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相方に理解されなかった


厳格と呼べるほど真面目な家庭に育ち、
母親は書道教室を経営している。
 
彼自身も模試で全国で10位以内に入った経験を持っている。
 
 
また、高校時代はラグビー部で主将を務めていた。
 
 

20歳のときにお笑い養成所に入学。
 
コンビを結成し、
ツッコミにドロップキック等のプロレス技を用いたり、ネタをしながら互いにプロレス技を掛け合うといったアンタッチャブルな芸風で人気を得て、将来を嘱望されていた。
 
しかし、
ある日、相方に「下着泥棒2人が殺し合いをする」という設定のネタを見せると、
元々彼の笑いの方向性に疑問を持っていた相方は「もうダメだ」と思い解散を切り出した。
 
 
その後は同期とコンビを結成。
ツッコミ担当だったが、
ボケ・ツッコミの区別が全くつかない無秩序なネタを生み出し続けた。
しかし、このコンビも解散
 
解散のキッカケは、
相方が人付き合いが苦手だったことも一因になっていた。
解散の際、「元々お前のことそんなに好きじゃなかった。と言うか、この世界の芸人で好きな奴なんて1人もおらん」と相方から言われたそうだ。
 
 
その後はピン芸人として活躍。
 
アメトーークへの出演がきっかけとなり、
全国区の芸人になった。
 
また俳優として起用されることも徐々に増えており、テレビでは見ない日がないほどの人気芸人になっている。

 
 
 
 
彼の名前は、

 
 
 
 
ケンドーコバヤシ

以上、「相方に理解されなかった」でした。

※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。

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