人生そのものが、「一糸乱れぬ高貴なる野蛮さを見せる演奏」となり得る


note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。


 見落とされがちなことは、世の中のすべてのことは「アスリート」的な視点でとらえられるということで、陸上やサッカーなどのスポーツだけがアスリートなのではない。

 ゲーテが、かつて、「君、行動の天才というのもいるんだね」とナポレオンのことを評したとされるが、朝起きてから夜眠るまで、私たちは自分の行動、判断、選択をアスリート的な視点からとらえて評価することができる。

 朝から晩まで「フロー」でいることは可能なのだけれども、その文脈の切り替えや、一つの文脈の中での集中、静かな沈潜、大胆な行動、その他のことで華麗なる行動の舞踏を見せることはさらに大切だったりする。

 たとえば音楽も、アスリートの行動である。
 オーケストラが一糸乱れぬ高貴なる野蛮さを見せる演奏をしたり、あるいはガレージバンドで打ち込みの楽曲をつくるアーティストがリージョンやループの操作に没頭していろいろと操作したり、すべてはアスリートとしての評価ができる。

 すべては行動なのだと考えれば、人生は晴れやかになる。言い訳などしなくなる。思考や批評でさえ、行動である。だったとしたら、ただ、動けば良い。

 スポーツだけがアスリートなのではない。私たちは全員アスリートになりうるし、実際にアスリートなのだし、アスリートとして日々生きることができるのだ。
 
 人生そのものが、「一糸乱れぬ高貴なる野蛮さを見せる演奏」となり得るのだ。

とりあえずこうやってメモしておきます。

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