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鬼滅の刃はウルトラマンレオに似ている

鬼滅の刃を見た時に、昔見ていた何かの作品に似ていると思っていたのだが、やっと思い出した。

鬼滅の刃はウルトラマンレオに似ている。

それを誰かに伝えたくて……書いてみた。

◆ウルトラマンレオとは?

「ウルトラマンレオ」は1974年から1年間に渡って放送された特撮ドラマ。

「帰ってきたウルトラマン」から始まる昭和第2期ウルトラシリーズの最終作だった。

前作の「ウルトラマンタロウ」歴代のウルトラ兄弟が全員登場する上に、ウルトラマンの父母も登場してよりファミリー感が増していた。

主人公の東光太郎はボクシングで体を鍛えて、ハングリー精神もある設定だったが、いかんせん6人兄弟の末っ子で、どうしても甘えん坊的なテイストが出てしまった。

ウルトラマンレオはタロウのアンチテーゼか、180度違う設定になっていた!

◆鬼滅の刃とウルトラマンレオの共通点① 修行によって強くなる


地球に赴任していたセブン・モロボシダンが双子の怪獣にやられてしまい変身不能に……

レオ=おゝとりゲンは故郷の獅子座L77星から地球にやってきた宇宙の移民。

怪獣を操っていたのが故郷を滅ぼしたマグマ星人だと知り、復讐と第二の故郷地球を守るためにたちあがる。

ダンの猛特訓を受けて、怪獣に立ち向かう!
ものの……

レオには重大な欠点があった。

ウルトラマンと言えばスペシウム光線やエメリウム光線など、最後には光線で敵を倒すのがお約束。

しかしレオは光線が出せない。

というのもレオは他のウルトラマンと違ってM78星雲出身ではない。
姿は似ていても、光線が出にくい体質らしい。

光線がなくても、敵を倒せるようにキックやパンチに磨きをかける。
早い話がウルトラマンにスポ根を合体させた感じだ。

歴代のウルトラマンが鮮やかに光線で敵を倒すのに、レオは泥臭くど根性で敵を倒す。

他のウルトラ兄弟が鬼殺隊の柱だとしたら、炭治郎は最後の最後まで柱にはなれなかった。

炭治郎の場合は、最終的に全ての呼吸の元になった日の呼吸をの直系が先祖代々受け継いでいた芸能のヒノカミ神楽だと分かるのだけど……

レオも結局は完全にはウルトラマンにはなりきれなかった。
最後までレオ独自の戦い方で敵を倒した。

鬼滅の刃とウルトラマンレオの共通点② 主人公に対して組織の風当たりが強い

炭治郎は鬼である妹禰豆子を連れていることで、鬼殺隊の幹部柱たちから糾弾される。

レオも弟アストラが宇宙で悪さをしていることで、他のウルトラ兄弟に追い詰められた。

結局は敵の星人が化けた偽アストラだと判明するのだけど、ウルトラ兄弟の扱いが前作のタロウの時と全く違って、子供心にショックだった。

炭治郎は鬼殺隊当主産屋敷輝哉に救われ、レオはウルトラの父母よりもさらに偉いウルトラキングが仲介に入って救われた。

鬼滅の刃とウルトラマンレオの共通点③ たった1人の血を分けた兄弟愛

故郷の星でたった1人生き残ったのがレオとアストラだった。

他の家族を鬼に殺されてしまった炭治郎の唯一の肉親が禰豆子。

どうしたって絆が強くなる。

それが、兄弟がやたら多いウルトラ兄弟とのコントラストで余計に際立った。

鬼滅の刃とウルトラマンレオの違う所① 敵のあり方

それまでのウルトラシリーズに登場する敵は、無自覚に地球を破壊する怪獣か、組織的に地球侵略狙う異星人や異界人だった。

怪獣や異星人側にも、地球を襲わざるをえない理由があった。

そこが怪獣たちや宇宙人の独特な悲しみや親しみを感じる理由になった。

ところがレオに登場した異星人は、通り魔的な攻撃をする。

理由もなく、人々を襲っては逃げるを繰り返す。

異星人に共感する余地はもうなくなっていた。

鬼のラスボス鬼舞辻無惨や童磨などは、本当にサイコパス的で、全く同情の余地はなかった。

しかし、他の鬼たちには鬼にならずをえなかった、悲しい背景があった。

鬼滅の刃の鬼たちは、ウルトラマン的要素とレオ的要素が混在している。

鬼滅の刃とウルトラマンレオの違う所②レオは最後まで1人だった

鬼滅の刃のクライマックスはラスボス鬼舞辻無惨との戦いだった。

それまでの上限の鬼達の戦いに生き残った鬼殺隊士達が満身創痍なりながらも、全員の力を文字通り全集中して無惨を追い込む。

仲間が1つになって戦う姿は、漫画の中でも一番のクライマックスと言っていい。

映像化されたら、どんな風に表現されるか今からワクワクする。

ウルトラマンと言えば、ウルトラ警備隊など普段は組織に所属し、ピンチになったら兄弟と共闘して戦う……というのが定番だが、レオは後半になるとその全てと孤立無援になってしまう。

所属するMAC(マック)基地が襲撃を受けて、モロボシダンも一緒に全滅してしまう。
またも自分の居場所を失ってしまうレオ。
どこまでも孤独なヒーローだった。

実はこれには大人の事情があったそうな。

おもちゃ会社がスポンサーから降りてしまった。
通常、主人公が所属するチームの飛行機や基地などのおもちゃが製造販売されるが、後半のレオは基地や飛行機を出す理由が無くなる。

後半はもう制作費も底をついていたようで、ウルトラ兄弟や兄弟を演じた出演者のギャラも出せなかったようだ。

昭和第2ウルトラシリーズのフィナーレとしはあまりにも寂しい結末だった。

しかし、それだからこそ「ウルトラマンレオ」には唯一無二の魅力があり、当時見た子供たちが50代になっても忘れられない作品になった。


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