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  • ☆すごく頑張った人達☆

    逆境に打ち勝ち、成功を収めた人たちを紹介しています。

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【無料公開】ゼロからの上京物語~長崎のニートが芸能界へ~

【はじめに】 自分だけ取り残されているような気がした。 みんながキラキラと輝いていて、羨ましかった。 2010年10月2日、僕は20歳の誕生日を迎えた。長崎の実家の自分の部屋で一人寂しく。 「誕生日おめでとう」「これで大人の仲間入りだね」などの祝福の言葉をかけられることはもちろんなかった。そんな僕をよそに、中学・高校時代の同級生たちは華のキャンパスライフを謳歌していた。 「みんな、いいなあ」そんな気持ちと「俺の20代はどうなるんだろう」という大きな不安が僕を襲っていた。 そん

    • 雨の旅

      ある日の午後、雲にいた小さな水滴は、雲の中から落ちることを夢見ていた。水滴は、雲の上から見下ろす景色がとても美しいことを知っていた。雲の上は、青い空と白い雲が広がり、まるで天国のようだった。 ある日、ついに水滴の願いが叶った。水滴は、雲から落ち始めた。水滴は、空中を自由に舞い、景色を楽しんだ。水滴は、街並みや田園地帯、山々を眺め、とても感動した。 水滴は、しばらく空中を舞っていたが、やがて地面に落ちた。地面に落ちた水滴は、初めての感覚に驚いた。 水滴は、地面に激しく衝突

      • 織田信長が巨人の監督だったら・・・

        織田信長は、戦国時代を代表する英雄であり、そのカリスマ性とリーダーシップは現代でも多くの人々に尊敬されています。もし織田信長が読売ジャイアンツの監督だったら、以下のようなチーム作りをしそうだと考えられます。 強力な投手陣を築く 信長は、戦においても優れた軍師として知られていました。野球においても、投手陣の重要性を理解しており、強力な投手陣を築くことを最優先課題とするでしょう。そのため、ドラフトなどで有望な投手を発掘し、育成に力を入れるはずです。また、既存の投手陣に対しても

        • たこ焼きの大変身

          賑やかな東京の街。 100万人の命が絡み合うエネルギーで生活がうごめいていた。 ネオンが夜空を彩り、美味の香りが隅々まで漂う、眠らない街だった。 しかし、東京の平凡な日常はとんでもない方向へ向かおうとしていた。 始まりはいつもと同じだった。 人々は出勤を急ぎ、子供たちは学校へ急ぎ、通りはいつもの不協和音で騒然としていた。 突然、奇妙な現象が街を襲った。 深く力強い地鳴りが地面を揺らし、まばゆい閃光が空を満たした。市民が衝撃に顔を上げると、驚くべき光景が目に飛び込

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        • ☆すごく頑張った人達☆
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        記事

          井上尚弥VS井上拓真

          「井上尚弥VS井上拓真」 というファン待望の一戦により、ボクシング界は熱気に包まれた。 バンタム級を長年にわたって席巻し、不屈の闘志と比類なき技術を持つ獰猛な選手として名声を博してきた名高い兄弟である。 間近に迫った世界タイトルマッチは、名誉あるベルトを争うだけでなく、結束の固い井上家の中で長年煮えたぎっていた個人的な戦いでもあった。 太陽が地平線に沈み、スタジアムに暖かな光を放つと、観客は耳をつんざくような歓声を上げた。 ”Monster”の異名を持つ尚弥は、その鍛

          井上尚弥VS井上拓真

          ”寿司職人”イチロー

          鈴木一朗は常に野球の代名詞だった。 2つの大陸にまたがるキャリアを持ち、卓越した技術でファンを魅了する彼は、スポーツ界の伝説となっていた。 しかし、年月が経つにつれて「年齢」という重みが彼の運動能力にのしかかり始め、選手生活の黄昏へと彼をそっと向かわせていた。 イチローがスポーツ界を驚かせる決断をしたのは、さわやかな春の午後だった。数え切れないほどの称賛と記録を残してきたイチローがプロ野球界からの引退を表明したのだ。 このニュースは世界中に響き渡った。 別れの言葉や

