ユンカースは、なぜ消えなかったのか?

『ユンカース・カム・ヒア』は、木根尚登の小説を原作として1995年に公開された映画である。
木根と同じTM NETWORKのメンバーである、小室哲哉の飼っていた同名のミニチュア•シュナウザーがモデルとなっている。

野沢家の一人娘、小学校6年生のひろみが本作のヒロインである。家政婦を雇い、家庭教師を住まさせる程度には裕福な野沢家に、ユンカースは飼われている。ユンカースはかなり変わった犬である。用を足す時は、男性トイレを使いご丁寧に洗浄ボタンまで押す。時代劇が好きで、銭形平次の再放送を好んで観る。知性が高く、「犬のくせに猫を怖がらないでよ」と、ひろみが話しかけると「怖くないよ猫は扱いにくいから苦手なんだよ」と、ひろみに講釈を述べる。そう、ユンカースは人と会話することが出来るのだ。そしてもう一つ、ユンカースには特別な「能力」がある。願いごとを3つ叶えることが出来るのだ。この願いごとが発動する条件が、映画版と原作となった小説の最大の違いであり、原作小説の持つ可能性を別の角度へと引き伸ばしている。

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ある晩、ひろみは母から父と離婚を考えている話を聞かされ、どちらについて行くかを尋ねられるが、わからない。と答える。ひろみはオルゴールを聴きながら、5歳の時に父と母の3人で出掛けた思い出の海の写真を見返している。ひろみの両親は、どちらも仕事が多忙で気持ちのすれ違いを重ねている。
「パパとママが別れたら、どちらと暮らしたい?」
ひろみは自分の気持ちがよくわからない。自分がどうしたら良いのか、自分がどうしたいのか。
「パパか、ママか、圭介さんか、」
ひろみは同居している家庭教師の圭介に憧れを持っているが、圭介には洋子という婚約者がいる。"ひろみ“の1つ目の願いごとは、「圭介さんが洋子さんとと結婚しないでずっと家に居て欲しい」この願いをユンカースは聞き入れる。翌日、圭介が洋子と電話で言い争いをしている。どうやら、洋子が自分の気持ちを優先し結婚を急がせたことに圭介は納得がいかない様子だ。願いごとをしたことに責任を感じたひろみは、両親と圭介と洋子へ、クリスマスパーティーを催すことを決める。だが、1つ目の願いごとの効力のせいか、洋子は野沢家へに至る途中で参加が出来ない旨を電話で伝える。ひろみは家を飛び出し、洋子を探し求め町中を走る。洋子を見つけるが、洋子はタクシーに乗ってしまう。"ひろみ“は「洋子さん!戻ってきてー!」と叫ぶ。するとタクシーは止まり、洋子がひろみの前に現れた。ユンカースが2つめの願い事を叶えたのだ。パーティーの後、圭介と洋子は仲直りする。だが、父と母はパーティーには来れなかった。そして、その晩ひろみは、母から正式に父と離婚をする話を聞かされる。
「もう、どうにもならないんだ… パパとママ… 。」ひろみがベッドの中で泣いている。
"ひろみ“は「5歳の時にパパとママと行った海に、また行きたかったな」とつぶやく。
すると突然、ひろみの部屋に風が吹き始め、暖かい光がひろみとユンカースを包み始める。オルゴールの蓋が開き、父と母とひろみの3人の笑顔があらわれる。ユンカースが「奇跡」を起こし始めたことに、ひろみは気づく。オルゴールのメロディが進むにしたがい、どこからともなく無数の泡が溢れはじめ、ユンカースを宙へと浮かべる。
「ユンカース何をしているの?」
「さぁ、行こう。」
ユンカースの差し伸べる手をひろみが握った瞬間、光は強さを増し無数の泡が二人を包み込む。二人は冬の夜空へと舞い上がっていた。
「ユンカース!!」
「大丈夫だよ、ひろみ」
その瞬間、ユンカースはひろみを背中に抱え、ある方向に向きを定める。そして、空高く飛び上がり、突風を受けながら夜空を進みはじめた。
「これ、ユンカースのちからなの?」
「奇跡を起こしているのは、"ひろみ自身“さ。僕に出来るのはお手伝いだけなんだ。」
やがて二人は海へと辿り着く。そこは、オルゴールの写真にあった思い出の海。ユンカースの力によって父と母も同じ場所に連れてこられた。ひろみは、二人に別れて欲しくないと伝える。そして、ユンカースの奇跡の時間は終わりを迎える。翌朝、改めてひろみは母に自分の正直な気持ちを話す。すると、母は父との離婚を止めることをひろみに告げる。ひろみは大喜びでユンカースの元へ向かうが、ユンカースは言葉を話さない普通の犬になっていた。

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実は小説では、ユンカースの願いの発動条件は"ユンカース自身"の願いに依る。なぜならユンカースが人間と話せる理由は、自身の家系にあり、ユンカースの父親も似た「能力」を持っていたからだ。だが、ユンカースの父親は、人間の世界に踏み込み過ぎた為に主人の元から姿を消すことになったという。そしてユンカースも、まわりの人間を助けるため"ユンカース“が願いごとを発動させることで、人間の世界に深く干渉し、やがて父親と同じく主人の元から姿を消してしまう。では、映画版のユンカースは、なぜ消えずに普通の犬に戻ったのか?
映画スタッフの優れた点は、ユンカースの「人間と会話が出来る」「願いごとを3つ叶えられる」という設定を最大限に活かすために、「ユンカースという特殊な出自の犬の冒険譚」から「ある家庭の犬に一時期の間起きた奇跡の時間」という解釈へと置き換えたことにある。"ユンカース“ではなく、"ユンカースとひろみの関係“に焦点を当てることで、「自分の飼い犬も、もしかしたら…」(それこそ、モデルとなった小室のユンカースも、もしかしたら… )と思えるような想像力を育む、現実へと地続きを感じさせるようなオープンエンドへと導いている。だからこそ、1つ目と2つ目の願いは「奇跡」というにはあまりにも小規模な発動で終わり、3つ目の願いは"ひろみ"の本当の心からの願いであり、まさに「奇跡」と呼べるような現象を起こしたのだ。だが、改めて考えてみると、願いごとはどうしても必要だったのだろうか? 一つのきっかけに過ぎなかったのではないだろうか? ひろみの行動の末に起きた「奇跡」だったのではないか? いや、詮索するのは止めよう。ユンカースの答えは決まっているのだから。


☆PLANETSCLUB



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