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永井荷風「伝通院」散策の記

永井荷風「伝通院」を歩いた。『荷風全集』第七巻の『冷笑』と『紅茶の後』を読了後、「人はいかにするとも其の生れたる浮世の片隅を忘れる事は出来まい。」と懐かしむ「伝通院」に目を通して、荷風の生まれ育った界隈を散策してみようと思い立ったのである。

富坂

大江戸線の春日駅で降りて、目の前の富坂を上り富坂上に出ると、右手の奥に伝通院が見える。そこを左に安藤坂を少し下り、右手に入って行くと「永井荷風生育地」の標識が立つばかり。わきの細い道を入って左側辺りに生家があったというが、今は偲ぶよすがもない。ましてや小石川の高台に暮らす一般住民が「踊りの名人坂東美津江の居た事を土地一体の光栄となし、‥‥三味線の名人金蔵の技藝をば尽きない語り草にしたやうな時代があった」なぞ、言うまでもなく想像の範疇をこえる。

永井荷風生育地

しかし、である。「現代の或批評家は私が巴里に居た事がある為めに藝術を愛するやうになつたと思つてゐるかも知れぬ。然し巴里の藝術を愛するそもそもの其のPassion其のEnthousiasmeの根元の力を、私に授けて呉れた者は、仏蘭西人がSarah Bernhardt(サラ・ベルナール)に対する、伊太利亜人がEleonora Duse(エレオノーラ・ドゥーゼ)に対する如く、坂東美津江や常磐津の金蔵を崇拝した当時の若衆の溢れ漲る熱情の感化に外ならない。」というのだ。

ちなみに、荷風は「仏蘭西の女優」の稿で、サラ・ベルナールは女優ながらも「男役も演る。私もあの人のハムレツトに扮したのも見たし、又ロスタンの『エーグロン』(鷲の子)といふ那翁一世の子を主人公にした脚本の某主人公になつたのも見た。もう六十以上のお婆さんだが、若々しいもので、声もよく、二十位のエーグロンの主人公はなかなかよく演った。」と評するほどの、かなりのフランス演劇通である。

曲亭馬琴墓

荷風は「最後に小石川の端(はず)れにある曲亭馬琴の墓を尋ねてから……」と、この稿を結んでいる。曲亭馬琴墓は春日通りを15分ほど歩いて、地下鉄茗荷谷駅近くの深光寺境内に、「文京区指定史跡」とされていた。

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