした会社訪問は、「超~ブル~」な気持ちでの帰宅となりました。

このマイナスをどうやってプラスに変えていくのか・・。




事実は小説よりも奇なり。


お天道様は見ています。



「流れに従って生きる」ー転職準備編ーACT39:「木の香」誕生


Cホームへの会社訪問で、どど~んと沈んでしまった私は、家に帰ってからかなり悩みました。


 進むべき道という「流れ」は感じる。でも、あの建物は売りたくない・・。

 このまま黙って入社したら、「売りたくない建物」を「つくり笑顔」で売って歩く営業マンにさせられてしまう。
 



 
悶々とした状態で過ごしました。

 

いっそのこと入社を断ろうかとも考えました。
 


その数日間、悩んだ挙句、私が出した答えは・・、


 
 
入社前に自分の売りたい建物の商品を提案する・・ということでした。
 


「勝者は問題解決に寄与する。敗者は問題点を指摘する」

の精神


 入社前に提案書を書くという大胆な行動なだけに、表面的な家の仕様を語る 三流評論家みたいな提案書ではマズイと思い、かなり気合を入れる覚悟をしました。

 

そこで、私はいろいろと考えて 以下ののようなものを 準備しようと決めました。
① 商品コンセプトとターゲットとなるお客様の層
②:その商品が、市場で売れると思う理由
③:標準仕様
④:総2階40坪での工事原価
⑤:1階面積:2階面積=5.5:4.5比率での工事原価
この工事原価は、大工さんの作業を分解して、土台大引き敷き何人工・建て方何人工・床貼り・サッシ付け・内装ドア付け・ボード貼り・廻り縁、幅木付け・和室1室造作割り増し人工が何人というとこまで算出し、極力、原価根拠を明確にしました。
⑥:販売価格(坪単価)
これは、大手ハウスメーカーの手法に習って、坪単価を安く見せるために付帯工事やオプションにまわせる項目はまわしました。
⑦:粗利率
 

これらの資料作成には、かなりの日数を費やしましたが、用意した資料の中でも、④・⑤は自分自身の勉強にもなりました。
 


 N建設時代に一番欠けていたのがこれなのです。④・⑤(工事原価)が根拠になって算出される⑥(坪単価)が言えなかったことが最大の弱点だったのです。
 



 いつも、お客さまから「大体、坪単価いくらくらいで出来るのですか?」と聞かれると、即答できず「仕上げによりますから・・」とお茶を濁すような返答しかできなかったのでした。


 
 もちろん自由設計で、主に設計事務所さんの仕事をこなしていたN建設にとって、1回1回仕様が違うし、住宅の形状も複雑なものが多かったのですから、坪単価とは拾わなければわからない・・というのは正論であります。


 しかし、ハウスメーカーに居たO君にとっては、時代遅れの会社にしか見えなかったらしく、「それくらいのこと即答できなければ、ハウスメーカーにさっさとお客さんを持っていかれるよ」というのでした。



 
 お客さまの立場になって考えてもみても、「打ち合わせしてからの見積もりでは、どんどん予算オーバーになっていくのでは・・」という不安になります。
 


 契約後の打ち合わせで仕様が変わってもいいから、スタートの標準仕様と総2階パターン・1階が少し大きいパターンでの価格を計算しておかないと営業にならないというのでした。
 


このことを思い出して自分で考えた商品を計算してみましたが、これが、かなり役に立つことを肌で感じました。
 

 仮にお客さまから45坪くらいの広さ・・と言われれば、
45坪に、ポーチやバルコニー、吹き抜けを加えておいて○○坪くらいで施工面積を考えておきましょう。
     ↓
坪単価△△なので、掛け算して□□円・・。外部給排水工事など付帯工事を加えて、合計おおよそいくらになります。
     ↓
お客様の年収と自己資金から計算しますと、借り入れは問題ないと思います。
     ↓
それじゃ、プランニングでの、ご希望を聞いていきましょう。
     ↓
・・と、会話の流れが頭に浮かんでくるのでした。
 

自分の頭の中で、「商品アピール」・「価格の即答と競争力」・「営業トーク」・「利益の確保」がひとつにつながったことで、これは、行けるという自信ができました。
 

そして、それらを提案書としてまとめたのでした。
 




「木の香」誕生



 その家は・・、杉の30㎜の厚板を 建て方のときに斜め天井に貼って、その外側から厚い断熱材を一気に設置するという施工方法で、仕上げが山小屋風、施工手間を軽減しながら断熱性能を上げるという工夫が盛り込まれていました。



ここに、私が考えた初の商品「木の香(このか)」が誕生したのでした。
 

「勝者は問題解決に寄与する。敗者は問題点を指摘する」の精神はこんなところにも生きるもんだなぁ・・と感じました。




事実は小説よりも希なり。



お天道様は見ています。



「流れに従って生きる」は ⑤ Cホーム編 へつづきます。


******************************

★「流れに従って生きる」①ー大学生活編ーは下記より飛んでください。
歴史上初の出来事によって大逆転で志望校に合格!そして・・ありえない話の連続ストーリです(実話
10代の皆さんの勉強に臨むヒントになるかもしれせん。
「流れに従って生きる」ー①大学生活編ー ACT1:大学受験勉強|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」②ーN建設編ーは下記より飛んでください。
安月給の会社で5年、自分スキルを上げた爆笑ストーリー(実話)!
20代の若い社会人の皆さんのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」②ーN建設編ーACT13:ここに居る意味がある|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーは下記より飛んでください。日本が初めてワールドカップに出場した大会。会社を辞めて観戦に一人旅。そこでも起きる不思議な出来事…(実話)。なにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーACT31:不思議な出会いその①|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーは下記より飛んでください。
Cホームでの経験が次の人生に大きく影響しました。
最後は宝くじで10億当たる以上の出来事で電流が流れます。
人生で岐路に立つ方になにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーACT40:Cホーム入社|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑥ー独立準備編ーは下記より飛んでください。
独立することを決意したときから、巻き起こる信じられない偶然の出来事!これはなんなのか…引き寄せの法則とは本当にあるのか…?
信じられないストーリーは、人生の中で勇気ある一歩を踏み出した方になにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT47:独立準備|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーは下記より飛んでください。仙台でのスタートは衝撃の出来事の連続です。
まるでジェットコースターに乗ったような展開は、起業を目指している方へのなんらかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーACT53:「項羽」と「劉邦」|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーは下記より飛んでください。
ついに最終章!。今まで仕込まれていた絡まった糸の数々が全てここにつながっていたのか・・と驚きます。
怒涛のラスト18話・・・是非読んで下さい!。
事実は小説よりも奇なり。お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーACT66:大どんでん返し|けんけん(白鳥けんし) (note.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?