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生きることの歓楽―永井荷風『冷笑』を読む

瀧亭鯉丈の滑稽本『花暦八笑人』がどんなものだか、おおむね一般新聞読者のよく知るところではない。その「八笑人」に類する閑談笑語の友を求めていた小山銀行の頭取・小山清は、ハーバード大学を卒業した、親の代に創業した銀行家である。たまたま逗子の別荘近くで出逢った吉野紅雨は、漢学に造詣の深い退職官吏を父にもち、米国・欧州に遊んだ新進作家であるが、江戸人の芸術に憧憬の情を新たにしていた。

二人は語らって、「八笑人」の会を開くことで意気投合する。紅雨の竹馬の友で、江戸期からの芝居道と花柳界を愛慕する通人にして狂言作者の中谷丁蔵、小山が欧州から帰国するとき乗船した船の事務長で、天文学者になる少年の頃の希みを父親に挫かれ、親の家を遠く離れたいと遠洋に出た徳井勝之助、紅雨の父親の知人の子息で、貴族的隠士のごとき南宋画家の桑島青華、この五人による閑談会を開く段取りが整えられていく。そのプロセスを物語る永井荷風『冷笑』は、これまでの荷風の半生の総括と、これからの生き方の真摯な模索、さらには決意表明ではないか、というのが、まずは大雑把な読後感である。

この五人は「一風変つた奇人」とはいえ、もとより紅雨を主たる軸として、いずれも荷風の何がしかの側面を象徴する分身ではないか。五人の来歴と交遊を叙述するなかで、自ずから浮かび上がってくるのは何か。新帰朝者として華やかに迎えられた荷風が、夏目漱石からの依頼によって、朝日新聞に連載した初めての長編小説である。荷風はそうとうのエネルギーを込めて取り組んだに違いない。

生き方を模索する大前提は、人間をいかなるものと捉えるか、である。紅雨が小山に開陳する人間観はすこぶる素直で自然体である。すなわち、「人間は楽しみ笑ふ為に出来てゐるもので、其が人間の正当な権利だと思ふ。いや楽むまいとしても人間は生きてゐるかぎり楽まずには居られないものだ。」という。さらに言えば、「人生は自分が役者であると共に観客であって、演ずるにも見物するにも、成るたけ面白く賑かで華美(はで)な芝居であつて欲しい」と希うのである。

人間の生きる場である宇宙もまた同じである。

「宇宙の現象は一ツとして人間の眼に美しく見えないものはない。雨の声、風の音、月の光、虹の色、星の輝き、樹木の姿、動物の形、其れ等は人間の眼に美しいと映じて初めて存在の価値が確められる。吾々はこの無限の幸福、生存の快楽を歌ふに何等の憚る処があらう。これほど平凡、健全、正当な事はない。」

この世は人間の遊楽する所というのだ。ゆえに、「吾々はかゝる生の唯一の賜物をおろそかにしない為めに、宗教と道徳を要求したのであつて、其れを拒み若しくは卑しむ為めに道徳を作つたのではない。」と断じてはばからない。

では、人生の苦悩はなにゆえか。

「私は生活の苦痛に振れゝば触れるほど、其の人は生存の快楽を強く味はひ得るものだと思つてゐる。‥‥歓楽(ヴオリユプテー)と憂愁(メランコリー)とは引離すことの出来ない感情であつて、もし生存の快味を感じない人ならば私は断じて其の人は深刻な人生の悲哀をも知り得ない人だと思ふ。」

さらに、劇作家イプセンを引いて「生きる事の快楽は思ふに恐らく人間のLiberation(リベラツシヨン)であろう」と言うのである。憂愁はすなわち歓楽なり、とは人生の極意ではなかろうか。

しかる後、荷風はいかなる地点にたどり着いたのか。

「思へばこの年月訴へたり罵しつたり怒つたりした其等の煩悶や懊悩は、つまりいかにすれば自分は己の現在に満足安心する事ができるかと夜の闇の捜索(てさぐり)をしてゐる事であつたのだ。ユーゴーが、夢想は幸福にして期待は命である。遠国を走り廻(めぐ)らうとする旅の心の愚さよ。と歌つたやうな望みを込めた諦めをつけると同時に、日陰の裏町に残つて居る過去の栄華の後を尋ねて、そして漸くに自分は現在に対する絶望と憤怒から解脱して、ひたすら過去の追慕と夢想の憧憬(どうけい)に生きる事ができるやうになつたのかも知れぬ。」

とすれば、とるべき行動はすでに明らかである。

「若(もし)然(さ)うであつたとすれば最早高慢らしい議論を戦はして、現在を罵しつたり憤つたりする必要はあるまい。罵しる暇があつたら自分は静に、やがて吾々の赴くべき未来を夢みねばならぬ。憤る力があつたら間もなく消え滅びて了(しま)ふ過去の名残を一瞬間でも命長く生すやうに努めねばならぬ……」

さて、「八笑人」の会に集ったのは、小山清と吉野紅雨、それに船乗りの徳井勝之助の三人であった。三人に共通点するのは海外経験があるということだ。欧米のライフスタイルや文化芸術を知ったうえでの話である。かたくなに古きに固執するのではない。「江戸頽廃期の耽美的平民趣味の代表者」とも言うべき中谷丁蔵からは欠席の丁寧な詫び状、「貴族的孤立主義の楽天家」である桑島青華からは、代理出席のお賓頭顱様の木像が届けられたのも故なしとしない。

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