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歳男だってよ

いつのまにか2024年になっているし、知らん間に1月も終わるらしい。
早い。早すぎる。この体感だとすぐ死ぬ。もう死ぬ。いやだ!死にたくない!うわぁぁぁぁ!

そんなこんなで明けましておめでとうございます。すでに死という字が3回出てきてますが、今年も元気に生きようと思います。

今年は何本公演をやるのでしょう。一昨年にやり過ぎたので昨年は2本のみでした。しかも同時期に2本(どうかしてるぜ!)。

稽古期間中の11月末にインフルエンザを患い1週間寝込んでいた為に、目が覚めたらもうすぐ本番であるという信じ難い状況に人生で初めて逃亡計画を真剣に考えた瞬間があったりしましたが、今思うと無事に終えられて一安心です。
すべて自分のせいなので誰にも文句を言えないのが辛い。ぜんぶ他人のせいにして文句だけ言って生きていたい。

練習時間が長ければ長いほど出来が良くなるという単純な話でもないですが、それにしたって時間無さ過ぎちゃう?という中でも「なんとかなるやろ」と思えるようになったのは、曲がりなりにも、これまでの経験が身に染み付いてきて、作品を創るにあたっての取捨選択や心身のバランスを、それなりに判断したり整えたり出来るようになった成果だろうと自分を励ましていきたいところです。

というわけで今更感満載ですが、簡単に振り返ってみようと思います。


◎12月13日〜17日
COoMOoNO「-つかえない-」
@ギャラリールデコ B1

©Takanori Matsumuro

COoMOoNOは一年振りの公演で、メンバー揃って上演できたことがしみじみ嬉しかったです。
演劇という媒体が日常に魔法をかけられるようなパワフルさを失って久しいですが、現代で『屋台崩し』を成立させる伊集院演出の試みは素晴らしかった(手前味噌ラーメン一丁)と思っております。
後悔としては、半裸になるシーンで見栄を張りたい為にせっせと筋トレをしていた1ヶ月あまりが、直前のインフルエンザ罹患による強制ダイエットにより無に帰し、今年1痩せた身体を披露してしまったことでしょうか。

『綺麗に成立した会話』というものを追い求めて演劇をやっているところが多分にありまして、まぁそれをなかなか一言で説明するのは難しいですが、ものすごく簡単に言ってしまえば古い日本映画では当たり前になされていた俳優同士のやり取りでしょうか。昨今そういったスマート且つ力強いコミュニケーションを目にしたり耳にする機会は日常でも舞台上でも殆ど無くなってきたように思いますが、メンバーの芝居を袖で聞いたりしていると「あら、いいですねぇ」の波が押し寄せたりラジバンダリで、自分も折れる事なく良い芝居を目指してコツコツと鍛錬していきたい所存です。

COoMOoNOは今年で結成(生誕)15周年ということで、何かしら楽しげなことでもやれればいいなあと思います。


◎12月14日
The Mellow Suicides「HAMLET EYES」
@ギャラリールデコ B1

©Takanori Matsumuro

ナカネタカトとのユニット・The Mellow Suicidesはこれまで毎回ゲストを呼んでいたので、よくよく考えると今回が初の2人だけで開催した興行でした。

COoMOoNOの公演期間中に、同会場で1回限り行う企画ということで、相方には「無理せずなんか軽めのやつやろうよ〜」とか軽口叩いて話を持ちかけ、2日間のリハーサル時間にはとても見合わない量の脚本を渡し「あとはよろしく」という無茶振りを決め込んだわけですが、それに快く応えてくれた彼には感謝しかありません。胆力に改めて感心致しましたし「楽しんでやる」ということが、1番大事で1番忘れてしまいがちなことだなと痛感致しました。追悼という行為はしめやかに行い過ぎても賑やかに行い過ぎても不謹慎というか無作法になりがちかなものだと考えておりまして、あっしの脚本の時点では中々に不安でしたが、ナカネくんの歌を聴いた時に「良かった!」と心から安堵いたしました。

