楽器を弾かない人も、話している限り、一人のミュージシャンである。

note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。


 言葉には音楽としての側面があり、言葉の選択や、発するリズム、イントネーション、間のようなものが心地よく響くことがある。

 まったく同じ事を話しているのに、なぜかストレートに伝わってくる人と、全然心に響かない人がいるのは、つまり、音楽としての性質に差があるからだ。

 楽器を弾かない人も、話している限り、一人のミュージシャンである。自分の言葉が周囲の人に与える影響に、できるだけ敏感になるべきだ。
 
 お互いに話を聞いていると、ああ、そうか、こんな感じで音楽を奏でる人がいるんだと参考になる。
 
 そうやって影響を与えあって、次第に、自分の言葉という音楽を磨いていく。一生かけて、次第に高めていく。

 そうすれば、私たち一人ひとりは音楽家になる。言葉を発することで、宇宙とまでは言わないけれども、私たちの間の空間を、素敵な響きで満たすことができる。

とりあえずこうやってメモしておきます。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

167

茂木健一郎

脳科学者。作家。ブロードキャスター。

note編集部のおすすめ記事

様々なジャンルでnote編集部がおすすめしている記事をまとめていきます。
4つ のマガジンに含まれています

コメント5件

意味的残余と 質的 残余 。コレが混在するのが 言語というもので。 しかも平行線ではなく メビウスの輪のように 出会う結び目がある。 その辺りでなされる仕事が 音楽にしても 文学にしても言語にしても 一番クリエイティブですね
私も同感です。表現者だけではなく受け取る側も同じ価値観なり言葉の理解力が必要ですね。双方が高め合えてはじめて共感できると思います。
落合さんの発言について、周りの方に説明されてたのを思い出しました。感覚的に受け取れるようなレベルで巧みにお話してるかですね。勉強になります(^^)ありがとうございます。
すべての発話は音楽である。
すべての動きはダンスである。

すべての会話はジャムセッションである。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。