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一度は消えた

大学時代に出会った同級生とコンビを組んだ。

 

新人のコント大会で初めて人前でネタを披露。
その場で太田プロからスカウトされた。

 

コンビ結成から僅か4ヶ月ほどでテレビデビューを果たした。

以降、順調にレギュラーの本数を増やしていき若手芸人のホープとなった。

 

しかし2年ほどすると、
自らがやりたい仕事をやりたかったという理由で太田プロから独立

 

この独立は一方的に辞める形だったため、

太田プロから怒りを買い、
一時的に仕事が激減しテレビから姿を消した。

 

その期間は約3年に及んだ。

 

当時のことは、
「全面的に自分達が悪かった」
「面白ければ仕事はなくならないと思っていた」

と語っている。

 

仕事がなくなってからは家に引きこもるようになり、妻の稼ぎに頼って生計を立てていた。

 

 

その後、自らの芸能事務所を設立。
社長には彼の妻が就いた。

その年にNHK新人演芸大賞を受賞した。
ネタ番組でも好評を得て再ブレイクのきっかけを掴んだ。

 

当時のキャッチフレーズは、
「不発の核弾頭」だった。

 


公の場で無軌道な発言をすることが多いため、
批判を浴びることも多い。

 

くりぃむしちゅーの上田晋也からは、
「アンタから言論の自由を奪いたい」
と冗談交じりに言われている。

 

 

しかし、文学的な才能に優れており、
小説の執筆やコラムの掲載もしている。

また、作詞家という顔もあり
SMAPに詞を提供したこともある。

 

 

過去にテレビから姿を消した時期もあったが、
現在はバラエティだけでなく多方面から引っ張りだこな存在になっている。

 
 
 
 
彼の名前は、

 
 
 
 
爆笑問題・太田光

以上、「一度は消えた」でした。

※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。

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