人工知能、ネットワーク時代の価値観は、フラットだ。


note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。
 現代において活躍している人、輝いている人を観察していると、人間関係を「フラット」に考えている人が多い。
 
 かつての社会はそうではなかった。所属している組織や肩書で人々がランキングされ、どちらがどちらよりも偉い、というようなヒエラルキーがあって、それに合わせて人々が動いているところがあった。

 ところが今の時代は、学歴や、組織、肩書、年齢、職業、性別などに関係なく、それぞれの人のメリット、ユニークさ、パフォーマンス、ポテンシャルをゆったりとゆっくりと受け止め、認識し、リスペクトするということが大切だし、それができる人が結果として輝いているように見える。

 養老孟司先生が、十数年前くらいに、「東京大学教授」の名刺は、真ん中に「東京大学教授」と大きく書いておいて、肩書のところに自分の名前を小さく書いておけばいいんだとおっしゃっていたことがあった。

 今でも、「東京大学教授」という肩書が意味を持つクラスターはあるかもしれないけれども(特に、新聞やテレビとかいったレガシーメディアや、社会の中の「おじさん」的な人たち)、時代の最先端で輝いている人たちの感性はもっとフラットになっていて、その人のパフォーマンス、メリットをそれに即して見るようになっている。

 地上波テレビのMCよりも、ユーチューバーの方が良かったり、芥川賞よりもラノベの方が良かったり、大手企業の部長よりも地方の小さな起業の方がよかったりする時代なのだから、そのようなフラットな価値観を認め、受け止め、感じる人の方が輝くのは当然で、その上で、レガシーな価値や権威も、それなりにフラットに評価するという人がいちばん良い、そんな時代になっているように思う。

 人工知能、ネットワーク時代の価値観は、フラットだ。

とりあえずこうやってメモしておきます。

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