昔から仄かに抱いていた「おらハムレットやるだ」の願いが叶い嬉しかったです。次は「おらロミジュリやるだ」の波が押し寄せてるので、いつかやれれば良いなと思ったりもします。若作り出来るうちに。ロミオは16歳。俺は歳男。つまりそういうことだ。

『HAMLET EYES』公演映像は公式ストアで販売しておりますので、ご興味ある方は是非覗いてみて下さい。


ところで対話劇において「言葉を扱う」という行為は、俳優の仕事の1つであるわけですが、私たちは普段、人と会話をする時に、言葉を何の為に使っているのでしょう。

言葉は「自分の気持ちや思いを伝えるもの」と想像する人も少なくないと思いますが、果たして本当にそうでしょうか。自分のお気持ち・・・・を相手に表明する場面って、そんなに頻繁にあるんでしょうか。
否、殆ど無いはずです。正確に言えば、幼い時はあったけれど大人になるにつれ無くなっていきます

幼児は『今の自分の気分』をストレートに発露します。ゆえに自然に言葉に気持ちを乗せて・感情を込めて喋ります。特に不愉快さを表す時には「いや-!ぎゃー!」とか泣き喚いたりして強く信号を発します。肉体的にも精神的にも独立しておらず自衛出来ない為、恐怖や嫌悪を感じるものを、無指向に表出するしか術がないのです。

しかし、成長するに従って、そうした「自分の気持ちを伝える」だけの発信では他者と円滑なコミュニケーションが上手く図れないことに気づき始めます。そうして段々と、言葉という道具を「何を思っているか」ではなく「何を言いたいか/伝えたいか」にピントを合わせて用いるようになります。
いわば本音と建前を使い分けるようになる訳です。

しかし不思議なもので、普段上手に建前を使えている大人も、いざ芝居・演技をしようとなると、子供のコミュニケーション形態=お気持ち表現をやり始めてしまうことは少なくありません。
いわゆる「表現」と呼ばれるものを、感情を表に現す=雰囲気を出すことだと捉える人も少なからずいるでしょうが、感情も雰囲気も本来は意思で出すものではなく自ずと出るものです。自ずと出るものでなく意思で出すのはウンコとかです。

無対象・無指向に行われる表現の為の表現は、利己的な一人称に完結する行為ですから、それを眺めて「盛り上がってんなー」とはなったとしても、どこまでいってもそれは他人事であり、何よりとても幼く見えてしまいます。

アクトすることでフィクションを本当にする=もうひとつの現実を立ち上げることを目指すには、有対象・有指向で行為した結果が表現と見なされるだけという逆転の発想というか、ある意味で滅私の行動が必要となりますが、不思議とかえってその方が本人らしさが出るものです。

つまり「役に成ること」と「本人で在る」ことは対極に位置するものではなく、むしろ両立していなければならないということがミソなわけです。

そこで、芝居をするにあたって先ず心掛けることは、器用に嘘をつくことではなく、不器用でもいいから素直にやることだと考えております。
もちろん技術も要りますが、演技という行為は原則として《普段、無意識に行っていることを意識的に再構築する》ことであって、それを無視して表現に走ってはいけないということが、しがない俳優の1つのモットーであります。要は「普段、人間がやらないことはやらない」ということです。
ですから、演技行為について考えることは、必然的に普段の体や心や他者との関わり方について考えることと同義で、それが演技の基盤になるわけです。

「表現」に至る前段階=「言葉を扱う(話す・聞く)」において注意すべきことを具体的に掴めると、演技をする上でも、或いは日常生活でも非常に救けになります。

しかし興味はあれど、そんなに気軽に参加できるところは、なかなかないもんなぁ〜。
なんか演劇って飛んだり跳ねたり大声出したりしそうだもんなぁ〜。
落ち着いて静かに学べるとこないかなぁ〜。


あるんだなぁこれが!

というわけで、来月・再来月に、
COoMOoNO主宰・伊集院もと子が講師を務める演劇教室を開催致します。

前回、ご好評頂いたWSに続いて2回目の開催となります。今回は2クラスに分けて実施しますので、俳優志望の方もそうでない方も、どうぞお気軽にご参加ください。

そんなわけで、今年もしぶとくサバイブしていきます。どうぞよろしく。

©Takanori Matsumuro

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