          ”寿司職人”イチロー

          メイウェザーの負け試合

          電光石火の反射神経と比類なきテクニックで有名な無敗のボクシングチャンピオン、フロイド・メイウェザーが、スポーツ史に残るような予想外の事態に遭遇した。風薫るラスベガスの午後、街中の話題は「型破りなボクシングの試合」で持ち切りだった。 数年前にプロボクシングから引退したメイウェザーは、地元のチャリティーイベントに参加していた。イベントが進むと、地元の動物保護施設が資金を集めるための奇妙な挑戦を発表した。やんちゃだが愛らしい白黒の野良猫がボクシングのリングでメイウェザーに挑むとい

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          WBO世界フェザー級タイトルマッチ

          WBO世界フェザー級タイトルマッチ

          2022年・世界のボクシング

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          9/22 栗原慶太vs千葉開 東洋太平洋バンタム級戦

          「あしたのジョーメモリアルマッチ」

          9/22 栗原慶太vs千葉開 東洋太平洋バンタム級戦

          ブログ運営中

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          井岡一翔「はっきりと決着を」ニエテスと約3年半ぶりの再戦

          井岡一翔「はっきりと決着を」ニエテスと約3年半ぶりの再戦

          相方に理解されなかった

          厳格と呼べるほど真面目な家庭に育ち、 母親は書道教室を経営している。   彼自身も模試で全国で10位以内に入った経験を持っている。     また、高校時代はラグビー部で主将を務めていた。     20歳のときにお笑い養成所に入学。   コンビを結成し、 ツッコミにドロップキック等のプロレス技を用いたり、ネタをしながら互いにプロレス技を掛け合うといったアンタッチャブルな芸風で人気を得て、将来を嘱望されていた。   しかし、 ある日、相方に「下着泥棒2人が殺し合いをする」という

          相方に理解されなかった

          必ずトップに立つ

          高校ではディエゴ・マラドーナに憧れサッカー部に入部。   2年生時に相方が後輩として入部し、 先輩後輩として付き合いが始まる。     高校卒業後は一浪の末、 立命館大学、関西外国語大学、大阪芸術大学に合格。   本人は大阪芸術大学に進みたかったが、 父の勧めで立命館大学経営学部二部へ進学。   しかし、相方に誘われて吉本興業のタレント養成所・NSCに入所し、大学は1年次で中退した。   NSC入学時の願書の自己PR欄には 「必ずトップに立ち、ダウンタウンのようになって見せ

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          憧れの人を追いかけて

          高校2年のとき高校を中退。 数万円とバックひとつでチャンピオンを夢見て上京した。     憧れのボクサーは畑山隆則。 世界的に層の厚い中量級で2階級を制覇した日本ボクシング界のレジェンドである。   畑山が現役時代に在籍した横浜光ジムに入門した。   18歳でプロデビュー。 KOで初勝利を挙げた。   以降、14戦目まで無敗。 15戦目で初タイトルをかけ日本王者に挑戦したが引き分けで王座奪取に失敗した。     18戦目で東洋太平洋王座を獲得。 この試合の約10日前に ジムの

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          真面目な過激男

          高校卒業後、 大学に進んだが1週間で中退。   その後、様々な職を転々としていたが、 芸人を目指して上京。 ビートたけしに弟子入りしようと出待ちするなどしていた。     求人雑誌で大川興業が人材を募集していることを知り、 自身の勉強を兼ねて大川興業の公演を観に行き、感銘を受けて入ることを決意。   試験に合格し大川興業に所属することになった。   コンビを組んでいた時期もあったが、 2度のコンビ解消を経てピン芸人として活動することになった。    大川興業仕込みの過激な橋渡

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